全的な観察と秩序

秩序とは、日々の生活における調和を意味する。
調和は観念ではない。
われわれは観念という牢獄にとらわれていて、そのなかには何の調和もない。
調和や明晰さとは、物事を全体的に見ること、
生を全体的で統一的な運動として観察することを意味する。

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生をひとつの全的(トータル)な運動―
そのなかにすべてが含まれていて、善と悪、天国と地獄という分裂がいっさいない全的な運動―
として取り扱うことがいかに重要であるかを見ることだ。

自分の友人、妻や夫を観察するとき、
その人間関係のなかで全体的に見ることができるように、
全体的に見ることだ。

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そこで生を、ばらばらではない、全体的で、継続的に流れる全的な運動として、観察してごらん。「継続的に」と言っても、それは時間的な意味においてではない。
ふつう、「継続的」という言葉は時間をその裏にふくんでいる。
しかし、時間的なものではない継続性も存在する。

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無秩序があるところ、そこには当然、葛藤がある。
絶対的な秩序があるところ、そこには何の葛藤もない。
そしてそこには相対的な秩序ではなく、絶対的な秩序がある。
それが、何の葛藤もなく、自然に容易に生まれることができるのは、
ひとつの意識としての自分自身に気づくときだけである。
混乱、動揺、矛盾に気づき、外面的にも内面的にも何の歪曲もなく観察するときだけである。
そうなったら、そこから自然に、優しく、容易に、不変の秩序が生まれる。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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