心理的な時間

時間は、われわれにとって、年代的にも心理的にも、きわめて重要である。
われわれは心理的な時間に大きく依存している。
時間は動きに関連していて、ここからそこへ動くには時間がかかる。
出かけて、目的地に到達し、目的を達成するには、その距離には時間がかかる。
言葉を学ぶには時間がかかる。
それが心理的な領域に移されてしまった。
「われわれは完全であるためには時間を必要とする。何かを乗り超えるためには時間を必要とする。心配から解放され、悲しみから解放され、恐怖から解放されるためには時間を必要とする」と言うのである。
時間は、実用的な問題において、科学技術の分野などにおいては必要とされる。
その時間に対する必要性が、心理的な生活に取り入れられて、われわれはそれを受け容れてしまったのである。
われわれは民族性を取り払って、人類が兄弟のように親密になるには、時間が必要だと考えている。
心理的な時間とは希望を意味する。
つまり、「世界は狂っている。未来においてまともな世界が現れることを望もう」というわけである。

今、自分に何が起こるかは問題ではない。
重要なことは未来である。
未来のために、世界中の観念論者たちや宗教的教師たちなどによって確立された「すばらしい未来」のために、現在の自分自身を犠牲にせよ―。
われわれはそれを問題にして、はたして心理的な時間というものがあるか、したがって何の希望もないかと問うのである。
「もし私に何の希望もないのだとすると、いったいどうすればいいのだろう?」
希望がそれほど重要なのは、それが人に、何かを達成するための満足、エネルギー、活力を与えてくれるからである。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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