内的な空間

われわれの精神は、知識、心配、さまざまな問題、金銭、地位、身分によって乱雑になっている。
それらはあまりにも重荷となっているので、そこにはまったく空間(スペース)はない。
だが、空間がなければ秩序もないのである。

たとえば、丘の上からこの谷間を見下ろすとき、自分の住んでいるところを見たいから、指向性が出てくる。
そのときには、私は空間の広大さを失う。
指向性があるところでは、空間は限定される。
目的や目標(ゴール)や達成されるべきものがあるときには、どんな空間も無い。
もし人生において精神集中し、生きるための目的をもっているとするなら、いったいそこに空間があるだろうか?
しかし、精神集中がなければ、そこには広大な空間がある。

見る中心があるときには、空間はきわめて限られる。
中心、つまり思考によって組み立てられた〈私〉という構築物がまったく存在しないとき、そこには広大な空間がある。空間がなければ、秩序、明晰さ、慈悲心はない。
努力や意志的行為がいっさいないところ、つまり広大な空間があるところに生きるということこそ、瞑想の一環である。


翻訳家のノート: クリシュナムルティ
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