ラーマクリシュナの福音

一目置いてる、ある方が言ってました。

「ラーマクリシュナを読むのは難しい。
なぜなら、彼は、悟った後、この世界でどう生きるか、ジュヤーナ(智慧)の道を踏破した後に出てくるバクティ(愛・信仰)の話をしているのだが、多くの人は、それを悟り以前の話として読んでしまう。
なので、順序として、まずクリシュナムルティや、ニサルダガッタ、プンジャジなどを充分に読み(それらの知識と経験を充分に積み)、その後で読むべきものである」と。

最近、『ラーマクリシュナの福音要約版〈上巻〉』を手に入れ、読み進めているのですが、その言葉に頷ける気がしてきました。
私は、この本を20代前半で一度読んでいるのですが、それを今のようには読めませんでした。
「神」「愛」「奉仕」などの言葉の一つ一つを深いレベルで理解できるだけの基礎(知識と経験)がない限り、この本の味は分からなかったのだな、と感じます。

ただ一つ感じるのは「彼の教えは普遍性を持つ(わたしたちにも適用可能)だけれども、歴史的人物としての彼の個性は、特異例でしかない」と云う印象です。
この印象は、20年前に読んだときと変わりません。
これは、クリシュナムルティにも同じく感じることですが、
もともと特異な脳を持った変種(良い方向に壊れた特異例)だと思います。
日常的にしょっちゅう神に酔い、外界知覚の無いエクスタシーに入る姿には、異様な感じを受けます。
そこらへんは、余り気にしないで良いのだと思いますが。

日本語訳には、2種類のものがあるようです。

『抜粋ラーマクリシュナの福音』

『ラーマクリシュナの福音要約版〈上巻〉』

『ラーマクリシュナの福音』

ラーマクリシュナの福音 OSHO「私が愛した本」

ラーマクリシュナ – Wikipedia