お正月6日間研修(瞑想+ボディワーク)

* この体験記は、屋久島時代のものであり、現在(広島県 宮島)とは、設備・環境等に違いがあります


年末~お正月にかけて、お二人揃って研修を受けられたご夫婦の奥様が、研修後にメールで感想を送って下さいました。その内容の一部を体験記として紹介させて頂きます。
また、研修に臨まれた背景として、研修申し込み時の問い合わせメールも併せて載せておきます。
なお、奥様の方は、日程の都合で、一日先に研修を終え、帰られております。(霊基)

研修前の問い合わせメール

~前部分・略~

夫から、研修についての話を聞き、ホームページをみせていただきました。
夫はここしばらく、「生きる」ということに苦悩し、色々と体験を重ねながら自己の内面を深め、何かを模索しているようです。
最初は、そばにいて、そういった作業に多少の抵抗がありました。
しんどさを上手く共有できていないことへのさみしさもありました。
でも、本人が真剣にとりくんでいる姿や、想像以上に根が深いものであることなどを察し、なんとか私なりにそれを受け止め、寄り添いたいと考えているところです。

私自身も、10年、もしくはもっと前から、自分の生きにくさを省みたり自分の生き方を探し求めて、彼とは違った方法ですが一歩ずつ進んで来たところがあります。
内観療法や、エンカウンター、フォーカシングなどのワークショップに通っていたこともありました。
仕事の上でも、人を援助したり話を聞く機会が多く、人に添うことのむずかしさを感じています。

ここで、本題なのですが、ホームページをみて私も研修に興味をもちました。
もし可能であれば、参加をしてみたいのですが、夫婦での参加は受け付られますか?
参加できるのであれば、私は、気づきのボディーワークのコースに参加したいと思っています。
船江さんのかかれていた、「こんな方におすすめ」のほとんどの項目があてはまるからです。
夫とは異なったコースですが、同時に二つを実施可能でしょうか?
また、夫はいっしょに行くとお互いの存在を意識して集中できないのでは?と心配していますが、どんなものでしょうか?

研修後のメール

今朝、帰阪しこちらの寒さに身震いしました。
実家に顔を出したり、実家の氏神さんへ初詣に行ったりしてようやく一段落ついたところです。

改めて、ほんとうにありがとうございました。
市街の雑踏に紛れこんでいると、昨日までたしかに現実であったはずの数日が、たちまち非現実に置き換わってしまい、さみしいような気持ちでいます。
今思えば、夢のような不思議な時間でした。
何度も反芻しながら、屋久島での時間を思い返したりしています。

参加申し込みを受け付けてもらって、霊基さんから本の紹介と「自分の問題意識や、研修への目的をはっきりさせておく」という課題をもらいましたが、本は目を通したものの、後者についてはなかなかそれを確かにすることができず、あいまいなままでした。
夫のことを「もっと理解したい、しっかりと寄り添いたい」ということと、それに付け足すように、身体感覚への気づきを高めたいという思いはありましたが、その両方を合わせても、本来こういった研修に参加される方に比べて、切迫感や、緊急性、切実さなどが感じられないように思い、こんな甘い気持ちでの参加が許されるのだろうかという気もしていました。
今思えば、いろいろと理由をつけてはいるけれど、最初の動機は、「一緒に居たい」「何をしているのか知りたい」という単純な気持ちだったように思い返しています。

そんな私に、霊基さんが最初から最後まで決して無理をさせなかったというのが、何よりもありがたかったです。
実際、最初のうち、テーマがおぼろげで、いったい何をしにきたんだろうと自問する私に、「興味という切り口から取り組んでもかまわない」と取り組みやすいように導入して頂いたので、変な気負いやプレッシャーもなく、こうせねばならないといったような思いは沸き起こりませんでした。
普段、周りの人の目や評価を気にしやすい私にとって、それはめずらしいことだったと思います。

半畳ほどの場所にちんまりと座っていることが多かったのですが、あの小さな空間で、実にのびのびと、私は自分の気持ちを自由に開放することができていたようです。

歩行瞑想、慈悲瞑想、ATM、洗腸、断食、コア・トラと、何もかもが初めてで、それぞれをそれなりに、日を重ねるごとに楽しんでいました。
しかし、3日めの夜あたりから、自分の瞑想に対する限界を感じてもいました。
感じるというよりは、もしかしたら自分で自分の限界を決めていたかも知れません。
興味だけで引っ張ることへの限界でもあったように思います。
その一方で隣の夫が、どんどん深く入っていくのを察してもいました。

「ちゃんと理解したい」という気持ちと、またそれとは裏腹に「理解したくない」という気持ちがあったのだと思います。
その抵抗感が、瞑想にのめり込めず限界を作ってしまう一つの要因でした。
自分のさみしさをどこに片付けていいのか、どう処理したらいいのか、持て余していました。
それについて、フォーカスしたり、コア・トラを取り組んでみたりしましたがなかなか上手くいかず、ただ、感情だけが揺れ、それを自分への慈悲瞑想で落ち着かせるといったことを何度か行っていました。そして、自分ひとりでは答えを出せないと思い至っていました。
「人に話して、聞いてもらいながら整理したい」という自分が求めている対処の仕方になんとなく気づいていました。
なので、面接の時に、そのままお話をしたのです。

かなり勢い込んで話をしたのだと思いますが、霊基さんに「はい」「はい」と静かに受け取ってもらいながら、最後に霊基さんが「よく分かります」と言って頂いたとき、ようやく、私の中のしこりが解けたようでした。
ほんとうに、あの時、安堵したんです。
たぶん、私は、「分かる」という一言を聞きに屋久島まで行ったんだと思います。
直接、相手に求めても受け止めてもらえず、相手を理解するためには、自分でも受け止めてやることができない、自分の中の「さみしさ」が浮遊していました。
より長くヴィパッサナーに携われ、より深く信仰しておられる霊基さんに受け止めてもらうことが大事だったんだと思います。
カウンセラー的に聴くのではなく、一個人として、ご自身のことも重ねて聴いて頂いたことが何より嬉しかった。
技術ではなく、そこに霊基さんの誠実な人間性が感じられた気がして、とても近く思えました。
たしかに、男と女の根源的な違い(今回、ものの感じ方、捕らえ方、対処の仕方、すべて異なることを改めて感じました。)であり、どうしようもないんです。
どうしようもないことは、分かっているんです。
でも、一度しっかりと受け止めてもらえないと前に進めなかった。

自分でも可笑しくなるくらい、小さくて、女々しい話ですが、私にとっては、とても切実で、大きな問題でした。
ほんと不思議なもので、いったんしっかりと受け取ってもらえると、とても気持ちが軽くなり、晴れ晴れとした穏やかな境地に至りました。

霊基さんが「教えたことをそのままやらなければいけないということはないから、せっかくの時間なので、やりたいように、やりやすいように使ったらいいのだから」と、あるがままの私を、その都度、さりげなくサポートしてくださっていたことも大きかったと思います。
たぶん独りではたどりつけなかった。

それから、階下から聞こえてくる生活の音や、気配がとても心地よかったです。
そばに人が居てくれている安心感がいつもありました。

まだまだ、書き足らないように思いますが、頭がぼーっとしてきました。
一旦このへんで閉めたいと思います。
あと数時間もすると夫が大阪に着きます。
荷をほどいて一段落したら、改めて一緒に初詣に行こうと思います。

夕方に夫からメールがあり、霊基さんから内観をすすめられたとのこと。
私たち2人の今後の関係を少し気遣ってくださってるのかなと想像しています。
夫もいい体験ができたようで、本当によかったです。

ほんとうにありがとうございました。