知られざる内側世界の冒険 27歳女性

研修申し込みの動機

以前、エックハルト・トール『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』を読み、そこに書かれている「今」の力というのを体験してみたいと思っていました。

仕事を辞めたこともあり、ここで時間をとって自分と向き合いと思い、研修への参加を決めました。

1~3日

研修のはじめは、断食、洗腸など体のメンテナンスが中心でした。

★ 限界を引き出す 断食の世界

最初にメールで確認がありました。
最近は(半年ほど)食べる量も減っていたので、あまり気負いなく断食することを了承しました。
断食の役割は、体を緊急事態モードにさせて、普段眠っている力を引き出すことだそうです。
1日目の体調は、特に変わったこともなく過ぎていきました。

★ 空っぽにする 洗腸の世界

2日目の午前中に、洗腸をしました。
洗腸の話はこのホームページにもありますが、とにかく塩水を飲むのが大変でした。
お腹からものがなくなると、急にヘロヘロになってしまいました。
体に力が入りらない感じで、夕方の散歩に出かけた以外は寝てばかりいました。

★ 変化を拒む 現状維持の世界

2日目の夜に、脈動にラベリングを入れる課題ができておらず、霊基さんから喝が入りました。
この時の私は、体の気だるさに加え、女性特有のホルモンバランスの変化で、ものすごく情動的になっていました。
ラベリングが上手くできていないこともわかっていたので、それもつらくて、「何のために研修をしているのか、別にこんな苦しい思いをして研修をしなくてもいいのではないか」という考えになっていきました。

3日目の朝、私は霊基さんに、研修をやめたいことを伝えました。
霊基さんには「今は断食中だし、2~3日はここで回復食を食べてから帰った方がいい」と言われました。
しかし、私はここから早く出たかったので、無理を言って、携帯できる回復食を用意してもらい、昼には宮島を出ました。

そのまま電車に乗って帰ろうと思いましたが、体調が良くなく、とにかく横になって休みたかったので、宿をとることにしました。
夜になり、ものすごい後悔の念がわいてきました。
本当に迷いましたが、霊基さんに電話をして、もう一度研修したいことを伝えました。
霊基さんは嫌な顔をせず(電話なので、嫌な声ですね)、再開を引き受けてくださいました。
ここに来て今更ですが、「どうして研修をするのか」が確かめられたことは、大きかったと思います。

4~6日

中盤は、とにかく知覚を磨きました。
また、断食明けで、食事瞑想が集中してできた時期でした。

★ 華麗なる 食事の世界

研修に戻り、回復食と同時に食事瞑想がはじまりました。
目を閉じて、お膳に向かいます。
食べ物を食べるときは、噛む度に「噛む、噛む」とラベリングを入れ、食器を取る時にも手の動きを感じながら「感じた、感じた」とラベリングを入れていきます。
普段、生活していれば、こんなじれったい食事の仕方は、きっとできないと思います。
断食の後で「食べたい!」と思う気持ちになっているからこそ、食事瞑想は最大の威力を発揮します。
食事瞑想をしながら、玄米のおにぎりを味わってみると、何種類もの味があることがわかります。
お味噌汁がのどを流れていく感覚も、とてもおもしろかったです。
量が少なくても、十分に味わうと満足できるのでした。

★ 微細なる 知覚の世界

この頃から、知覚の訓練もはじまりました。
動きを感じ、細かくラベリングを入れながら、ペットボトルのお茶を飲んだり。
また、歩行瞑想のやり方も教えていただきました。
動きのポイントは、中心対象を絞って、ひとつづつやること。
それに、ラベリングを入れること。
これがなかなか難しいのです。
日々の動きは何と複雑なのか、と思います。
日常の生活でしたら、階段を上りながら、カバンを持ちながら、ポケットにある切符のことを考える、なんて普通のことでしょう。
しかし、歩行瞑想をしていると、もう地面に足が触れるということ自体が、大事件!

知覚の集中力をあげていくと、同時にすごい速さで動いている思考も見えるようになるらしく、ここではとにかく知覚力を上げることに集中しました。

7~10日

いよいよ身体感覚や思考など、簡単に言葉にできない世界に切り込んでいきました。

★ 多弁なる 身体の世界

知覚の訓練は、とても集中力を必要とします。
そのために、ずっとやっていると、どうしても疲れてきます。
その時が、ボディワークの出番です。
私は、骨盤時計というボディワークを教えてもらいました。
はじめは、骨盤が上手く動かせず、霊基さんに手伝ってもらいながら、感じをつかみました。
コツがつかめると、体を動かすのが楽しくなってきました。
骨盤って、こんなふうにも動かせるんだなぁ、と。
ボディワーク中にも、もちろんラベリングを入れながら、体を動かします。
日常の生活だと一定の動きしかしないことが多く、よく使う筋肉だけが動いているのかもしれません。それも意識しないまま・・・。

横になって、じっと体の感覚だけを追っていると、体は本当にいろんなことをしゃべっています。
「ダルいよー」「目の奥が重いよ」「床が固いな」。
この体の声が聞けるようになってくると、やっぱり体を大切にしたいな、体にいいものを食べたいなぁ、と思います。

★ 無限なる 思考の世界

この研修に来るまで「思考」というのは、言葉を使って考えるものだと思っていました。
ですので、ぼーっとしていたり、ふわっとしたイメージ等は、思考だとは思っていませんでした。
しかし、霊基さんから「思考が完全に停止したときに悟りが起こる」という話を聞き、
「この世界は・・・いや、この世界を見ている私は、思考だらけなんだ」ということが分かりました。

私たちは、無意識のうちに様々な概念を通してものごとを見ています。
例えば、木を見ているときに、意識的に考えていなくても「植物だ」「緑色をしている」と、すでにある知識を通して見ているのです。
さらに、経験を通して「葉がギザギザしている、杉の木だろうか」「杉と言えば、花粉は大丈夫だろうか」と、概念を使って、どんどん思考をしていることに気がつきました。

本に書いてあった「あるがままに見る」というのは「全ての概念を取り外して見る」ということだったのです。
私はそこのところが、どうもよく理解できていませんでした。
そして、そんなことが可能だと思っていませんでした。
しかし、霊基さんの話を聞くことにより、完全な思考停止が故意に起こせないとしても、それに近づくことができるということが分かってきました。
それにしても、意識的に「思考をしない」ということが、こんなに大変なことなんだということを本当に思い知りました。

知覚を研ぎすましたおかげで、何かに触れたためにサッと湧くイメージ、言葉、感情、さらに頭の中のモヤッとしたもの(思考の断片)の感覚が、なんとなく分かるようになりました(正確に理解しようとすると、思考のループに巻き込まれるおそれがあるので、流して見る感じです)。

これは、本を読んでいるだけでは得られなかったものであり、本当にここに来てよかったと思いました。

研修その後

★ 新しい 現実の世界

研修が終わって、2週間ほどが経ちました。
研修後の1~2日は、どんどん日常が重なっていき、あれほど磨きあげた知覚も元に戻っていって、心もとない感じがしました。

普段の生活において、食事も研修のときのように全身で味わって食べることは難しく、まるで、ソーダの泡が消えていくように、あの研修の日々はなんだったのだろう、と懐かしく思ったりします。

しかし、日常でも研修の効果はあって、今を確認しながら皿洗いをすると、集中度がぜんぜん違います。
「皿洗いって面倒くさいなぁ」等と思う暇はありません。
また、何か「嫌だな」と思ったり、不安になる感情が出てきたときに、すかさず「嫌悪感」「不安感」等とラベリングを入れることができるようになりました。
ラベンリングを入れ、客観的にものごとを見るようになれるので、思考のループに巻き込まれることは少なくなりました。ラベリングは、日常生活でも使えます。

★ 「私」の その先の世界

その後、デッザンを勉強する機会があって、大きな紙に作品を作ることになりました。
その時、ふと伊藤若冲のことを思い出しました。
伊藤若冲の花鳥風月などの作品を見ていると、とにかく細かい。
「こんな気の遠くなるような作業がよくできたなぁ」と思っていましたが、この修行を通してわかりました。
「ああ、伊藤若冲は、今を生きていたんだな」と。
ピカソが絵を描く映像も見たことがあるのですが、流れるように絵を描いていました。
まるで、何にも執着しないかのように。
どんなにおかしい構図の絵になろうとも「今」に忠実に絵を描いていました。

「私」への執着を捨てて今に生きる時、人は何か不思議な力を発揮するのだと思います。
そして、誰もがその力を持っていると思うのです。
私は、やはりラマナ・マハルシのいう「御心のままに」生きることを選択したいと思いますし、その「今」の感覚をこの研修でつかんだように思います。
この学びを、新しい現実の世界でもっと深めていけたら、と思っています。