森 信三 『一日一語』 12月

 十二月一日
日本民族の使命は将来の東西文化の融合に対して、いわばその縮図的原型を提供する処にあるであろう。
 十二月二日
一眼は遠く歴史の彼方(かなた)を、そして一眼は却下の實踐へ。
 十二月三日
日本民族の世界観は、一口にいえば「神ながら」である。
神ながらとは、民族生命の原始無限流動の展開をいう。
そしてこれが、明治維新まで儒仏の文化を摂取し、溶融したが、
ついで維新以後は、西欧文化の摂取を容易ならしめてきた根源力である。
 十二月四日
新しい愛国心の中心は、まず日本民族に対する全的信頼を恢復することであろう。
参考:かいふく【回復・恢復】①一度失ったものをとりもどすこと。②もとのとおりになること。(広辞苑より)
 十二月五日
世界史は結局、巨大なる「平衡化」への展開という外なく、わたくしの歴史観は「動的平衡論」の一語につきる。
すなわち「動的平衡論」とはこの宇宙間の万象は、すべてこれ陰(マイナス)と陽(プラス)の動的バランスによって成立しているということである。
 十二月六日
「物質的に繁栄すると、とかく人間の心はゆるむ。」
これまた「宇宙の大法」の一顕現であり実証である。
 十二月七日
根本的原罪は唯一つ、「我性」すなわち自己中心性である。
そして原罪の派生根は三つ。(一)性欲 (二)嫉妬 (三)搾取。
 十二月八日
ひとたび「性」の問題となるや、相当な人物でも過ちを犯しやすい。
古来「智者も学者も踏み迷う」とは、よくも言えるもの哉。
 十二月九日
職業とは、人間各自がその「生」を支えると共に、さらにこの地上に生を享けたことの意義を実現するために不可避の道である。
されば職業即天職観に、人々はもっと徹すべきであろう。
 十二月十日
人間は他との比較をやめて、ひたすら自己の職務に専念すれば、おのずからそこに一小天地が開けて来るものです。
 十二月十一日
玄米とみそ汁を主とする生活の簡素化は、今日のような時代にこそその意義は深い。
それは資本主義機構に態する自己防衛的意味をもつ一種の消極的抵抗だからである。
 十二月十二日
人は内に凛乎(りんこ)たるものがあってこそ、はじめてよく「清貧」を貫きうるのであって、この認識こそが根本である。
 十二月十三日
人間形成の三大要因
(一)遺伝的な先天的素質
(二)師教ないしは先達による啓発
(三)逆境による人間的な試練
 十二月十四日
これまで親の恩が分からなかったと解かった時が、真に解かりはじめた時なり。
親恩に照らされて来たればこそ、即今自己の存在はあるなり。
 十二月十五日
人間は一人の卓越した人と取り組み、その人を徹底的に食い抜けること―
これ自己確立への恐らくは最短の捷径ならむ。
 十二月十六日
逆算的思考法とは、人生の終末への見通しと、それから逆算する考え方をいう。
だがこの思考法は、ひとり人生のみならず、さらに各種の現実的諸問題への応用も可能である。
 十二月十七日
人生を真剣に生きるためには、できるだけ一生の見通しを立てることが大切です。
いっぱしの人間になろうとしたら、少なくとも十年先の見通しはつけて生きるのでなければ、結局は平々凡々に終わると見てよい。
 十二月十八日
真に生甲斐のある人生の生き方とは、つねに自己に与えられているマイナス面をプラスに反転させて生きることである。
 十二月十九日
人間の甘さとは、自分を実際以上に買いかぶることであり、さらには他人の真価も、正当に評価できないということであろう。
 十二月二十日
「誠実」とは、言うことと行うこととのズレがないこと。
いわゆる「言行一致」であり、随って人が見ていようがいまいがその人の行いに何らかの変化もないことの「持続」をいう。
 十二月二十一日
「心願」とは、人が内奥ふかく秘められている「願い」であり、如何なる方向に向かってこの自己を捧げるべきか―と思い悩んだあげくのはて、ついに自己の献身の方向をつかんだ人の心的状態といってよい。
 十二月二十二日
「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」(論語)
生きた真理というものは、真に己が全生命を賭かけるのでなければ、根本的には把握できないという無限の厳しさの前に佇立(ちょりゅう)する思いである。
 十二月二十三日
礼拝とは
 (一)首を垂れること
 (二)瞑目すること
 (三)両手の掌を胸の辺りで合わせる―という三要素。
最も簡易にして、かつ最も普遍的な宗教的行といってよいが、
いずれも人をして相対を超えしめる具体的方案といってよい。
 十二月二十四日
神はこの大宇宙をあらしめ、かつそれを統一している無限絶大な力ともいえる。
同時にそれは他面、このわたくしという一人の愚かな人間をも見捨て給わず、日夜その全存在を支えていて下さる絶大な「大生命」である。
 十二月二十五日
立腰と念仏の相即一体は宗教の極致。
即ち自他力の相即的一体境であって、いずれか一方に固定化する立場もあるが、両者の動的統一がのぞましい。
 十二月二十六日
「生」の刻々の瞬間から「死」の一瞬にいたるまで、われらの心臓と呼吸は瞬時といえども留まらない。
これは「ありがたい」という程度のコトバで尽せることではない。
「もったいない」と言っても「辱ない」といってもまだ足りない。
文字通り「不可称不可説」である。
 十二月二十七日
けふひと日いのち生きけるよろこびを
夜半にしおもふ独り起きゐて
 十二月二十八日
私が何とか今日まで来れたのは、十五歳のとき伯父の影響で岡田式静坐法を知り、自来八十二歳の現在まで一貫して腰骨を立てて来たことに拠るが、しかし近ごろになってそれでは尚足りず、やはり「丹田の常充実」こそ最重大なことに目覚めて、今や懸命にこれと取り組んでいます。
(尚、丹田の充実には、最初に「十息静坐法」をした上で入るのが良いと思います。
 十二月二十九日
我われ一人びとりの生命は、絶大なる宇宙生命の極微の一分身といってよい。
随って自己をかくあらしめる大宇宙意志によって課せられたこの地上的使命を果たすところに、人生の真意義はあるというべきだろう。
 十二月三十日
私の死後、この実践人の家を訪ねて、「森とは一体どんな人間だったか」と尋ねる人があったら、「西洋哲学を学んだがもうひとつピッタリせず、ついに『全一学』に到達して初めて安定したが、それ以外には唯石が好きだった」と仰ってください。
 十二月三十一日
念々死を覚悟してはじめて真の生となる。
自銘         不尽
学者にあらず
宗教家にあらず
はたまた教育者にもあらず
ただ宿縁に導かれて
国民教育の友としてこの世の〈生〉を終えん騚