被災地の映像を見て 1

何日か前、私は「被災地の皆様へ お詫び」と云う文章を書きましたが、
あのとき、ショックを受けた震災映像とは、
街中まで津波が押し寄せて、メリメリといつも住んでいる町並みが飲み込まれていく情景、
また、その後の、泥一色のペローンと舐め尽くされた(あるいはグチョグチョの残骸だけになった)情景、でした。

これが自分の土地・家で起こったことだと考えたら、とても復興頑張ろうとは思えようもなく、
自分だったら、もうやる気しなくて、めんどくさくなって、そのまま人に気づかれないように海にでも行って身を投げて、津波の被害者、行方不明者の一人になった方が楽じゃないかな、と正直思いました。

私たちが、死にたいときに自殺を思い留まる理由のまず一つに、「職業的な責任感」があるでしょう。
もし、私が、この町の町長さんであれば、幾ら死にたくとも、いま自分だけが死んで逃げるのは無責任だから、自分の気持などおいといて、いまはひたすら頑張るでしょう。職務を果たすでしょう。

では、会社も全て無くなって、その「職業的な責任感」を負う立場にない人の場合はどうでしょう。

その場合に残るのは、家族を(親を、妻・夫を、兄弟を、子供を)悲しませたくない、と云う思いでしょう。多くの方が、これで自殺を我慢しています。

しかし、今回の震災の場合、もし家族皆を失っており、自分だけが残っている方の場合には、この抑止力は働きません。

自身のこれまでの何年(何十年)かけて築いてきた財産、愛してきたペット、大事にしてた車、お気に入りの服、パソコン、CD、DVD…、それら全てを一気に失い、そして、それら全ての愛着・財産・宝が、一夜にして片付けなくてはならないゴミになると云うのは、(それだけでも)想像を絶するキツさでしょう。

また、未来の夢、将来の展望、これまで積み上げたきたものも、
すべて失われている方も、多いでしょう。

私がこれらの映像を見て思ったのは、
今回の事態では、自殺を選ぶことも良しとするべきだ、と云うことです。
「もう嫌になった」のなら、ひとり静かに消えていくことも、許してあげるべきだと思うのです。

また、被災地を捨て、他所に逃げる、他所で新たなる人生を始める選択も、
許してあげるべきだと思うのです。

それを「弱い」と云えるだけの強靭さは、私自身持っていません。

これから被災地の復興に取り組まなくてはなりません。
元気を出さなくてはなりません。
しかし、「もう良いです、疲れました、嫌になりました」と
静かに消えていこうとしている人が居るならば、いたわりの気持を持って、やさしい気持で、気がつかないふりをして見送ってあげるべきだな、と感じたのでした。
その絶望を本当には知らない私には、それ以上のことは言えない、言ってはいけないのだと理解したのでした。