禅における「気づき」

ヴィパッサナー瞑想の鍵概念である、「気づき サティ、念、mindfullness」、あるいは私の言う「気づく、気づき awareness」と重なる禅の言葉(概念 用語)を幾つか挙げてみます。

覚触 (かくそく・かくしょく)

曹洞宗の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師に始まり、最近では、沢木興道老師-内山興正老師-安泰寺系統で主に使われる言葉ですが、
私はこれを「今の事実(法)に、覚めて、触れる。あるいは瞬間瞬間、今の事実(法)に触れることによって覚める」と読み下し、「気づき」と同義語だと理解しています。
なかなか語感の良い言葉だと思います。

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CiNii 論文 「覚触」考  論文本文(pdf)

安泰寺:坐禅の心構え

もう一つは、飯田とう陰老師-井上義衍老師-発心寺・少林窟道場系統の流れでよく使われる、

即念・息念 (そくねん)
只管 (しかん)

と云う言葉。
これも、「いまの念、いまへの気づき、いま=気づき」の当体を表した、非常に良い言葉だと思います。

その他、抜隊禅師、白隠禅師(正念相続、道中の工夫)東嶺禅師、あるいは至道無難禅師、梅天禅師などの著述・法語を丁寧に読むと、様々な表現で、おなじ「気づき」を説いていることが見えてきます。

また、王陽明の言う「良知」も、どう読んでも「気づき」のことのように思えます。