集中内観研修後の注意

集中内観研修がうまくいった際の、自宅に戻ってからの注意です。

1.

今回の内観で、大きな認識の転換を経験せられ、今の気持ちとして、「家に帰ったら、まず両親や家族に謝りたい、謝罪したい」などと感じておられるかもしれません。

しかし、仮に、実際に、相手の前で土下座して泣きながら詫びたところで、その言葉がそのとき限りで、しばらくして、また過去の自分の言動・感じ方に戻ってしまっているのなら、相手には「やはり、この人は口だけで、実際には何も変わっていない。内観というのも、結局、一時的な感情の盛り上がりに過ぎないのであろう。良かったのは最初の一週間くらいだった…」などと思われるだけです。

口で言うより何よりも、これからの貴方の長期的な言動・態度の変化が、効果が有ったのか無かったのかの真実を語ります。

つまり、口で美しいことを言うのは簡単ですが、それを長期的な態度・行動の変化で示せなければ、誰も信じてはくれないと云うことです。

2.

…ではあるのですが、自分の気持ち・感じ方の変化は、ことばで表現しなければ、なかなか届かないし、気づいても貰えない、と云うのも事実ではあります。

なぜなら、人は互いに、相手に対して、これまでのつき合いのなかで形成された、「この人はこういう人である」と云う強いイメージを持っており、貴方が相手に対して悪いイメージを持ち、それがある故に、これまでずっと相手を悪く誤解して接してきたのと同じように、相手の方も貴方に対して、これまでの貴方の言動を元に作ってしまった、固定したイメージのフィルターを通して、あなたの言動を解釈するからです。

そのイメージのフィルターは、とても強く、貴方のこの先の言動の少々の変化によっては変わらないでしょう。

もし、貴方の態度が内観に行く前に比べてやさしくなったと、ふと感じることがあったとしても、「そんなことはない。この人は昔から酷い人なんだから」「だから、そんなことはない」との強固な過去のイメージ(感情経験の印象)を心の中で覆すことはなかなかできません。

つまり、固定したイメージの強さ故に、少々、そのイメージと違う言動・態度を示したところで、相手には見えない・届かないのです。

クリシュナムルティ 「イメージなき観察」

ですので、もし、いま、貴方の相手に対する認識が間違いなく変わっているのなら、その気持ちがハッキリしている早い時期に、そのことを相手に言葉で伝えるべきです。
「黙っていても、自分の態度・言動が変われば、それを黙って示していれば、いつか相手は分かってくれる」と云う考えは、お互いに相手イメージを強く持っていて、あるがままの現実そのものを見ることの難しい私たち同士の間では、上手くいかないことが多いです。

そして、自分の側は努力して、新しい態度(やさしさ、心遣い、感謝)を示しているのに、相手は相変わらず、いままでの感情と態度と恨みなどで頑なに接せられていると、いつのまにか(内観の効果も薄れてきたころには)あなた自身、元の自分の怒りや自己中心性に戻ってしまうかもしれません。そのとき相手は、「ほら見なさい。やっぱりこの人は変わっていない。メッキが剥がれてきただけだ」と結論づけるかもしれません。

故に、まず自宅に戻ったら早い時期に(心から集中内観直後の新たな認識の実感が薄れてしまう前に)、相手に伝えたいことを言葉によって伝えておくことをお勧めします。

「これまでの、この点に関しては反省しています。そして、これからの自分の生活・態度をこのように改めたいと思います」と云う内容を相手に言葉で伝え、明言することで、その自分の決意は「既成事実」となり、後々まで嫌でも守らないといけない相手に対する「誓い」となります。

それは、内観による変化を定着させやすい状況設定作りの役に立ちます。

そして、相手は、「そんな風に感じてくれた」と云うだけでも、(それが、仮に、今だけのものであっても)やはり嬉しいものです。

また、取り返しのつく過去は、「取り返す」ことも重要です。

謝れる人には、きちんと言葉で謝り、返せるものはきちんと返し、
最終的に、その実際行動が人を変えるのです。

3.

しかし、相手に伝える際の「伝え方」には、充分な注意と工夫が必要です。

家に帰るなり、玄関先で土下座して泣きながら「ごめんなさい!」とかやってしまうと、親や相手は、非常に驚き、変な宗教に洗脳されてしまったのではないか、頭が変になってしまったのではないかと恐れます。

この場合にも、自分の気持ちを正確に表現する工夫と同時に、相手にとって最も良い仕方で伝えると云う配慮、思いやりが必要です。

これ自体が内観の具体的な実践の一つです。

また、研修後のしばらくは「内観ハイ」とも言うべき、意識や感情が異様に高揚し、「感謝・懺悔・有り難さ」がとにかく高まった意識状態が続くので、この状態で、人に合い、心の赴くままに本心を話すのは危険な場合もあります。

私がお勧めするのは、手紙を書くことです。

「どう表現すれば、最も良い仕方で相手に自分の真意が伝わるだろうか、自分の伝えたい本当のところを、相手を驚かさないで、誤解を与えないで伝えるには」と、何度も何度も考え、推敲しながら仕上げ、一日おいて、また冷静に再確認し、完成してから、それを相手にお渡しするのが、最も安全なやり方ではなかろうかと思います。

行き当たりばったりで、何も決めること無しに思いの丈をぶっつけると云うやり方は、自身の思いを正確なかたちで伝えることが難しく、後悔するような結果に終わることが少なくありません。

口頭で伝える際には、事前に頭のなかで充分にリハーサルをし、「どういう切り出し方、どういう言い回しと順序で伝えるのが、最も相応しく、言わんとすることがうまく伝わるか」をしっかりと考えた上で、あとは実際に話しが始まったら、その後の展開は自然な流れ・成り行きに任せて、と云う「人事を尽くして天命を待つ」下準備は必要です。


『春にして君を離れ』 アガサ・クリスティー

私は、この本を「ある、それなりに裕福で人生が順調に進んでいる(夫婦間もうまく行っており、子育ても一区切りついた時期の)中年女性の身に、環境誘発的(自然自発的)に起こった集中内観と、その結末についての話」と読みました。

話の内容・構成・展開の上手さなど、さすがの内容です。
勿論、良い本の常で、全く違う読み方を幾つでも許す作品ですが…

自覚したことの、その後の伝え方の大切さを感じさせられました。