死と共に生きる

いま生きているように、活力、エネルギー、人生の苦悩のすべてとともに生きていながら、しかも、死と直面して生きることができるだろうか?
人は、活力、エネルギー、可能性に満ちて生きているが、死とはその生の終焉を意味する。
さて、人は始終、死とともに生きることができるだろうか?
つまり、私はあなたに愛着をもっている、その愛着を落としなさい、と言うことは一種の死ではないだろうか?
ある人が貪欲で、その人が死んだとき、その人はその貪欲をたずさえていくことはできない。
だから貪欲を終わらせることだ。
一週間や十日後ではなく、いまそれを終わらせるのだ。
そうすれば、人は、活力、エネルギー、可能性に満ちた生、注意深い生を生き、この世の美しさを見、そしてまたただちにその終焉、つまり死を見るようになる。
だから、死の前に生きるということは、死とともに生きるということになる。
つまり、それは時間なき永遠の世界に生きているといいうことである。

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死を招くとき、すなわち自分がつかんでいるものすべてを放し、日々刻々それに訣別するとき、自分は見出すだろう。
いや、そうなったら自分ではない、見出す自分自身というものはもはや存在しない。
なぜなら「自分」は消え去ってしまったからである。
そうなったら、われわれが「時間」として知っている運動は存在しない。
永遠の次元という状態がある。
それは、自分の意識の中身を空っぽにしたために、時間がいっさいなくなったことを意味する。
時間が終焉する―それが〈死〉である。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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