観察する自由

明晰さは、観察する自由があるときはじめて存在する。
人は、完全で全面的な自由があるときはじめて、観察し、見つめ、見守る能力をもつ。
さもなければ、観察してもかならず歪みが生じる。
自分の視野に歪みをもたらす要因のすべてから自由になることは可能だろうか?
自分、他者、社会、環境、そして世界で行われているすべての文化的、政治的、宗教的運動―
いわゆる宗教的運動―を観察するとき、いかなる先入観もなく、いかなる立場もとらず、自分自身の個人的結論、信仰や教義、経験や知識を投影することなしに、観察することができるだろうか?


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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