気づきのことば

病苦、貧苦、愛別離苦―。あの手、この手と手段を変えて、神は私たちを痛めつける。
区々たる眼前の事象や我執に心奪われて、容易に目がさめない私たちの眠りを覚まして、宇宙の真理と大生命に逢着させんがためである。

自分に最も気に入らぬ出来事や人物に当面したら、内心ひそかに「ああ、いい教師に出逢ったな」と思えばいい。その「教師」に月謝をうんと出してもいいのである。

究極のところは「神の公平を信じるかどうか」ということである。
ここに肝がすわれば、くよくよすることはない。

下座行を積んでない人は信用できない。

絶対の他力を信ずれば、迫害も又、神の恩寵である。

切羽詰って、はじめて真実のことばがうまれる。
切羽が詰まる、鍔迫り合いのことであって、生きるか死ぬかの瀬戸際である。

自分に働きかける神意の深さ読み取れないというのは、
結局、苦労が足りないからである。

神と共に生きる人は、この世で最も強い人である。

最後に残るのは、神と自分だけである。