ボディワーク×瞑想 7日間 40代後半女性

この度の4回目の研修では、これまでに修めてきたヴィパッサナー瞑想の基本の上に、刀禅の錬功を重ねるかたちで指導をしていただきました。

前回の研修で刀禅の手ほどきを受けてから、その後1年間ほど、自分ひとりで稽古(らしきもの)を続けてきましたが、身体の感じ方や重みに多少の変化はあったものの、特に上達しているとか、何か理解を得たとか、これといった進歩や大きな実感を伴うものではありませんでした。
何とも心許ない状態の中にあったため、今回新たに研修を受けるのはまだ時期尚早なのではないか、と躊躇する気持ちが多少ありました。

したがって、少なからず不安を抱いたままで研修に突入する形となりました。
今回、自分が果たしてどこまでできるのか。
話を伺うなかで、刀禅のすばらしさ、すごさについて疑うことはありませんでしたが、自分にはそれを理解できる能力やセンスが本当にあるのだろうかという懸念がありました。

1週間の研修の前半は、とにかく型どおりの姿勢を作り、動作を行うことに専念しました。
どれほど力を凝らしても、姿勢を整え、保つことは難しく、文字通り、汗だくの作業となりました。
またそれと同時に、身体感覚に対する感度と、一刻一刻に気付いている集中力を上げていくことにも注力しました。

研修半ばに差し掛かったころ、室内から外に見える石柱(みたいなもの)を手掛かりに、上体をあまり左右に動かさずに前方へ進む動きの稽古をしていたときに、ひとつの発見がありました。
動きの間に楽な姿勢に戻り、気を抜いて歩くと、石柱が左右に大きくぶれるように見えたのです。
普段、無意識に歩いているときは、身体が左右に振れていることに気がつきました。

また、その発見を手掛かりに、屋外を普通に何気なく歩いてみると、自分の見ている視界がぶれて、手ブレ補正をかけずにハンディカメラで撮影した映像のように見えることが分かりました。
このようなぶれた視界の中で、これまで何の違和感もなく生活してきたことに驚きました。

一方、刀禅の姿勢を保って歩いたときは、上半身があまり左右に振れないので比較的視界が安定し、下半身が地面の起伏にうまく対応するような感覚を得て、このような体勢で歩くことの意味が少しだけ理解できたような気がしました。

その後も身体を型に収めて、動作していくよう努めましたが、ひとつの部位に集中すると、他の部分がおろそかになり、身体全体や各部位を同時に意識下に置くことに苦労しました。

また、右半身と左半身の感じ方の違いにも戸惑いました。
右半身の重みや力の入り方に比べ、左半身はスカスカに軽く、力が出しにくいのです。
四肢が右半身と左半身では別物のように感じられました。
左側の身体意識を高めていていかなければ、私の身体は右側だけ発達した、奇妙な状態にあるという認識を得ました。

研修も終盤に差し掛かったころ、かかとから脚、腰、背中、腕から手の小指への力のつながりが感じられるようになりました。
意識を集中させながら体勢を整え、動きを続けていくと、四肢にこれまでになく力が入り、動かしている自分の腕が、ある定まった軌道に収まったような感覚を得ました。
身体のそれぞれの部位が動員されて、動きを起こしているような、不思議な感覚でした。
手と足、胴体部分にそれぞれ拮抗した力がかかり、それが粘りのある動きにつながっているように感じられました。
自分の意思だけで動かすのではない、確かな道筋があるように思いました。

決して大きな飛躍ではありませんが、このような感覚を得て、今までの身体的苦労が報われたように思いました。
これはまだほんの序の口で、これから長く遠い道のりがあることは承知の上ですが、これまで分からないままも続けてきた甲斐があったと、うれしくなりました。
また、これまでの、ひとりだけで霧の中を歩いているような、何とも心許ない稽古も、何か手がかりになりそうな感触を少しばかり得て、今後の稽古が一層面白くなっていきそうな予感も生まれました。
非常に体力、気力、根気を必要とする作業であり、また多少なりとも身体的苦痛を伴うのも事実ですが、自分なりのペースで、今後も少しずつ歩んでいきたいと思っています。