癌― 祝福された病

癌は、人間の掛かる最も悲惨(苦痛の多い)な病と言われると同時に、最も幸せな病とも言われています。
なぜ、幸せなのかと云うと、交通事故や多くの病は、予期せぬときに、予期せぬ形で、心の支度などできないままに死んでいきますが、しかし、大抵の癌は、自分が、後どれくらい生きられて、どんな状態で死んでいくかを確実に知ることができ、自分の今生の外面的な整理と内面的な整理を充分に済ませ、「そのとき」を万全の体制で迎えることができる病だからです。

ある程度、病状が進行している状態であれば、もう直ることは考えずに、(なぜなら、治癒を期待して生きていると、急激な病状悪化のときに、何時間か以内に命が尽きることの覚悟と受容ができずに、慌ててしまうからです)、いかにして、この自分の人生の終わりを満足して受け入れ、足掻かずに旅立っていけるかだけを考えたら良いと思います。

その心境になれるまでの時間的猶予が欲しいなら、化学療法を受けることでしょう。
が、化学療法を受けるにしても、生き延びられると云う期待と欲望は捨てた方が良いと思います。

そうして、全面的に死を受けられたとき、もし、そうなるのが宇宙の必然であれば、あと僅かの時間を与えられるかも知れません。
しかし、それとても何十年かの話で、最後には、同じ覚悟を迫られる時期が来るのは私たちも同じです。

一番良いのは、集中内観を受けて、その結果、感じ、考えたことをやり終えてから亡くなることだと思います。

ケン・ウィルバーの『グリース&グリッド』と云う、奥さんの癌闘病体験記(最後は亡くなられます)がありますが、なかなか良い本でした。

あと、瞑想系、精神世界系、自然食系の人たちは、癌の化学療法をひどく悪く言いますが、私には、現実からずれていると感じられることが多いです。
実際には、癌に詳しい良い病院で、腕も心も優れている良いお医者さんに現代的な最新の治療を受けるのが生存率的には一番高いでしょう。
その上で、断食や自然食をしたり、瞑想したりを組み合わせられるのが最高ですね。

枇杷の葉温灸は、確かに効くと思いますが、それは癌の初期の治療の一環として以上の効き目はなく、末期の状態では、せいぜい一時的に症状の不快さを抑える対症療法的な意味しか持ち得ないと感じます。それをしていても治癒の確率は低かろうと。
また、「生き延びるつもり」でいると、急に病状悪化して、死ぬかもしれない、となったときに、とても慌てて、心がちりじりのままで死を迎えることになるのは怖いですよね。
死を覚悟していた場合、そのときになっても慌てないし、もし生き延びれたときには、より良い生を生きられます。第2の人生として。

内観は常に「死を見つめての内観」で、いま死んで大丈夫か、覚悟はできているか、を問うものですが、そうであるからこそ、内観後、生を大事に、これまでと違うものとして生きていけるのだと思います。