ヴィパッサナー瞑想とは何か?

「ヴィパッサナー」という言葉は、原始仏教の時代、古代インドで使われていたパーリ語の単語です。
Andersonの『PALI READER』によると、vipassana の vi とは prefix to verbs and nouns、つまり動詞や名詞の前につく前置詞であるそうです。
その意味は、”asunder, out, away, about”あるいは”in various directions”とあります。
名詞と共に使われるときは、しばしば”negation, separation”という意味。
動詞と共に使われるときは intensity 「強調」を意味するとあり、例として vipassati という動詞が出ています。

passana は passati という動詞から来る名詞です。
passati を辞書で見ると、”to see, look at, consider, perceive, notice, find out”という訳語が出ています。
大体において「見る」「観察する」「気づく」という意味です。

この vi と passana をあわせてみると、vipassana は「くわしく観察する」「細かく分けて、よく見る」「特別な観察」という意味だと分かります。

* “vipassana”と”passana”の最後の”a”の上に、横棒を引ければ、より正しいパーリ語の表記になります。

下記ページの左段、下から3つ目の見出しをご参照ください。
http://www.manduuka.net/pali/ptsdic/jpg/638.jpg
(「PTSパーリ語辞典」より)

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上座仏教の瞑想法は、大きく2つに分けることができます。
サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想です。

サマタ
瞑想とは、ひとつの対象に意識を集中し、絞り込むことによって、主客未分の統一状態(=三昧、禅定 )にまで意識を持っていくための技法です。これは、たいへんに集中され統一された鋭い意識の状態ですが、これだけでは(原始仏教が言う意味での)悟りに至ることはできません。観察がないからです。そこでヴィパッサナー(現象の観察-行)の出番となります。

ヴィパッサナー瞑想は、徹底的に観察することを― いま現に起こっていること、いま現に自分が経験している現象・事象を― ありのままに、是非判断することなく観察し抜くことを要求します。

具体的には「身・受・心・法」― 身体感覚、感受・知覚、思考・感情・欲求などの心の動き、そして最終的には、あらゆる心身内外の現象― を随観していきます。そうして、その実態を見抜いていくのです。

仏教の実践は「三学」という言葉によって言い尽くされるでしょう。
「戒・定・慧」―戒を守ること・定を確立すること・そして、自己観察→自己理解(洞察)→自己変容(解放)の道筋です。

まず持戒への誓いを立て、行為のレベルで生活を(こころを)整えていきます。
さらに禅定の修行によって定から慧へ。
研ぎ澄まされた意識をもって、あるがままの現実を観察していきます。
その結果、深い自己洞察、理解、智慧が生じるのです。

現在、世界に広まっているヴィパッサナー瞑想のほとんどは、ミャンマーの僧侶、マハーシ・セヤドーの教えたシステムか、あるいは同じくミャンマー政府の高官であった在家の指導者、サヤジ・ウ・バ・キンの教えたシステムかに分かれています。

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※ 以上の文章は、こちらの内容のリライトです。お世話になりました。
What is vipassana?