時間の終焉

感傷なしに、論理的に、厳密に見るならば、いったい心理的な時間というものがあるだろうか?
心理的な時間があるのは、〈あるがまま〉から逃げるときだけである。
心理的な時間があるのは、たとえば自分は暴力的だと気づいて、
次にどうやって暴力から離れるかということに取りかかるときである。
その〈あるがまま〉から離れてゆく運動が時間である。
しかし、もし全面的かつ完全に〈あるがまま〉に気づいたら、
そのときにはそのような時間はいっさいなくなる。

日々の生活において、この状態からあの状態へと動く運動としての時間が消えてしまった生き方がある。
それをするときには何が起こるのだろう?
あなたは途方もない活力や明晰な感覚をもつようになる。
そうなったら、あなたは観念をではなく、事実だけを扱っている。
しかし、たいていの人たちはさまざまな観念のなかに閉じ込められている。
そしてその生き方を受け容れてしまっている。
その観念の牢獄を破壊することは非常に難しい。
だが、それを洞察することだ。そうすればそれは終わる。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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