生と死

そこで我々は、どんなイデオロギーも結論もなしに、こう問いかける。
「死とは何か? 死ぬ当のもの、終わる当のものはいったい何か?」
人は、継続的なものがあればそれは機械的になる、ということを見る。
あらゆるものに終焉があれば、新しいはじまりがある。
もし恐れていれば、そのときには、とうてい死と呼ばれるこの広大なものが何であるかを見出すことはできない。
それは途方もないものであるにちがいない。
死とは何かを見出すためには、死の前に、生とは何かということも追求しなければならない。
人はけっしてそれをしない。
けっして、生きることとは何かを追求しない。
死は避けがたいものである。
しかし、生きることとはいったい何か?
この途方もない苦しみ、恐怖、心配、悲しみ、そういった類のものすべて―これが生きることだろうか?
それに執着するために、人は死を恐れる。
生きることとは何かを知らないから、人は死とは何かを知ることはできない。
それらはともに進む。
生きることの完全な意味とは何か、生きることの総体性(トータリティ)、生きることの全体性(ホールネス)とは何かを、見出すことができたら、そのときには、人は死の全体性を理解することができる。
しかし人はふつう、生の意味を追求することなく、死の意味を追求する。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
http://4652.cocolog-nifty.com/blog/cat38192765/index.html