統合的/全人的な実践の重要性・必要性について

なぜ、ヴィパッサナー瞑想、内観、ボディワークの統合的実践(双習)がそれほど重要なのでしょうか?

まず根源の側から語るなら、気づきそれ自体が、そもそも(元々)全体的/統合的なものとして存在しているからです。
それは、心/身体、瞑想/ボディワーク、認知/情動系、知/情/意などと分離していない、分化する以前の、ひとかたまりの世界から流れ出ているものであるからです。
それが根本としてあります。

次に、分離した側から語るなら、ココロの領域の開発訓練(瞑想・内観)と、カラダの領域の開発訓練(ボディワーク)、知覚・認知系の技法― この宇宙の創造者・独在者としての私へ向かうワーク(ヴィパッサナー瞑想、禅)と、認識・情動系の技法― 社会的関係性・他者の存在に眼を向けたワーク(内観)と云う、異なった領域を扱う、異質な(矛盾した)構造を持つ技法同士の双習・組み合わせ・掛け合わせは、より深い、より強烈で根源的な自己(世界)認識を与え、より先の風光を見させてくれるからです。(左右の足の歩みの如く、車の両輪の如く)

それは、(少し古い言い方ですが)弁証法的な拮抗のプロセスとして、正(テーゼ)・反(アンチテーゼ)と云う、矛盾したものの鬩ぎ合いによって力と深みを増し、より上位の統合(合、ジンテーゼ、止揚)・洞察・認識へと至ります。

* ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン(aufheben,止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」(否定する)と「持ち上げる」(高める)という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。 なおカトリックではaufhebenは上へあげること(例:聖体の奉挙Elevation)の意。 【弁証法 – Wikipedia】より

し‐よう【止揚】‥ヤウ〔哲〕(Aufhebenドイツ 「廃棄」「高めること」「保存すること」の意)
ヘーゲルの用語。弁証法的発展では、事象は低い段階の否定を通じて高い段階へ進むが、高い段階のうちに低い段階の実質が保存されること。矛盾する諸契機の統合的発展。揚棄 ようき。【広辞苑 第五版】より


身体系の技法(ボディワーク)に関しては、もし、その方が、一週間以上のリトリートを行なっても、特に腰も肩も凝ることなく、痛みやコリ、不快感を覚えない「恵まれたカラダ」を持っておられる方であれば、必須ではないかも知れません。
ただ言えることは、気づき-洞察モードの意識状態を存在に定着させるには、自分の身体自体が、それの受け皿となれる気づきのレベルに居なくてはならず、それができていない限り、気づき-洞察モードの意識は常に不安定で、一時的なものであり、存在(身)に定着しません。
身体の気づき-覚醒を伴わずに、安定した気づき-洞察意識は無いからです。

また、ボディワークの良い所(存在価値)は、瞑想や内観で分かったと思っていることが本当に存在に定着しているか、本当に身体で証明できるか、頭でっかちの観念優位になっていないか、を実際のカラダの動きによって、あるいは他人との手合わせによって、誤魔化しようもなく確実に点検・検証できる所にあります。
「グラウンディング」「センタリング」など精神世界ではありふれた言葉を、本当に自分の体で実証できているのかどうか。
これは、ともすれば観念的な理解・了解・独りよがりに陥りがちな私たちにとって、大きな安全装置・自己チェック機構となります。

よって、この三つは、「これ以上絞れない、三位一体、最低限の三脚である」と言えます。

統合的な実践に関する参考書として、『実践 インテグラル・ライフ-自己成長の設計図』 を挙げておきます。

訳者の方の後書きから一部抜粋。 (カッコ内は引用者・霊基による補足)

「この作品で著者たちが言おうとしていることは非常にシンプルなものです。
すなわち、人間の中には「ボディ(身体)」「マインド(理性・知性)」「スピリット(精神性・魂)」「シャドー(潜在意識・自我の影の部分)」と云う主要な4つの部分が存在しており、私たちが真に包括的・永続的な治癒と成長を実現するためには、そられ全ての領域の実践に同時並列的に取り組むことが必須となる―と云うことです。
…現在の市場には、即効的な能力開発(問題解決)を約束する無数の関連書籍や研修が存在しています。ただ、一瞥すると明らかなように、それらの大多数は、ある特定の技法や方法を紹介しながら、それこそが真の成功や成長を実現するための方法であると主張するものです。
しかし、人間とは非常に多面的・重層的な存在であり、そうした少数の方法だけを実践することだけでは、そこに真の治癒と成長を実現することは到底できません。
…そこでは、自己を完全に指導者や伝統に明け渡すのではなく、自身の欲求と状態を的確に把握しながら、多様な資源(リソース)を創造的に融合し活用していく必要があるのです。
…ただし、自らの判断に基づいて実践のあり方を構想しようとするとき、そこには往々にして、既存の権威を否定して、あらゆる「型」を拒絶しようとする安易な発想に陥る危険があります。
そうした危険を回避し、世界に存在する豊穣な伝統の恩恵を統合的に活用できるためには、多様な「型」の共存を可能とする包括的な枠組みが必要となります。(この本は)、そうした枠組みを提示するものなのです。」