沈黙の力量、黙っている力

バカ発見器に「発見されるバカ」にならないために

この記事を読み、このところ(特に、コロナ禍始まって以来)感じていたものが、とてもうまく言語化されているのに感心しました。

心に思うものがありつつも黙っていることには、それなりの力量が要り― それは勿論、発言(発信)するべき、と感じたとき、感じた内容に関して発信することを否定するものではないのですが― 自身の内なるネガティブな感情(不安・怒り、苛立ち・腹立ち、など)を、ただただ反射的に吐き出し、ぶつけ、社会に反響・増幅させることは百害あって一利なし、と感じます。

何であれ、それが社会的な表出(表現)であるのなら、幾らかの反省(推敲)があって然るべきで、もちろん、(瞬発反射芸など)いろんな芸風があっていいのですが、それが見れるレベル、何かを感じさせるレベルになっているかですね。

黙っているのって、バカにはできないし、
黙っているからって、何の意見も考えもないわけではないし、
それ自体、高度な選択である場合もあるのだと思います。

それがいつか表現されるときも。