記憶と恐怖

絶対に必要なものだけを記録し、ほかのものはいっさい記録しないということが可能だろうか?
たとえば、こういうごく単純なことを例に取ってみよう―
たいていの人たちは、何かしら肉体的苦痛を味わったことがある。
その苦痛が記録されて、頭脳は、「明日、あるいは一週間後にでも、こんな痛みを二度と味わわないよう、充分注意しなければならない」と言う。
肉体的苦痛が、歪曲の作用をしているのである。
大きな苦痛があるときには、物事を明晰に考えることができない。
苦痛を引き起こすようなことをすることから自分を守ろうとして、その苦痛を記録するのは、頭脳のはたらきである。
頭脳は記録しなければならない。
それから、その苦悩がふたたび起こることに対する恐怖が生まれる。
その記録が恐怖を引き起こしたのである。
その苦悩を味わったあとで、それを終わらせること、それを続けないこと、それを繰り返さないことは可能だろうか?
もし可能なら、そのとき頭脳は、自由で聡明であるという安定性を得ることになる。
しかし、苦痛がもちこされた瞬間、それはもうけっして自由ではなくなる。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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