意識の哲学

『意識 (〈1冊でわかる〉シリーズ)』 スーザン・ブラックモア,
意識の哲学・科学~瞑想(禅・ヴィパッサナー)へと続く話。
短くまとめられた本ですが、含まれる議論は多いです。
【出版社の紹介】
現代科学と哲学に残された最大の謎「意識」.リベットの実験を初めとするさまざまな科学的知見によって,意識に関する従来の考え方は近年大きな変更を迫られている.「意識」とは,われわれが必然的に抱いてしまう錯覚なのか? 脳科学・認知科学の最新成果を踏まえて「意識」や「自我」に関する基礎的・哲学的問題を平易に解説する.

ガンガジの言葉

このインターネットの時代、世界中のあちらこちらに存在する精神的な指導者・覚者と呼ばれる人たちの存在を知り、その本を読み、講話の映像を見たりすることは、自宅に居ながらできる容易なこととなりました。
本当に飽きるほど数多くの指導者・覚者がおり、基本的に似通ったような話を、皆、しています。
しかし、その教えの内容に知的に納得でき、「なるほどな」と思えるのと、その指導者の教えに惹かれ、その指導者自体を「好き」になるのとは別なこと。
「好き」になるかどうかは、画家の絵を見て、それに感銘受けるか受けないかに似て(良い絵だとは思うけど、本当の意味では好きだとは思わない場合もあり)、「知的」なものというより、「感覚的、審美的」な好みであるように思えます。
それは、「正しい」「正しくない」「良い」「悪い」の世界ではなく、「好き」「嫌い」「美しい」「美しくない」の感性的な世界の話であろうと。
ある画家の絵が好きで、いつも画集を眺めてうっとりしている人が、「この絵・画家は正しい」「あの絵・画家は正しくない」と言い出したら変なことになる。
精神世界・瞑想系の教えに於いても、結局、最終的な拠り所は、自分にとって、この教えは「美しい」かどうか、「かっこいい」かどうかという、「審美的」な基準でしかない。
それぞれの人によって、どの絵、誰の言葉・説き方が心に響くかは違って、それは多分、本人自身、なぜか分からず、変えようも無く、あえて言うならば、縁(えにし)としか言いようがないものだろうが、不思議なことである。
できることは、自分の感性・審美眼を信じて、それに従って歩んで行くことのみなのでしょう。


私自身の話をすれば、まず、なによりもクリシュナムルティに惹かれ、20年前始めて読んで以来、これ以上、自分の心に響いた人・言葉は存在しません。
出会う時期とか、そのときの自分の状態などすべてが関わるのでしょうが、「なぜだったのか?」、振り返ってみて不思議な気がします。
最近では、今回紹介しているガンガジ、そして、ラメッシ・バルセカールの説き方が、とても心に響きます。
私にとって、このお二人の教えは、それぞれの仕方で美しい。
もしかしたら、私と同じ趣味の人(K、ガンガジ、ラメッシの教えに美を感じる人)は、うちの研修はオススメできるかも知れないです。
これは、本当にそうなのかは分かりませんが、感性的な面、美的な面で、共通する部分が多い人間同士の方が相性は良いのではないかな、と思うのです。
ガンガジの話の進め方は、(私の感性では)シンプルで無駄が無く、でも潤いがあって、しっとりしていて、凄いなって感じます。
また、ラメッシュの話の進め方にも、シンプルで、優雅で、かつ独創性が際立っていて、なんともスゴ美しいものだな、と感じさせられます。
皆さまにとっては、如何でしょうか?

『ポケットの中のダイヤモンド―あなたはすべてをもっている』
ガンガジとの対話
[mixi] ガンガジ
ガンガジの言葉

セドナメソッド – リリース・テクニック

自分にとって不快な、好ましくない感覚・感情・状況に「気づくこと」

その「気づき」が、即「受容し、受け入れること」であり、また「手放し、放ち、流し、捨てること」である。

「全面的な受け入れ wellcome」を伴った「気づき」でもって、その対象を、見つめ、合流し、経験していくこと。

また、その根底にある、更に深い「感情、欲求」も、同じく辿り、「気づき=受け入れ=放す」こと。

「全面的な受け入れ・受容・受苦・体験」が、即、そのまま「手放すこと」であり、「流すこと、流れていくこと」である。

瞬間瞬間の「気づき」の一瞥、一触れの中に、これらのすべてが含まれる。

凡人には凡人なりの実践と進歩、展開があり、ささやかな理解と開放、喜びがある。
それは恥じることではなく、静かに味わうべきものである。
どれほど遅々とした歩みであろうと、やっただけの変化はあり、心は楽になり、苦しみは減る。

……

『人生を変える一番シンプルな方法―世界のリーダーたちが実践するセドナメソッド』

[mixi] セドナ・メソッド

読まずに死ぬのは惜しい漫画 『子連れ狼』

『子連れ狼』 小池一夫 小島剛夕 – 電子書籍 eBookJapan

出だしの一巻あたりは、まだ絵もキャラクター設定も定まっておらず、ストーリーの深みも感じられません。
(時代劇版、子連れのゴルゴ13といった感じです)

それが、ある程度進んでいくと、画・話ともに深みを増し、別物になってきます。
6巻~19巻あたりまでが、最も上質な部分かも知れません。
人間存在の切なさ、業、感情表現の深さなど、「日本漫画の至宝」の一つと言ってよい素晴らしい内容だと思います。
読んでて、かなり感心させられました。

『代替医療のトリック』 サイモン・シン

『代替医療のトリック』 サイモン・シン

さすがにサイモン・シン。
導入から読み手の引き込み方が上手く「代替医療の批判的検証」という地味なテーマを扱っても、一気に読み進められる誘引力があります。

読んでいて、ドーキンスの『神は妄想である』を連想しました。こちらも一気に読ませる本でした。

代替医療のトリック(ブックレビュー)

レビューから

この書物の本質は、「効果があるかどうかは、いかなる分野であれ、無作為化二重盲検試験を行い、客観的に評価されるべきである」ということです。
治療法や薬が真に効果があるかどうかを客観的に評価できる現在人類が持っている方法は、「無作為化二重盲検試験」です。
批判する場合も、評価する場合もこの検査について本質的に考察するべきで、
多くの書評にあるような文学的な批評はナンセンスです。
医学における、「無作為化二重盲検試験」は現在究極の評価法であり、その結果でもって効果があるかどうかを評価すべきであり、その根本を受け入れないならば、医学や科学以前の、魔術や錬金術と同じ時代のレベルに退行することを厳密に受け止めるべきでしょう。

二重盲検法 – Wikipedia

ホメオパシーは「効果が確かめられていない」方法ですらない – Skepticism is beautiful

ホメオパシーFAQ – Skepticism is beautiful

カルトにだまされないための必須知識2 「二重盲検法」=「二重盲検試験」=「ダブルブラインドテスト」

ジャズ&オーディオ通信
(from USA):オーディオと二重盲検法

最後の「オーディオと二重盲検法」は、なかなか面白い記事でした。

怒りは恩恵を隠している

貴方が、何かほんの些細なことでパートナーに対して怒りを爆発させてしまった後で、実はそのとき、相手は惜しみない愛を貴方に与えようとしていただけだった、と云う(誤解の)経験をされたことはないでしょうか。
私たちが、自分の気にさわる相手の言動をあげつらって怒り、責めるとき、自分ひとりで勝手に怒りを選択し、喜びを感じる機会を逃しています。
自分についての気づきを深めていけば、「怒りを選ぶか、愛を受け取るか」の選択が、どの瞬間にもできることが分かるでしょう。
怒りは、自己正当化、裁き、判断があるとき生まれます。
怒りと云う生理的な反応の持続時間は、実はわずか数分ほどです。
それを長く引きずっているのは、私たちの瞬間瞬間の(継続させることの)選択によります。
あらゆる怒りの場面には、気づきと恩恵の機会が隠されています。