快楽と法悦

慈悲心、あるいは愛は、快楽だろうか?
あらゆる人間が、どんな犠牲を払っても求め、追っている快楽の意義、意味はいったい何だろうか?

快楽とは何か?
財産から生まれる快楽、能力や才能からくる快楽、他人を支配する場合の快楽、政治的、宗教的、経済的に大きな権力をもつことの快楽、性の快楽、金銭が与えてくれる大いなる自由感という快楽―さまざまな種類の快楽がある。
快楽のなかには享楽があり、もっと進むと法悦(エクスタシー)がある。
歓喜や法悦の感覚がある。
法悦とは、自分自身を超えているということ、喜ぶ自分はもういないということである。
自己、つまり〈私〉、自我(エゴ)、個人性、はまったく消え失せ、その外側にいるという感覚だけが残る。
それが法悦である。
だが、その法悦と快楽とはまったく関係がない。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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