内観コース

内観とは、自分という人間の、正味の正体を知るための、体系だった自己調査法・自己観察法である。

それは、まず何よりも、自分を、正確に、客観的に見る(知る)ための技術です。(自己観察→自己認識のための方法論)

自己観察から自己理解へ

過去の自己観察

過去の堆積物の層が、現在の自分を形作っている。

私たちは通常、自分が生きて経験してきた過去の事実を脳内編集して、自分の都合の良いものに仕立て上げ、その脳内編集された「物語(おはなし)」のなかで、それを信じ、生きています。

それが、「物質的には豊かであったが、内面に寂しさを抱えて育った子供」と云う物語であれ、「虐待を受けた不幸な子供」と云う物語であれ、「有能で、魅力に溢れた成功者」と云う物語であれ…

内観は、まず、その「物語」から外に出ることを要求します。

そして、より客観的で現実に適合した、より自分が幸せで、他人にとって害のない物語へ、人生全体を編み直し、過去の記憶を再構成していきます。
その「編み直し」を、面接のなかで言葉にし、語ることを通して行なっていきます。

これが、(主に、幼少期の両親に対する内観において)研修の前半部で起こることです。

それは、「不幸物語」から「しあわせ物語」への世界(認識)の変換であり、「無いものねだり」から「あるもの探し」への心の変換です。

そして、自分に都合良く編集された過去の記憶の中から、自分の心の動き・本心・本性を、正確に、自己正当化・自己弁護無しに見直してゆく作業を通して、これまで知っている(分かっている)と思ってきた自分とは違う、もっと深いレベルでの自分自身の正体(本質)と出合うことになります。

それは、主に(研修の後半において)「嘘と盗み」と云うテーマを主題に行われる内観のなかで起こる、次の段階の自己観察・自己認識です。

物語を編み続ける自我(思考-感情)の動き自体からの脱出であり、あるがままの事実としての自分との出会い・遭遇となります。

鏡のない世界

私たちが通常、自分の顔を見よう(知ろう)とすれば、物理的にを使って、そこに自分の顔を映す以外の方法では、見る(知る)ことはできません。

もし、生まれてからずっと、鏡が無い世界に生きていたとしたらどうでしょう。

それぞれの人が、自分の願望や自惚れを元に、好き勝手に自分の顔を頭の中で思い描き、多分こんな風だろうと信じ込み、それを一生抱えて生きていくことになります。

これは、物理的な眼に見える世界に於いては、笑える滑稽な喩えにしか過ぎませんが、こころの世界においては、それは実際に(現実に)起こっていることです。私たちは皆、その状態に居ます。

自分を映す鏡

過去の他者との関係性を鏡にして自分の姿・正体を観る。

内観は、親、兄弟、伴侶、仕事の人間関係など、(具体的な)他人や環境と云う対象をとして、その、見難い「自分自身のこころ」を見ようとします。
その関係性のなかでの自分の言動(言葉や行い)が、言い訳しようもない形で「関係性の鏡」のなかに映し出されます。

そこには、これまで見てこなかった自分の素顔、内面的な、あるがままの顔が映されます。

それは多くの場合、幻滅をもたらすショックなものですが、自分の本当の顔・姿を正しく知ること(正確な自己認知)から、はじめて正しい身の処し方(今後の生き方)が出てくるのであり、思い込みに基づいた人生行路など危険なものでしかありません。


また、自分を正確に知るためには、内的な視力も必要です。

もし、眼が悪く、外界の物事がはっきり見えていなければ、見間違いや勘違いが多くあるように、自分の内的な心の動きも、(仮に、関係の鏡に映し出されたとしても)内的視力がなければ、正確に見・知ることができません。

その視力がない限り、「自分は、これこれこういう人である」「自分の内面はこうである」「自分はこういう気持ちでそれを行なった」などの自己認識が、「見間違い・勘違い」「自己正当化による事実誤認」である可能性も、あるいは「自分に対して、巧妙に偽装され、隠された嘘」である可能性もあります。

内観は(そして、ヴィパッサナー瞑想は)、その内的視力を高めるための体系だったトレーニング法です。


内観は、自分の、より深い内面を、正確に見・知るための技法・訓練法であり、その正確な自己認識から、適切な生き方、身の処し方が出てきます。

若い、将来のある方の人生の方向探し・自分探しに、
病気でもう先がない、人生の総決算を控えられている方に、
就職の前に、転職の前に、結婚の前に、離婚の前に、

内観は、人生のどのようなタイミングであれ、「いま、この時に、やって本当に良かった!」と思えますし、また、常に適切なタイミングで機会が巡ってくる不思議な技法でもあります。

一人でも多くの方が、この日本発祥の心理療法-気づきの行である内観に触れられることを願っております。

私にとって内観は、知っている限り最高の(最も有効な)平和運動でもあり、人類の平和へ向けての活動でもあります。

自分を知るのは怖いけど、
知らずに死ぬのは、なお怖い。
自分を知るには、内観が近道です。

大人になる修行

内観は、「大人になる修行」である、と言えます。

子供が大人になる。

大人とは、相手の立場から、物事が見えること。
自分の気分と違う、相手の気分を察することができること。

例:たとえば、今、自分は、最高にハッピーで、ウキウキしているかも知れない。
しかし、そのウキウキしている私の前にいる相手は、失恋してどん底の気分の中にいるのかも知れない。

「相手の立場に立って、物事を見、考えることができる人」を、私たちは、人格者とか、人柄が良いとか言うのですが、それが、今、ここで云う大人と云うことです。

これは一種の通過儀礼のようなもので、それを通り抜けると、それまで子供の視点から見ていたお父さん・お母さんが、自分と同じ、悩みも欠点も持った一人の人間(人格)として見れるようになります。
そのとき、内面での和解があり、大人の人格同士としての関係や交流、会話が可能となる道が見えてきます。

擬似臨死体験としての内観

内観は、コントロールされたhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%AD%BB%E4%BD%93%E9%A8%93臨死体験である、と言える。 研修後の人生第2幕。

臨死体験の際に起こる「過去のパノラマ的回顧(ライフレビュー)」は良く知られていますが、内観は、これを一週間以上の時間をかけて(人為的に)ジワジワと起こす作業だと言えます。

それによって過去の自分の死と、新たなる自己の再生が起こります。

内観後の人格変容(行動変容)と、臨死体験後のそれには共通性があります。

ただし、この人格変容は、前世・輪廻などの実在性を前提とはしません。

◆ 研修中使用する音声資料の取り扱いについて(その功罪)

・規範とは考えない 真似をしない。
それぞれの内観の完成形態には、かなりの違いがあること。
聞いた他人の内観を模範的なものとして、それに自分の内観を近づけよう、真似ようとすることには大きな問題がある。

では、どこに着眼して聞くか?

・その人の懸命さ、真剣さに学ぶ。良い意味での刺激を受け、自身の内観を引き締め、奮い立たせるため。

・自分の内観で、見落としていること、調べ漏らしていることを、他者の内観によって発見する、きづくことができる。

・同じような経験に対して、自分とは異なる理解・解釈・感じ方があることを知ることができ、違う見方で物事を観るヒントが得られる、など。

ただ、模範解答をあらかじめ知ることによって、自分の本当の見調べの確立を邪魔してしまう可能性には気をつけること。
また、他者の模範的・理想的内観と、現実の自分の内観を比較し、「理想」と、自身の内観の「現実」とのギャップばかり気にすると云う(そして、内観をしないで、そのことばかりを考える)という錯誤に陥らないこと。

嘘と盗みの面接で、また嘘を重ねる可能性

面接者と研修者二人でのお芝居へ陥る可能性

◆ 面接の仕方

・面接に向けてリハーサルをしない かっこいい面接を求めない 内観は、見苦しいもの

・その時間の調べの、まとめ、要約
・調べて出てきたこと、すべて羅列して話す。
・しゃべりにくいこと、話したくないことを、あえて選んで話す。
・その時期を象徴する印象的な話を選ぶ。
・具体的なエピソード記憶(日時の刻印の有るもの)のみ。→面接者に、その場の映像が思い浮かぶような

● まずは、数を調べる。一つでも多くの具体的記憶を思い出す。

・すべてのパズルのピーズを机の上に並べる
・砂浜のビンのかけらをすべて拾い上げる
・愛の落穂拾い

まずは、すべての記憶の断片を(絵柄はわからなくとも)机の上に並べる→それが、ある臨界線を超えたとき、一気に新しい絵柄を示す(洞察・認識の転換の瞬間)

・考えるのではなく、観察する(思い出す)

● 「して返したこと」とは、基本的に、自分の「してあげたい、相手を喜ばせたい」との気持ちを伴う行為・行い・言葉・働きかけ。

・自身の心の動きを説明する際の「~と思います」という言い回しに気をつけること。
「でした」が望ましい。

・迷惑の説明

1、事実 2 自分の気持ち 3 相手の気持の説明

2周めの内観
・できれば、前回、掘り出せなかった記憶を探す。
・同じ出来事でも、画素数を増やす努力

・派手でインパクトのある記憶も大事だが、本当は、日常的で、当たり前になっていて、空気のように、自分にとって透明になっている「してもらったこと」の方が、絶対量的に大きい。

◆ 内観的真実

親子二人が別々に内観すると、それぞれが互いに100%悪いのは自分の方であったと理解・認識した場合、何が真実(客観的事実)か。

● 面接者と内観研修者の関係

・病人と看護人
・選手とコーチ
・ツアーガイドとお客
・盲者と付添人

・素手で井戸を掘る
・マラソン大会
・サイコダイビング

・ヒマラヤ登山(ベースキャンプ作りと、頂上アタック)
・薬缶道心
・蚊弟子

● 脳の突貫工事 内観漬けにする
継続性が成功のカギを握る
→泥水の入った水槽のたとえ。
 沈殿して、見透しがきくようになるのに一日かかっても、かき乱すのは一瞬。

◆ 具体的な説明

過去全体に3つの絞込をかける
・PCのソート(絞込)機能

過去全体→対象(人・人物)のしぼり→時間的(時期)しぼり→3項目という絞り
スポットライト、サマーディ、

* 三項目は別々の出来事だという説明

◆ 3項目の意味

・ねじれたバネの修正
・櫛のたとえ(戦後のたとえ)
・認識の歪み 非対称性
・ある和尚さんの話し(弁当のおかず)
・否定的感情を伴う記憶は残りやすい
・めったにないことの記憶は残りやすい

してもらったこと→してもらえなかったこと
迷惑かけたこと→迷惑かけられたこと
になりやすい。

・無い物ねだりから、有るもの探しへ

・人は、他人の悪を見て苦しみ、自分の悪を認めて安らぐ

・他人と過去は変えられない。自分と未来は変えることができる。

相手がどうかに関係なく、自分の認識(思考)を変えることで、すくなくとも自分は楽になる、救われる。ただ、自分は楽になれるという事実。

● 客観的に見る。

記憶想起の客観構造。第3者視点。

● 図書館の地下の倉庫にあるヴィデオテープ再生のたとえ 記憶が無いのではなく、アクセスできない。

● 役割(ロール)をはずして、その人を見る。

自分にとっては母という役割。父にとっては伴侶・恋人。姑からしたら嫁、職場では勤め人。
それらの役割を外して、ひとりの、ある年齢の、色々な人間的問題を持った一人の人間が、自分に何をしてくれたか、を観る。

自分お相手に対する感情・イメージを外して、事実のみを観る。

● 肯定的・否定的な、物事の認識(社会を見る目)のパターンは、通常
1 その人の元々持っている資質・個性
2 生育過程での経験→親の言動・出会った出来事できまる。
基本、親が唯一のモデルとなる。
→母のスーパーの買い物のクレームのたとえ
→社員研修の内観の二人の新人のたとえ

通常、それらは、おとなになって自分では変えられない。すべての経験が、自己成就予言となる。→ファミリーカルマの話

瞑想・内観は、それをなんとか変えようという人類が編み出した(歴史的に作られた)工夫

● 受験生の父の神社のお参りのたとえ

◆ してもらったことが何も思いつかない、無いと感じる、場合のアドバイス
仮に、その時期に、対象としている相手(母・父など)が死んでしまっていたとしたら、そこから先に自分の人生・日々の生活が、どのように変わってしまっていたかを考える。その差が、してもらっていたこと。→お母さんが死んだ男の子の部屋のたとえ→父がいつも仕事でいなかったので、に何もしてもらっていない、の男の子のたとえ

◆ 誰もが、(内観が始まった時点で)それぞれ持ちのmy story・自分物語・自分語り(特に生育した親子関係・境遇に関して)を持っている、信じている。

まず、一旦、それを保留・棚上げして、そのストーリーから漏れている・矛盾している記憶の断片を掘り出す・探し出す。
2000の記憶のうち、自分のストーリーに都合の良い印象的な50の記憶断片で、ストーリーを紡いでるのが、事実。

◆ 陰(影)の部分ではなく、陽の部分、明るい光が当たっている、健康的な部分を探す。そちらに光を当てる ポジ/ネガ

● 自分が生まれたときに親の年齢を超えてると内観しやすい。入れ替えが行いやすい。

● 親が生きている間に内観できるのは救いが有って、幸せなこと。

● 多くの人は、この時期、このタイミングで内観できたことに運命を感じる。
今できてよかった、それは逆に言うと、今しておこなければ危なかった、大変なことになっていたかも、との思いを抱く。

● 出来事がたくさん思い出せないからダメ(うまくいってない)ではなく、制限時間内に、他のことに頭を費やさず、そのテーマだけを懸命に調べている事が大事。それさえしていれば、あとは時間の問題。徐々に集中力は上がっていく

◆ あるべき(理想)とあるがまま(現実)
理想像に合わせた内観をしない

● ファミリーカルマ(家族の業)を引き継がないための方法 その切断

◆ 嘘と盗みの説明

・反省をしいるものではないこと。
・守秘義務

面接で、すべてを話す必要はないこと 、その強制はない
選ぶなら、話したくないものを選んで話す、何故話したくないかといえば、認めてないから・否認してるから、受容がないから。

・自分の嘘と盗みを反省しろという話ではない。ただ、事実を具体的に漏らさず・遍く客観的に調べ、それを、そのまま自己弁護などなく淡々と報告することのみを求められている。

・言動(実際行為と言葉)からはじめ、徐々に、心まで見ていく。
具体的事実から、抽象的な洞察へ

「盗み」には、物・金だけではなく、時間・盗み読み・情報・真心・人生・未来・手間、良心・好意など、色々ある。そのすべてを調べること。  

● 弁護士抜きの裁判をする
● 検事が被疑者を調べるように。
誰もが、自分持ちのとても有能な弁護士を抱えて生きている。その弁護士は、自分がどんなことをしても正当化してくれる。
その弁護士を黙らせる、解雇するのが内観成功の秘訣。

◆ 嘘と盗み

1 事実を具体的に 警察の取り調べ表のように
2 自分の心、それをした動機を調べる、掘り下げる。たぐり寄せる。
根本的な動機は限られている。

1 (不正なことをしてでも、とにかく)快・快感が味わいたい。(代償を払わずに、快感・満足を味わいたい)
2 愛 寂しさを埋めたい
3 怒り
4 承認欲求

3相手の気持
 視点の入換え
 相手からの視点、世間様の視点

その出来事の客観化・相対化

母に対して 無給の家政婦のような扱い

内観の行程・段階について

1. 愛の再確認
愛の落穂拾い・魂の宝探し(宝石拾い)としての内観。
幼児期の両親・家族からの愛情の再確認。
黄金の少年時代の再発見、発掘。
内観の第一段階としての、バランスの取れた、肯定的自己イメージの確立。
心理的安定、基礎作り。

2. 自己との和解
過去との和解、自分の生まれた境遇・親・環境・身体的状態との和解・受容
親を許し、親から許される、ココロ(魂)の体験。

3. 社会性(他者からの視点)の確立
客観的視点(第三者的視点、相手の視点から自分(状況全体)を見る経験。
自分を離れた視点の確立。

4. 恩の感覚の確立
受けたものの大きさと、返したものの少なさの非対称の自覚。
有り難さ、恩の感覚。
報恩の思いの発生。

5. 罪の自覚 罪業感
罪業感から、悟り/救いを求める内観へ。
どこまでも汚れた、救われない自分の自覚・凝視。
宗教的行としての内観。
「公案系」の技法としての内観 (弥蛇の公案) 二種深信

参考ファイル: 「久松真一集」

「たった今、他ならぬ此処で、どうしてもいけなければどうするか」
「どうしてもだめならば、どうするか?」

これら5つの要素は、必ずしも時系列で生じてくるものではなく、全体が同時並列的に、渾然一体となって内観者の心に育ってくるものです。

が、もし、あえて順序を言うならば、1.の「愛情の再確認」がまずあって(それは、たいてい、父母・養育者に対する内観で起こります)、自分の中に、「基本的な自己肯定・無条件の自己存在承認・自己受容」と云う基盤ができてきます。

そのうえで、5.の「罪の自覚 罪業感」の感覚(これは、特に「嘘と盗み」というテーマで扱われる)が熾烈になっていく(あるいは、その両者が相伴って高じて来る)のが、望ましく、理想的と言えるかもしれません。
……

具体的技法「やり方)の説明

個別のテーマ

・3項目
・嘘と盗み
・5戒
・宗教心の目覚め
・愛と性
・食、身体
・身の回りのもの、施設、持ち物、など
・臨死内観

私にとって内観とは…

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内観法に対する疑問に答えて

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1 はじめに 内観、公案禅、キリスト教、クリシュナムルティ 内観法の二つのレベル 心理療法としての内観(内観療法)と、宗教的行としての内観(内観道) 「心理療法としての内観(内観療法)」においては、内観は、非常の変化の確 … 続きを読む 公案系の技法としての内観

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【作成中のファイルです】 はじめに 内観と云う技法(方法論)が、とにかく良く効く(効果がある)というのは、関係者・経験者には明らかなことで、いまさら説明するべき必要も無いことではあるのですが、では、「なぜ、そんなに効くの … 続きを読む 内観は、なぜこれほどにも効くのか?