内観研修を終えて 25歳女性

* この体験記は、屋久島時代のものであり、現在(広島県 宮島)とは、設備・環境等に違いがあります


何を書けばいいのだろうか。
この感想文は、研修後、一週間という時が過ぎた今、こうして書いている。
研修直後に書き残していた、まとまりのなかった感想を、今、私が感じていることと共に書いていこうと思う。

内観研修の最終日、夜、休憩を挟み、軽い食事をとった私は、それまでピンと張っていたものが緩んでしまい、少し横になるつもりが、どうにも体を起こす力が失せ、思い出そうと集中するも、頭はシンとして、何の映像も出なくなってしまっていた。
そして、朝まで起き上がらなかった。
朝、目覚めると、いつもと変わらぬ朝なのだけれど、研修は終了していた。
なんとも変な気分だった。
ここでの研修は終わったけれど、内観という作業が当たり前に私の中に組み込まれていた。

はて、私は何か変わったろうか? 正直、私自身、何がどう変化したのか…わからなかった。
でも、何かすっきりとしていて、海を眺めていると、まるで私が、大きな優しい海に包まれているような安堵感があった。
それは、あたたかく、穏やかなものだった。
そして、私を含め、すべてがはっきりと存在していた。
それぞれが意味をもってはっきりと。
決して切り離しては考えられない存在である。

私は、母に対して三回、あと弟、父、嘘と盗みについての内観をした。
私は、私の家族は皆仲が良く、私自身、家族のことを大好きで、家族間にさほど問題があるとは感じていなかった。
そして、私は母に対して感謝していたと思ってたし、母が私の母であって本当によかったと思っていた。

だが、内観をするにつれて、私が生きてきた25年間という時を思い起こしていくと、とんでもない事実に衝撃を受けた。
それは、これまでの私の行いを根底から否定されるものであった。
私が為してきたことは偽りであったのかと。

私は、母にどれだけたくさんのことをして頂いて、お世話をしていただいていたのか。
母のお腹の中で生かして頂いていたときから、私は、母の生きる道に入り込んだ。
母という人は、決して私を見捨てないという絶対的な存在故に(しかし、絶対的なんてものはあり得ないというのに)、母に為してきた私の行為というものは、どれだけ薄情で、冷たく、とげのあるものであったろうか― 母が注いでくれた愛情を踏みにじるような。
私は、この年になるまで、心底彼女を想い、何かをしてあげようなどと思ったことがあったろうか。そんな想いは湧いても、ほんの一瞬だった。
母が、私にしてくれたこと、私に対する愛情に比べたら、目に見えないほど小さい。
私の母に対する行いのどこに感謝の念があったろうか。
感謝していると思い込んでいた自分自身に、とてつもないショックを受けたのだった。

私は、生きていくテーマとして、愛だの、平和だの、幸(さち)だの… すべてのいのちが幸せであるために私はどう生きていくことが全うか、ということを自分なりに真剣に考えていたつもりだった。
だけど、それもしているつもりだったのだ。
全くの偽善だったというのか…と自分自身に愕然とした。
なぜなら、私のいのちをこの世に導いてくれ、自らの生を私に尽くしてくれていた母の幸せを心から願ったことがなかったのだ。
私は、確かに母の母、そして、またその母…と繋がってきたいのちの恩恵、そしてこの宇宙、地球、大地、海、空気、風、お日様、お月様、動物たち、草木… 私がこの世に生まれてくる前からたくさんの恩恵を受けてきている。
だけれど、母のことを想えていなかった私が、それを超えて、他の何に心から感謝し、想い、尽くしていけるというのか。
私は、自らのことをもわかっていない愚かな人間だったのだ。
そして、傲慢な…。

今回の研修前に、家族間で気になることと言えば弟のことだった。
いわゆる、ひきこもりで、外での社会的活動が一切無く、人との関わりを面倒臭がる。
そんな弟に対して、母をはじめ、私たち家族は、「あとは彼が自分自身で気づくしかない、私たちがどうにかできることではない」という感じで、「まぁ、大丈夫」と見守っていた。
しかし、私は今回の内観で、私の中で変化が起きることで、弟にも変化があるのではないかという期待を少ししていた。

そして、弟に対する内観で、私の弟に対する態度がどれだけ思い遣りに欠けていたか、自分のことを棚に置いて、弟に対して、どれだけ否定的な私がそこに居たか。

弟という人間を、私の主観的な目で見て、弟を傷つけていたことに気づいたときには、本当に申し訳なく、悲しい気持ちだった。

そして、ただ弟がいるということが嬉しく、有難かった。
「あぁ、そっかぁ、そうだったんだぁ、ありがとう」という想いで、ふっと力が抜けた。

そして、嘘と偽りを調べていくと、汚く、醜い私が現れてきた。
私の中では、思い出したくない、消してしまいたい記憶もあった。
しかし、事実がそこにはある。
決してゲームのようにリセットして、消し去ることはできない。
そういう事実があっての、今の自分である。

小さな嘘から大きな嘘、小さな盗みから大きな盗み、大きさはどうであれ、私が生きてきた道は、嘘と盗みにまみれていた。

自己正当化、否定されることへの嫌悪感、自らを受け入れられないが為に、相手を受け入れられない。

罪を罪と思わず、軽く流して、平気な顔して、のんきに生きているわたしに幻滅した。
必死に、一生懸命に、与えられたこの生をもって償うことをしなければ、私が生きていることに何の意味も無い気がした。

自分のことを、ただただ客観的に調べていく作業の中で、見えてくるものがあった。
今回、私の中で湧いてきた想いというのは、宝。
集中内観を経験したことは、はじまりに過ぎなく、一生続くものだということを改めて感じた。
そして、今回の気づきを如何に行動に表していくか。
初めの一歩、踏み出さねばな。
私という存在が、自然であり、害ではなく、多くにとって安らぎや幸へと繋がるように。

霊基さんにして頂いたことは数限りなく、感謝です。
また、屋久島を案内していただけたことも、本当に嬉しかったです。
滝、あの静かな森、ガジュマル、川の音、鹿、猿たち、森からぬけた海。
すばらしかったぁ。

余談になりますが、ボディワークをしていただいたとき、私の体は「健康優良児という感じ」とおっしゃって下さいましたが、その後、体に対する内観をしたときに、その言葉はどんなに有難い言葉であったか、と思いました。

私の体は大喜びだったはずです。
からだが生かしてくれているお陰様で、私の魂は形をもって、この世にいられるのだなぁ。
ありがとう。