10日間内観コース 33歳女性

* この体験記は、屋久島時代のものであり、現在(広島県 宮島)とは、設備・環境等に違いがあります

私は、数年勤めた職場を身体の不調から退職したばかりでした。

以前に、この屋久島の研修所のことを友人から聞いていましたので、この機会に自分と向き合うチャンスだと感じ問い合わせたところ、つい30分前にキャンセルが出たばかりで、幸運にも予約をさせて頂くことができました。

屋久島に着いて一日目は夕方でしたので、西部林道を回り途中で海が美しい場所で車を降りて、海の写真を撮りました。

sea

研修の初日は、まず洗腸を行い、お腹の中を綺麗にしました。

続く二日間はスープのみのほぼ断食でしたが、ここ一月の間玄米スープを食べたりしていましたので、身体はすぐに慣れる事ができ、思考もはっきりとし、身体も軽く感じました。


まず初めに、母に対しての「して頂いた事」「して返した事」「迷惑をかけた事」の内観を行いました。

最初は正直言って、根っからのクリスチャンで絵に描いたように完璧な忍耐と道徳心を持っている人とイメージしている母が、私から見てどんな母だったのかに、余り興味は湧いて来ませんでした。
母に対しては、頭に病気を持っている父を何十年も病気だと疑わずに生きてきて、その影響が家族全員の心に深い深い傷を与えた事に対する責める気持ちを抱いていました。

何度も繰り返し母の事を思い出すことで、段々と暗い闇の中から浮かび上がって来た事実は、母がこれまで、私に何度食事を作ってくれていたのか? という疑問に対する答えでした。

これまで食事を作ってくれた回数…それは、ほぼ一万回でした。

母は、私という子供を難産で産んでくれてからと云うもの、私が言うことを聞かない時も、母を責めた時も、職場の悪口ばかり言っている時も、母の体調が悪い時も… いつも私の為に食事を作ってくれていたのです。

そんな事に気がつかず、私は母を下女のように勘違いし、そんな事して貰うのは当然だとでも云わんばかりの態度で、これまで甘えに甘えて生きてきたことに気がつかされました。

これはその時、自分の中に沸き起こってきた気持ちを書きとめた文章です。

食物とは愛

生命の初めに母の胎内でへその緒から栄養を頂いていた様に…
この世に誕生してからも、それは永遠に続いている。
母とは生命の栄養を与えてくれる存在
この地上をあらわしている。
人として生きて、片時もこの母の愛に、お世話にならずにすむ事は無い。

母の愛に感謝すると共に、
全ての生き物、太陽、自然、水、
全てに感謝する事が
最も大切な真理だ。

内観をして、断食の最中に先生の作ってくださる味噌汁一杯を頂きながら、私は食べ物とは母なのだと心の底から感じました。

断食をすることと、内観を通じて精神を集中すること、この様な環境の中では味覚は驚くほどに研ぎ澄まされるものだと先生は説明して下さいましたが、それにも増して気づかされたのは、「食べ物とは、その最も美味しい状態で私たちの口に入るように計画(設計)されている」という事実です。

食べ物が私たちの口に入るまでに、どれだけの自然の働きかけと、作る人の労苦と、流通させる人の手間と、そしてそれを心を込めて料理してくださる方の手間があったかを考えると、そのような貴重な宝を、私のような中途半端で、他人に感謝する気持ちなどほとんどまともに持ち合わせていない人間が、当たり前の顔をして食べてていいのだろうか、、、と真剣に思いました。
このとき初めて、頂きますと手を合わせることの意味を感じることができました。

一口目で、自分の中の全ての悪を断ち
二口目で、全ての善と徳を積み、修め
三口目で、全ての人々を救う為の奉仕へと進み
そして全ての人々が本当の幸せ、安らぎ、平安を得ることができますように。

最初に渡された、食べ物に対する内観の手引きのような資料 (「食とからだのアファーメーションーメーション」) の中にこの一節があり、私は何度も何度も繰り返し唱え、それが日常でも繰り返せる様に覚えようと思いました。

食べ物を頂くときは、母を頂いているような気持ちで、その母の惜しみない愛情に応えられる自分でありたいと、そう感じました。


研修4日目は、母と同じく、父に対する内観を行いました。

父は… 私の中に、父に対する思いが長年の間、解消されないまま蓄積されているだろうとの予想はしていましたが、内観が進むに連れて、自分の中では思い出したくない、とても辛い出来事の記憶に差し掛かったとき、もやが掛かったように思い出しにくくなりました。
しかし、それでも時間をかけて思い出していくにつれ、その時の自分の感情も、その場の空気も、全てがありありと蘇ってきました。

時間ごとの先生の面談でも、私は涙無くして話すことができませんでしたが、そこを過ぎて、さらに父親に「して頂いたこと、して返した事、迷惑かけた事」を思い出し続けていたら、私の中でこれまで気がつかなかった大きな事実に対して心が開けてきました。

それは、父がどんな時でも私という子供を成長させよう、見守ろうとしていて下さり、辛い単調な、人が誰もやりたがらないような仕事を何十年もコツコツとやり続け、そして私たちを人並みの生活水準で生活させてくれ、養ってくれていたということです。

父は重い病気であって、時として病気に振り回されながらも、全ての子供達が義務教育を終え、そして社会に出て働き成人するその時まで、途切れること無く私たちを飢えから守り、屋根の有る暮らしを与えてくれ、必要な時には物を買い与え、そしてそれに対して「してやった」という気持ちを私たちに感じさせる事も無く、これまでずっと私達を支えてくれていた。

その事実に気がついたとき、私がこれまで父に対して感じてきたこと、恨みに思っていたこと、病気で発病して私たち家族を苦しめて来たことに対する、言葉にならないような責める気持ち、その他沢山の、私が父に対して感じてきたこと・してきたことが、父の私や家族に対する大きな太陽のような愛情に比べて、なんと小さく自己中心的で、感謝を知らない感情であったのかを理解したのでした。

このとき、声にならない嗚咽の塊が私を襲ってきて、父に対する申し訳なさに、一時間以上も激しい慟哭が止まらなくなりました。

それと共に、長年私の右肩に重くのしかかっていたような感情が空へと消えていくような感覚に襲われました。
右肩の「こり」は、父の私に対する悲しみ、私の父に対する表現できない愛の感情だったのだろうか? とその時、感じました。


研修6日目から、これまでの仕事・職業に関しての「して頂いた事・して返した事・迷惑かけた事」の内観でした。

これまでの人生で私は職場を短期のアルバイトも含めると30箇所は経験しています。
これは普通に考えてとても多い方だと思います。
私は飲食店の経験も長く、その後は販売、主に接客に関わる仕事を通してこれまで収入を得てきました。
その中で私は自分の思う通りにならない事があると、原因を自分の内部に求めずに、常に外部に求めて、職場の人間関係の理由で退職する事が多かった様に思います。
何か事があると、もう自分はそこの職場に相応しくないような気持ちになり、もっと自分にとって相応しい場所に行こう、という様な、全くお気楽で、なおかつそのつど本気で仕事内容を教えてくれる先輩たちの手間や骨折りなど、まったく深く考えることも無い状態のまま、転職に次ぐ転職を繰り返して来ました。

私が最近まで勤めていた会社も、私が求めた通りの素晴らしい会社でした。
内観をしていてそれがはっきりと解ったのです。
私は、その職場の事を内観で思い出していたとき、大きな事実に気がつきました。

それは、「私がこれまでしてきた仕事はどれもこれも、私が望んだ通りの職場だった!!」ことです。
それだのに私は、自分の事しか考えていなくて、その事実に気がつかなくて、自分中心の狭い世界で生きて来たものだから、周りの人たちの感情にも無頓着で、周りの人たちの感情など思いやることも全くできていないから、トラブルばかりが起きていたのだ…と。

それと同時に、自分の考え方だけがこの世で正しい答えなのではなく、人それぞれに考える答えは違うのだということ。
私は人を裁いてばかりいた。
私から見た相手は、いつも間違ってばかり、そう思っていた。今の今まで。

職場に対する内観をして、自分と他者との意識のずれから問題が起こる事を発見しました。
いや、発見したというよりも、私には決定的に欠けていた物が有り、それが他者に対する「思いやり」という心であったと、ここではっきりと理解しました。
それは自分にとっては、これでもかと言うほどに、辛い現実の私の姿でした。

そしてその後、先生が言われていた、「とにかく数を沢山思い出して、それに集中して下さい」という言葉… 数が沢山になると、量が質に転換される瞬間がやって来る。
「そのとき」は、静かに近づいてきました。

これまでの職場を一つ一つ丹念に思い出し、3つの項目に振り分けて考え、そしてその職場の数は30近く有りました。

その作業が終盤に差し掛かる頃、その変化は少しづつ起こり始めました。

その内容とは、私が母や父に対する内観を通して母や父の与えてくれる愛情が、自分の理解していた物よりも遥かに大きく、深い物であると学んだことに繋がっていました。

私が仕事を通して学んで来たこと、そして成長させて貰ったこと、お返ししたことは僅かかそれ以下、迷惑かけたことは他の何よりも沢山有りました。

その全てを通じて浮かび上がってきたのは、私を成長させ、失敗を沢山経験させ、自分の至らなさを認識させ、未来への希望を抱かせて来た何かが有り、それは私を大きく成長させようとする働き掛けなのではないか、と。

それは何か? 父や母の存在を超えてもっと大きくて、普遍的な物とは?

それは父や母の自分に対する愛情や保護を超えた、更に大きな愛そのものではないだろうか。
私がこの世に生まれたときから、もしかして生まれる前から私を認めていて、導いてくれている存在とは…

それこそが私達が日頃‘神’と呼ぶ存在では無いのだろうか? と私は真剣に思いました。

‘神’又は‘宇宙’の存在、それは私の願いに確実に答えてくれているという確信。

宇宙は私の願いをすべて叶えてくれているのに、それを与えられた私の方では、小さな自己に囚われていて、それを上手く使いこなす事ができない。

私のこれまでの人生は、その果てしない繰り返しであったことが、今やっと理解できてきました。

そして、宇宙の与えてくれた贈り物を使いこなせない私は、他人を恨み、親を恨み、そして最終的に自分自身の身体を駄目にしてしまい、自分にとっての最高の職場を私自身の手で失う方向に持って行ってしまったのだと。

悔やんでも悔やみ切れない。
それが私の真実の姿、それが事実。
私という人間は、何てまあ愚か者だったのだろう。

私はこれまで自分という人格を有る程度信頼して生きてきたけど、それは何とメクラの状態でしか無かったのだろう。

この研修に参加する数ヶ月前に、私は何かに悩んでインターネットでこんな文章に出合っていました。
とても良い内容だったので、紙に書き写していたのですが、この体験記を書く時になって、突然ひょこっと出てきました。
余りに今回の内観で体験した内容と似通っているので、一部抜粋してみます。

煩悩についてチベット人の僧侶が書かれた文章です。

人は誰でも自己中心的で、自分のことばかり考えている。
これを仏教では「煩悩の魔」と呼ぶ。その悪霊は、怒りや執着として現れる。
人は欲望や怒りに駆られたときには、心が冴えて、いくらでもそのことを考えたりする。
疲れも覚えず、楽々といつまでもそのことを考える事ができる。
だが、いったん何か肯定的で、人の為になる事を考えると、すぐに疲れを感じ、退屈になって、明晰な状態で長く考え続けるのが困難になるものだ。

これは煩悩のせいだ。仏教では利己心や執着心を悪霊というのだが、ではこの悪霊とは一体どこから来るのか?

それは、この世のありとあらゆる全ての現象への誤った見方から来る。
特に自分というものが本当はどんなふうに存在しているのかを知らない事から来る。
これを仏教では「無明」という。 —- ゲシェ・ソナム・リンポチェ

私は特にこれまで仏教徒だったわけではありませんが、この言葉は内観を終えた今の私には、疑いようのない事実として読めます。
この文章によるならば、まさに私は33年間無明でした!


この9日間の内観を通じて、先生が与えてくれる、その時その時の私の内観の進み具合に応じた適切なアドバイスと、屋久島の明暗に満ちた奥深い自然、心のこもった美味しい食事。
そして何よりも、自分とは何なのか? を、この9日間の内観研修で突き止めたいと願う私の意志が、色々な環境を味方につけて、ここまで学ぶことを可能にしてくれたのだと思います。
そして、先祖の方々。
私の身体は全て、私以外の全ての生き物の力でできています。

私の力でできることといったら、与えられた物を食する以外には何もできません。

最後に研修中に沸き起こってきた気持ちを書き添えて、私の内観研修体験記の締めくくりとさせて頂きます。

この身体は
自分以外の全ての生き物から頂いた命で成り立っている。
この身体を保ち、動かす為には
自分以外の全ての生き物の助けを借りなくては動かせない。

この身体は私の物ではなく、私という個人を成り立たせる為に
自分以外の全ての生き物・物質・その他の自然界の現象全てが集結したものだ。

この身体は自分以外の全ての命だ。

この度は適切なご指導と心の篭もった本当に美味しい手料理の数々を味わせて頂き、人生に於いて、とても貴重な、宝となる時間を過ごすことができました。

そして研修所の猫・まりんちゃん。
私が父のことを想い激しく泣いていたときに、そばに寄って来て、驚きですが私を抱きしめようとしてくれました。何度も何度も。
動物にも情があるんですね。
私はとてもびっくりしましたが、屋久島でこんな素敵な道場で日々先生と暮らしている猫ですから、進化していたとしても不思議は無いかも知れません。
いつか悟りを開く日が来るかも。ニャムアミダブツ~とか云って。^^

では、また先々でお世話になる事も有るのではないかと感じますが、その時はどうぞ宜しくお願いいたします。

先生が言われていたように、内観には終わりがない。
研修を終えて家に帰っても、内観はずっと続いている。
確かにその通りだと感じています。

日々内観を深めて、日常の中で本当の自分を見つめながら社会に役立てる日が来ますように。

ありがとうございました。

2010.9.20(明け方 記)