正受老人 「一日暮らし」

或る人の咄に「吾れ世の人の云うに『一日暮らしといふを工夫せしより、精神すこやかにして又養生の要を得たり』と。如何となれば一日は千年万歳の初なれば、一日よく暮らすほどのつとめをせば、其の日過ぐるなり。それを翌日はどうしてかうしてと、又あひても無き事を苦にして、しかも翌日に呑まれ、其の日怠りがちなり。つひに朝夕に至れば、又翌日を工夫すれば全體にもちこして、今日の無きものに思ふゆゑ、心氣を遠きにおろそかにしそろ也。兎角翌日の事は命の程も覚束なしと云ふものの、今日のすぎはひを粗末にせよと云ふではなし。今日一日暮す時の勤めをはげみつとむべし。如何程の苦しみにても、一日と思へば堪へ易し。楽しみも亦、一日と思へばふけることもあるまじ。愚かなる者の、親に孝行せぬも、長いと思ふ故也。一日一日を思へば退屈はあるまじ。一日一日とつとむれば、百年千年もつとめやすし。何卒一生と思ふからたいそうなり。一生とは永い事と思へど、後の事やら翌日の事やら、一年乃至百年千年の事やら知る人あるまじ。死を限りと思へば、一生にはだまされやすし」と。
一大事と申すは、今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし。総ての人に、遠き事を思ひて謀ることあれども、的面の今を失うに心づかず。