安定と恐怖

人間の頭脳は、たえず安定を求めるという習慣によって、機械的になってしまった。
機械的だというのは、一定の限られた様式に従うということ、
その様式を日々の生活の日課において何度も何度も繰り返すということである。
そこには快楽の反復や恐怖という重荷の反復があり、それを解消することはできない。
だから、しだいに頭脳あるいは頭脳の一部は心理的と同様生理的にも機械的になり、反復的になったのである。
人は信仰や教義やイデオロギー、つまり、アメリカのイデオロギー、ソ連のイデオロギー、インドのイデオロギーなどの型にとらわれている。

そこには快楽、つまり性的な快楽、達成の快楽、所有の快楽、愛着の快楽などの反復がある。これはすべて反復的だから、頭脳の退化を引き起こすようになる。反復的過程としての快楽の追求と、それがもたらし、人がまだ解決していない恐怖という重荷があるかぎり、頭脳は退化する。人はその重荷を離れ、逃避し、それを正当化するけれども、依然としてそれは残っている。

われわれが、人々、観念、象徴、概念などに執着するのは、そういったもののなかに安定があると思っているからである。
何かの関係のなかに安定があるだろうか?
自分の妻や夫のなかに安定があるだろうか?
その「安定」の本質は、実際は執着である。
妻や夫などのなかに安定を求めたら、そのときにはどうなるだろうか?
人は合法的にあるいは非合法的に所有する。
所有があるところには、それを失いはしないかという恐怖があるにちがいない。
したがって、そこには嫉妬、憎しみ、離婚、といったさまざまなものが出てくるにちがいない。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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