ブログ 『日々、刻々、流れるもの』

探求の終わりと始まり

我々は探求をやめてはならない。
そして、我々のすべての探求の最後は、はじめにいた場所に戻ることであり、その場所をはじめて知ることである。

エックハルト・トール 『沈黙は語る』 Stillness Speaks より

True freedom and the end of suffering is living in such a way as if you had completely chosen whatever you feel or experience at this moment.
This inner alignment with Now is the end of suffering.
真の自由と苦しみの終焉とは、この瞬間に感じることや経験することを何であれ、あたかも自分で全て選択したかのように生きることです。
この内面に於ける「今との一致」が苦しみの終りなのです。
エックハルト・トール 『沈黙は語る』Stillness Speaks より

三浦綾子 『泥流地帯』 『続・泥流地帯』

この2日間ほど、ある切っ掛けから再読しておりました。
面接の合間に途切れ途切れに読みながらも、昨晩、正・続と読み終わりました。
この作品に最初に触れたのは、もう四年も前、まだ屋久島に足を踏み入れる以前、実家の倒産と、その残務処理で、心身共に限界状態のときでした。
読み始めたら止まらず、明け方までかけて一気に読み終え、次の日、寝不足で朦朧としていたことを思い出します。
そのときにも多くの面で励まされましたが、今回も、やはり読んで良かったと思いました。
新たに、裸で、裸足で、踏み出そう。
先のこと、生活上の安定のことなどは考えずに、と云う、肯定的な明るい心を取り戻すことができました。
私は、三浦綾子作品は、それなりの数読んでますが、この『泥流地帯』が最も筆力が冴えた、乗った時期の作品だと感じています。
『泥流地帯 (新潮文庫)』
『続・泥流地帯 (新潮文庫)』
『泥流地帯』と父のこと
泥流地帯 続泥流地帯 三浦綾子

自己観察は、人間を自己変革の必要性の自覚に導く

自己観察は、人間を自己変革の必要性の自覚に導く。
そして、自己を観察する間に、自己観察そのものが彼の内的プロセスに一定の変化をもたらすことに気づく。
自己観察は、自己変革の道具であり、覚醒への手段であることを理解し始めるのだ。
自己を観察することによって、それまで完全な暗闇の中で進んでいた内的プロセスにいわば光を投げかける。
そして、この光の影響の下でプロセスそのものが変わり始める。
光のないところでしか生じない多くの科学的プロセスがある。
まったく同様に、暗黒の中でしか生じない多くの心理的プロセスがある。
意識のわずかな光でさえプロセスの性質を完全に変えるのに十分であり、更に多くのプロセスを完全にだめにしてしまう。

グルジェフ

ダンテス・ダイジの詩

私には、詩と云うものが、どうも良く分からない、と昔から感じてきました。
「この人は、有名な詩人なんだよ」とか、「この詩、とても素晴らしいでしょう」とか云われて、目を通してみたことはあるのですが、それに本当に素晴らしいと心打ち震わせた経験はまったく無く、「どうも、自分は、詩と云うものに対しての感受性が無いらしい」「どうも、自分には詩と云うものが理解できないらしい」と感じてきました。
ダンテス・ダイジと云う人がいます。
それほど世間で広く知られている人ではないけれど、一部の人の間では伝説的で、私は、確か18歳の頃、この道に入るか入らないかの時期に、たまたま一冊読んだことがあり、なんだか心に残る人でした。
この人が説く修行法も試したことなく、今では、ほんの時々、思い出して、本を捲ると云うに過ぎない存在ですが、なぜ、今日、書いてみようかと思ったのかと云うと、この人の書く詩に対して、です。
詩って何なのか、何がいい詩なのかは、私にはぜんぜん分からないけども、この人の書く言葉には、心が反応します。
なんたる、おそるべき言葉(詩)!と、驚異をもって。
ダンテス・ダイジ

漫画 『三国志』

横山光輝の漫画版『三国志』、しばらく前に図書館で借りて全巻読了しましたが、なかなか味わい深いものがありました。
生きてること、人生について考える契機になると云うか… オススメです。
横山光輝「三国志」