内観=大人になる修行

内観は、大人になるための修行(訓練)である、とも言えるでしょう。

子供が大人になる―

大人とは、相手の立場から物事が見えること。

自分の気持ち(モノの見え方・感じ方)とは違う、相手の気持ち(モノの見え方・感じ方)を察することができると云うこと。

たとえば、いま、私は、最高にハッピーで、ウキウキしているかも知れない。
しかし、そのウキウキした私の前に立っている相手は、まさに、いま失恋してどん底の気分を味わいながら、しかも、それを(相手に配慮して)隠しているのかも知れません。

「相手の立場に立って、物事が見え、考えることができる人」を、私たちは、人格者とか、人柄が良い、などと言うのですが、それが、今、ここで云う「大人」です。

それは、自分が主役で主人公の、自己内在的視点で描かれた映画=私の人生に出演し、リアルタイムで演じていながら、そこに登場する「ちょい役で脇役の誰か」、自分にとって何でもない彼・彼女の世界に入り、その人が主役の(その人の内在的視点から撮られた)映像を見、その内的な感情を経験し、そのストーリーのなかで脇役として登場する自分(私)が、どのようなキャラとして存在するのか、どう見えるのか、どんな奴なのかを理解する、そのような体験に似ています。

それがない限り、(ただ歳を重ねただけでは)幾つになっても、自分の感覚と感情、価値観・視点のみしか存在しない「子供」としてしか、(たとえば)親を見れない、社会に関われない、他人と親密な関係性を築いて生きていけません。

その、相手に貼り付けた、たとえば「親」という役割(ロール)を外してみると、それまで「子供」という立場・視点からしか見えていなかった「父・母」の姿が、自分と同じく、悩みも欠点も抱えた、一人の人間(人格)として、見え、理解できてきます。

そのとき、内面での成熟があり、和解があり、大人の人格同士としての新たな関係性の持ち方(会話や交流)が可能となります。