気づき

完全な留意があるときには止滅し、留意がないときには涌き上がる、この思考の本性は何か?
人は何に気づくべきかを理解しなければならない。
さもなければ、留意の重要な意義を完全には理解できない。
〈気づき〉という観念があるのか、それとも気づいているだけなのか?
そこには違いがある。
気づいているという観念か、それとも気づいているという状態そのものか。

〈気づく〉とは、自分に関する物事、自然、人々、色彩、樹々、環境、社会的構造などあらゆるものに対して鋭敏であること、いききと敏感であることを意味する。
そして、起こっていることすべてに対して外面的に気づくと同時に、内面的に起こっていることに気づくことである。
気づくということは、心理的に内側で起こっているものと同時に、外側で環境的、経済的、社会的に起こっているものに対しても鋭敏であること、知ること、観察することである。
もし、外面的に起こっていることに気づかないで内面的に気づきはじめたら、そのときには人はむしろ神経症的になる。
しかし、もしできるだけ多く世界で起こっていることに気づきはじめて、そこから内面へと向かうなら、そのときには人はバランスを保っている。
そうなったら、自己欺瞞という可能性はなくなる。
人は、外面的に起こっていることに気づくことから始めて内面へと向かう。
あたかも潮の満ち干のように、そこには絶え間ない運動がある。
そうすれば、そこには欺瞞はない。
外側で起こっていることを知って、そこから内側に進むなら、そのときには拠り所を得る。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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