4/21 腰の休息

一日、腰を休ませながら、パソコンで作業。
思えば、屋久島を出る前の最後の50日間は一日も休みが無く、研修、引越しの仕度、その合間にハードな肉体労働のアルバイトと、体を酷使した。
また、屋久島を発ってからの10日間も、慌しい日々であった。
その末の「ピキーン、ぎっくり」なので、無理もない話と言える。
この二日間は、カラダの痛みとじっくり付き合い、ゆっくりと労わっているところ。
無理をかけると、気づきの弱い部分にシワ寄せがいき、そこが壊れるのは、誰の身体も同じ。
しばらく前に(屋久島に居るころに)偶感として書き留めた文章がある。
それを思い出し、探してみた。
◆ からだを大切にすると云うこと
このカラダ(身体・肉体)は、(私・意識が)神様から与えられた乗り物(専用ロボット)であるということ。
それがあることによって、始めて身体的(場所)移動、機動が可能となる。
その、自分持ちの最高の機械、最高級のマシンを、粗末に扱うなど、とんでもないことである。
とにかく労わり、大切にし、そして、ケガの可能性のあることなど慎重に避け、
この「愛機」を、長く、丁寧に、愛と感謝を込めて、使うべきである。
つまり、どんな人も、ひとつは、自分向けに開発・調整・培養された、10億円かけても作れないような名機をひとつ与えられて生まれてくるということである。
それは、どんな高級車を所持しているよりも誇れる(有り難い)ことである。
もし、「自然は(宇宙は、神は、進化は)、これだけ精巧に、滑らかに動く機械(マシーン)を作り上げたのだ!」と云う驚きの感覚を持てないならば、それは「馴れ」によって、見えて当然の(然るべき)真実が見えなくなっている嘆くべき状態である。
……
昨晩、しばらく前に購入して途中まで読んでいた、『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』を、ざっと読み終える。
これまで、自身の研修コースで、トラウマも扱えるのではないか、と云う感触は持っていたが、この本を読んで、やはり、そうだよね、と云う感覚を強める。
この手の問題に興味ある方にはオススメでできる本。
ただし、全体として記述がくどく、要点をもっと纏めれば、半分の厚さに出来ると思う。
トラウマセラピーで再現された過去の出来事の記憶は、特に事実である必要性はない(つまり、多くは事実そのものではなく、心(脳)が自身を納得させる為に再構成した神話の如きものである)。
が、それでも構わない、問題は、治癒的効果があるかどうかである、と云う論点には同意できる。
これは、多くの催眠セラピー、過去生セラピーなどにも共通して言えることで、それらの再現された記憶(過去生)は、自分(の脳)が作り上げた、現在の自分の抱えている問題、境遇、容姿などに関して、最も自分に納得がいく説明・お話であり、それが本当であるかどうかは問題でない。
ただ、その本人にとって「本当っぽく」あればいいだけで、それを信じられたら、治癒的効果を持つ。
故に、そのセラピーに劇的効果があったからと言って、その思い出した記憶が本当であることの証拠には、全くならない。
それは自分の心が自分のために作り上げた、最も本当らしい神話(自分が主人公の映画の脚本)の如きものであるからだ。
このことに関して、F・K・デックの「追憶売ります」と云う短編を思い出す。
これは、映画『トータルリコール』の原作になった作品だが、(特に落ちが)映画よりも何倍もシュールで面白い。
その他、この本には幾つか面白い論点があったが、私にとっては「気づき系の瞑想とボディワークと組み合わせれば、トラウマ問題に関して、有効な働きかけができる」との確信を強める内容であった。
また、いま見ていたら、『トラウマをヨーガで克服する』もあるようです。面白そうなアプローチではありますね。有効だろうと思います。
しばらく前に、何かの本に出ていた言葉。
「彼はそこで、想起するように認識し、回想するように理解した」
「そこで」の「そこ」とは、「瞑想意識に於いては」と理解。
「世界は絶対的に完全である― 世界に対する貴方の不満や、世界を変えようとする貴方の努力も含めて」 ラム・ダス
これも、いい言葉。
後半部分がミソ。