善と悪

意識のなかには、善と悪という二元性がある。
われわれはつねに善の眼で見ると同時に、悪の眼でも見る。
だから葛藤が生じる。
いまや、葛藤を消し去ることが可能なのは、まったく無選択に観察するときだけである。
ただ自分自身を観察することだ。
そのようにして、あなたは善と悪の葛藤を消し去る。

理性や論理は、まだ人間のさまざまな問題を解決していない。
そこでわれわれは、生の問題や苦悩すべてに対するまったくの別の取り組み方があるかどうかを、見出していこうとしている。
われわれは理性を超えた何かに出会わなければならない。
なぜなら、理性は政治的・経済的・社会的問題をまだ何ひとつ解決していないし、二人の人のあいだの身近な人間的問題も解決していないからである。
われわれが、断片化しつつある世界、住むにはあまりにも狂気じみて、無秩序で、危険な場所になっている世界に住んでいることは、ますますはっきりしてきている。
ある地点までは、論理的にまともに、全体的(ホリスティック)に理性を用いなければならないが、その地点を超えると、おそらく別の精神状態、別の精神の質を見出すだろう。
その精神は、いかなる教義、信念、経験にも縛られないがゆえに自由に観察し、その観察を通して「あるがまま」を正確に見、同時にそれを変えるエネルギーがあることを見出すのである。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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