大燈國師集

投機の偈二つ(26歳のとき)

一回雲関を透過し了る
南北東西活路通ず
夕処朝遊賓主没し(なし)
脚頭脚底清風を起す

……

雲関を透過して旧路無し
青天白日是れ家山(かさん)
機輪通変人の到ること難し
金色の頭陀(ずだ)手を洪(こまね)いて還る

三転語

朝(あした)に眉を結び夕(ゆうべ)に肩を交ゆ、我、何似生(かじせい)。

露柱尽日(ひねもす)往来す、我、甚(なに)に因ってか不動。

若し這の両転語を透得すれば、一生参学の事、畢(おわ)んぬ。

三段同じからず、収めて上科に帰す。

遺誡

老僧行脚の後、或いは寺門繁興、仏閣経巻、金銀を鏤め(ちりばめ)、多衆閙熱(たしゅうにょうねつ)、或は誦教諷呪(じゅきょうふうじゅ)、長坐不臥、一食卯斎(いちじきぼうさい)たとえ、インモに(そのように)し去ると雖も、仏祖不伝の妙道を以って胸間に掛在(かざい)せずんば、即ち因果を撥無(はつむ)し、真風地に堕つ。みな是れ邪魔の種族なり。
老僧世を去ること久しくとも児孫と称することを許さず。

或はもし一人あり、野外に綿絶し、一把茅底(いっぱぼうてい)、折脚鐺(鍋)内に野菜根を煮て喫して日を過ごすとも、専一に己事(こじ)を究明する者は、老僧と日々相見、報恩底の人なり。
誰か敢て軽忽(きょうこつ)せん哉。
勉旃(つとめよや)勉旃。

遺偈

仏祖を截断し 吹毛常に磨す
機輪転ずる処 虚空牙を咬む