気づきの言葉

我々は尋ねる、
「如何にして自己中心はなくなるのか? そのために私はいったい何をすればよいのか? どんな修養、どんな犠牲、どんな大それた努力をしなければならないのか?」と。

しかし、そういった意味で我々にできることは何一つない。
ただ自己中心な心の動きを無選択に観察するだけだ。
それも観察者としてではなく、ただ選択者なしに観察するのである。

すると、あなたは言うかもしれない、
「そんな事は私にはできない。私は常に過去に囚われた目でしか物事を見られない」と。

それなら、過去に囚われた目でしか物事を見られないという事実を自覚し、それに留まりなさい。

『クリシュナムルティ・水晶の革命家』高岡光 p11-12より

空虚感や孤独は、自己中心的な活動をする <私> という心によって作り出されたものなのです。
ですから、その心が中心を持たずに見つめる時、自己中心的な活動は終わります。そこに淋しさはありません。

そのとき心は自由自在に働きます。執着と無関心の全構造、苦痛と快楽の運動を見つめるとき、どのようにして、<私>という心がひとりで砂漠を作り出し、また、ひとりでそこから逃げようとしているかが解ります。

<私>という心が静まるとき、砂漠も逃避も消え去るのです。

この古いもの、結晶化したものの粉砕は、一日で果たせるものではありません。絶え間ない、無選択の気づきがなければならないのです。

『クリシュナムルティの生と死』 p148より

あなたは自我を解放できない。
あなた自身がこの不幸の根源である以上、<自我>を滅する方法を求めていては、
他ならぬ自我の滅却過程で、あなたは別の<自我>を作り上げてしまうであろう。

『クリシュナムルティの瞑想録』p47より