「実在-解釈」図式をめぐって

「実在-解釈」図式01

1、生の現実、Reality
2、認識格子、認識の枠組み(いわゆるパラダイム)
3、認識する主体としての「私」「他者」
4、(私に)認識された「現実」

以上のような世界認識を前提とした上で、以下のような問題提示を行う。

「文化」とは、言語、習慣、法律、倫理など、つまり「リアリティの見方」にまつわる基本的信念を共有する社会的集団に他ならない。
成長していく過程で我々は、生まれ落ちた文化が共有する言語や基本的信念などをプログラムされていく、それに選択の余地はない。これは基本的に催眠による暗示に違わない。
それはリアリティとの生き生きとした接触を不可能にし、空虚、漠然とした不安、疎外感、孤独などを生み出す。

文化的催眠において、最も重要な役割を果たす「言語」と、言語を基盤とした知覚システムとのインターロックを外すことによって、文化的スクリーニングのプログラムそのものを変更することが可能となる。

あるいは、井筒俊彦、古東哲明らに代表されるタイプの「言語論的」な問題設定(あるいは、中観・唯識などの大乗仏教的な問題設定)

1、有本質的文節(味気なさ、よそよそしさ、空しさ、二元相対などの、迷いの日常世界。言語による世界の文節的立ち現われ、自/他対立、自己/自然(環境)分離の世界)
  ↓
2、絶対無文節(言忘、沈黙、絶対無、大死、絶対平等、帰入一元、究極のRealityの世界)
  ↓
3、無本質的文節(沈黙・無の作用-はたらき-としての現象世界。平等即差別としての現象的立ち現れ、事々無碍なる文節、復活、さとりの世界)

井筒俊彦 『意識と本質』

現代のほとんどの瞑想宗教に関する言説・理解は、以上のような図式のなかで行われている、と感じます。

しかし、この図式こそが、怪しいのではないか?
この「パラダイム図式」こそが、「パラダイム(時代的条件づけ・認識の枠組み)」なのではないか?

そのことを考えるとき、先ほどの図式は、以下のように書き換えられる。

「実在-解釈」図式02

一つの方向は、パラダイム論の完成である。(図では横向きの流れ)
、四つの項目全てが、パラダイムの中に飲み込まれる。

もう一つの方向は、(ここでは仮に「禅的な解決(方向性)」と呼んでおきます)、
その全てがリアリティ(真実在)になる(である)。
そこには、捨てるべき概念格子も、脳内現実もなく、ただ実在だけがある。