ブログ 『日々、刻々、流れるもの』

KOSMOSの覚書

先ほど調べ物をしていて、たまたま見つけたのですが、こちらのブログ、なかなか面白いです。
趣味が私に似ています。

KOSUMOSUの覚書/ウェブリブログ

印象的だった文章。

それに悲しみには、幸福感の中には絶対ありえないような一種の深さがある。
幸福感の中には何か浅いものがある。
笑いはきまって浅薄な感じがする。
涙は常に深い感じだ。
もしあなたがいつも幸福でありたかったら、あなたは浅い人間に、表面的な人間になるだろう。
ときには、悲しみの深みに、暗い深み、陰うつな深淵に落ちることも善いことなのだ。
両方とも善い。
そして人は、この両方の内に全面的に在るべきだ。
何が起ころうとも、その中に充全に入っていきなさい。
泣くときには、泣くことそのものになるがいい、踊るときには踊りそのものになるがいい。
そうなったら究極なるものがあなたに起こる。

もしあなたが、あなたに起こることすべてに対して証人であることができたなら、そのときにはあなたは家(ホーム)に戻ったということだ。

これはOSHOの言葉だそうです。

ケン・ウィルバー – Wikipedia

瞬間瞬間の綱渡り

順境の人は感謝を知らず、逆境にもまれ苦しんだ人が感謝を知っている。
私たち凡人は痛い目に遭わなければ、人生で最も大切なものが見えないのである。

……

夜半目覚めて静かに思えば、私はよくもこれまで無事に生きてこられたものだと思う。
人目には平凡な人生に見えても、まことに危ない綱渡りの連続であった。
この綱渡りは、これからも命のある限りは続くであろう。

……

朝、目を覚ましたら「ああ、ありがたいな、今日も自分をこの地上に生かせて下さるのか」と、まず感謝の祈りを捧げたい。

……

どこまで孤独寂寞に堪え得るかということが、指導者の資格を計る大切な尺度であろう。
「人を相手とせず、天を相手とせよ」といった南洲は、孤独沈痛の人であった。

『歩むもの』から

……

生活の全体は一瞬一瞬にあります。
この一瞬一瞬が挑戦なのです。
それに不適切に出会うことが生における危機です。

クリシュナムルティ

脳から考える

『単純な脳、複雑な「私」』 池谷裕二

瞑想、内観、ボディワークに関わる話や、自由意志に絡む話が次々繰り出されていて、前作『進化しすぎた脳』を超えて、更に面白いです。

『つぎはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?』

Amazonの書評

インテリジェント・デザイン論に対する脳神経学者の反論
※ インテリジェント・デザイン論=知性ある設計者(神)によって生命が設計されたという説。
最後の最後に宗教が出てくるまで、著者の意図が読めず、散漫な印象が否めない。
脳にまつわるさまざまなトピックのうち、一見無関係な感覚と感情、記憶、愛、睡眠と夢を、なぜ取り上げたのかが、宗教の成り立ちを説明する8章で始めて明らかになるからだ。確かにこの8章は面白い。その8章から、脳に知的な設計者はいないという9章の結論につながってくる。

『東洋の瞑想とキリスト者の祈り』

この本は一般に、仏教系の瞑想の本として名前が上ってくることは少ないですが、実際の内容は、なかなか質の良い気づきの瞑想と反応系の瞑想の入門書です。

特徴としては、

1. マハーシ式、ゴエンカ式双方を均等に冷静に紹介していること。
2. ヴィパッサナー系の知覚力を研ぎ澄ます瞑想法と、イメ-ジを使ったお祈り的な瞑想法をバランス良く紹介し、位置づけていること。
3. そのすべてを「神を感じるための霊的修習」として位置づけていること。
などです。

沢山の瞑想法が紹介されているので、これを読んだだけで、たとえばマハ-シメソッドを正確に独習できるだけの情報は含まれて居ないのですが、色々なヒントが含まれた良書だと感じています。

一番の美点は、キリスト教の指導者でありながら他宗教の伝統に対してオープンであり、他宗教への敬意を忘れない態度にあると思います。
時々、思い出した様に眼を通している本です。

サダナへようこそ

『東洋の瞑想とキリスト者の祈り』

『東洋の瞑想とキリスト者の祈り』 アントニー・デ・メロ

水野南北 『修身録』

新たな現代訳本が出ているようですので紹介してみます。
私も未読ですが、『食は運命を左右する』と違って、
原文と現代訳の両方が載っているのであれば魅力的ですね。

南北相法 修身録(全) – 株式会社 東洋書院
新修 南北相法・修身録(全)―開運の善導とその極意: 水沢 有 訳
水野南北 – Wikipedia
『食は運命を左右する』