久松真一集

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〔信仰の崩壊〕
… 彼〔久松〕は生まれ落ちるなり、極めて篤信なる両親の、ことに祖父母の正統的浄土真宗の信仰にはぐくまれて、若い堅固なる信者となり、僧侶を志して(中略)おったほどである。ところが、中学を進級するにつれて、科学的知識の進歩とともに、従来の信仰との矛盾を感じ、真宗教義の上に種々な疑問が起こり始めた。(中略)しかし、このアポリアは、狭くは自然科学的知識、広くは人間性の洗礼を受けた近代人であるならば、誰しも衝きあたらざるを得ない、不可避の必然的な壁でもあったのである。彼は、ここで、いわば理性的疑いを疎外する中世的な、ナイーブな信仰の宗教的生活から、理性の自律的判断と経験的実証とに基づく近世的人間の批判的生活への転換を経験したのである…

〔主体的問題〕
ところが彼は、卒業まぎわになって、今や哲学に志してすでに八年、果たして所期の目的は達しられたかどうか、の反省的批判を余儀なくさせられるような種々の生きた問題に直面するに至った。哲学をやるようになって、ものごとを、個別的から一般的に、枝葉的から根本的に考えるように習慣づけられて来た彼に取っては、幸か不幸か、ここに直面した個別的な問題は契機となって次から次へと尾を曳き、遂に個別的問題から一切の問題の普遍的根源へと徹してゆき、問題は対象的から主体的に内攻し、いかに深遠なる哲学的認識であっても対象的認識である限りこの主体的な手許の問題の解決には全く無力であっていかんともし難く、結局今は、彼自身を主体的に根本的に変革するほかなきに至った。
ここで彼の重大関心は、対象的に真理を探求することでも、また彼自身の真のあり方を対象的に認識することでもなくなって、彼自身を存在的行的に変革するということになって来た。

〔禅を択ぶ〕
彼はいかにしてこの主体的問題を解決すべきかを考えたが、遂に意を決して禅によってこのアポリアを突破しようとした。この時、いわゆるあきらめとか、忘れるとか、心を他に転ずるとか、自殺するとか、自暴自棄になるとかいうようなことはもとよりのこと、神や仏に救いを求めることさえも、彼には何の関心にもならなかったばかりか忌むべきことでさえあった。彼は理性に絶望しながらも、理性の批判にさえも耐え得ないものに逆戻りすることはできなかった。(中略)いわゆる有神論的な宗教に訣別し、対象知的な哲学に絶望した彼の択ぶ道は、単なる宗教でもなく、単なる哲学でもなくして、行的な主体知であり、主体知的な行でなければならぬ。かかるものとして彼は禅を択んだのであった。

〔西田への手紙〕
一昨夜は、訪問日でもありませんのに突然参上いたし、色色御高慮を煩はしまして誠に恐縮の至りでございます。私はその節、先生より、病的興奮ではないかといふお話を承はつて、それならば大変と存じまして、その夜は落付いて静かに考へてみました。しかし、私が気を鎮めて内省を深く致せば致す程、私の過去の生活が虚偽であつたといふ自覚の絶叫が益明瞭に響いてまゐります。そしてそれを聞きまする度毎に、たまらなく恐ろしく、浅ましくて、ふるひ上らずには居れません。私は学問の研究、品性の修養の為に大学へ入つて哲学を修めんとし、又修めて居るのであります。しかしこれは果して純粋にさうと断言することができるでありませうか。私は厳正なる所謂道徳的生活を送つてまゐりました。しかしこれは、私の内心の自由な要求から起つたものでありませうか。私の行為の手の血管内に濁れる不潔なる血潮が流れては居なつたでありませうか。私の衣服、帽子、帯の陰には、虚飾の悪魔が紅い舌を出して居らなかつたでありませうか。私は何の為に、髪を理へ、髭を剃り、湯も入つて顔を洗ふか。私は机の底に一枚の鏡を有する、これは何の目的で購はれたでありませうか。電車の中にて、老幼に席を譲るにも、善行を衒ふと人が思ひはせぬかとの懸念の下に、気の毒とは思ひながらも、席を譲ることができなかつたやうなことはないでありませうか。そのくせ人前にて、衒つていたした善行はないでありませうか。かかる些些たる日常の行為に至るまで、試験管に入れて分析いたしまする時には、毒素の反応の現はれぬものが一つとしてありませうか。嗚呼、何といふ恐ろしいことでありませう。私はこの毒素を、私の行為の成分から全く除去しなければ、一刻の平和も得られません。私には、この恐ろしい毒素-行為の動因-悪魔-虚偽の私が力強い黒い手で、一瞬も離れることなくつきまとつて居ります。真の私を古井の底に幽閉して居ります。真の私の手足は、鉄鎖によつて堅固に縛しめられて居ります。行為に対して殆んど何の自由をも持たなくなつて居ります。只舌のみは自由で、嘲り、詈り、戒しめ、叱咤して居ります。然しながら、何の力もありません。只無力の声に過ぎません。而も今や、この舌さへも枚を含まされんとして居ります。かくて、凡ての自由を失ひ、虚偽の私をして、傍若無人の暴威を振はしむる外はなくなるのであります。私はこの恐ろしい束縛の鎖を脱して、いかにしても、自由なる天地に新しき呼吸を復活致さねば、罪悪の蜘蛛の紡ぎ出す粘り強い糸の為に、次第に咽喉をしめられ、牢獄の中にあはれなる墓を見出さなければなりません…

〔池上湘山老師との出会い〕
…〔川島〕昭隠は吹毛の宝剣の如く、湘山は刃もこぼれてしまった大鉞〔まさかり〕のようであった。西田幾多郎の眼識と指導力とはまことに驚嘆に値するものである。その年〔1915年〕の十一月五日、ようやく彼は、植村宝林の紹介により、植木義雄に伴われて、妙心寺僧堂で池上湘山に初めて相見し、まず小手調べに『大応語録』提唱の聴講を許された。彼が湘山から受けた初印象は、一塊の鉛の如く座蒲に食い入る動かし難いどっしりとした落ち着きと、何ものにもかかわらぬ屈託なき洒脱さ、安らかさ、無心さ、人為的な学知や有為善のすり切れた素朴さと、犯し難い威厳の内から溢れ出る温かい親しさと、錆びた黄金のような艶消しの美しさといったような、いいつくし難い複雑な、極めて深い味のものであった。初対面の彼にかような印象を与えた湘山の本来の面目こそ、彼が心の裡に描いておった憧がれのイデアであったのである…

基本的公案

「たった今ほかならぬここで、どうしてもいけなければどうするか」
「どういう在り方でも、われわれの現実の在り方は、特定の在り方であり、何かである。何かである限り、何かに限定され繋縛された自己である。何ものにも繋縛されない自己、それをまずわれわれは自覚しなければならない。立ってもいけなければ、坐ってもいけない。感じてもいけなければ、考えてもいけない。死んでもいけなければ、生きてもいけないとしたら、その時どうするか? ここに窮して変じ、変じて通ずる最後的な一関があるのである。禅には、古来千七百どころか無数の古則公案があるが、それらは結局この一関に帰するであろう。」『絶対危機と復活』p.191(著作集第2巻、法蔵館)より

……

H さっき先生が言われたように、公案が…隻手にしろ無字にしろ、無だけであったり、隻手だけであったりではないと言われることはよく分かるような気がするのですけど…、その無字なり隻手なりの公案によって、成るという場合には、ある意味では有相の〔形のある〕無字にだけになったり、隻手だけになったりすることを通して、無字だけだったり隻手だけだったりすることがないことに、のちにはなるわけでございますか。それともそういうことはなしに…。公案の拈提という在り方がわからないから、そういうふうに質問しているわけですけど…
久松 ですから私はね、そういういろいろな弊害が起きない、それが伴わないような公案というものはですね、このFAS協会で「基本的公案」といっているものがそれなんです。つまり、一切でない、一切でなくして自由なというものに徹するといいますか、それを自覚する公案と、まあ公案と言えばそういう公案ですね、それが基本的のものだと。だからこれは今の無相の自己に徹するいわば公案と、こういうことになるわけですね。だから言ってもいけなければ言わないでもいけない、ということになるというと、そこでいけないとされるのは言葉だけになって来ますわね。言葉ということだけになって来ますから、そうじゃなしに、一切でない自分というものですね、そこは窮して通ずるというところなんです。困るでしょうが… 窮して来る、窮するということは、一切からして、こうでもないああでもないということに、つまり一切でないということになるわけですね。そしてそれをそれによってそこへ徹する…(机を叩きながら)…未生以前と、一切未生以前と。善悪とか何とかいう、そういう特殊な何じゃなしに、一切未生以前と、すべて未生以前と。
 善悪というようなことも、不思善不思悪ということも、何かまだ私から言うと特殊なものになるわけですわね。けれども本当に「不思善不思悪、正与麼の時〔まさにそのとき〕、汝の本来の面目はどうだ」と言った場合には、「不思善不思悪」ということでもって一切を含むんじゃなければいけないんですな。善も思わず悪も思わすという…善悪ということだけじゃなしに、一切というもの。思わずということも、心が思うということだけじゃなしに、作用(はたらき)というようなものの一切…、心でなしに身体の作用も、手を動かすでもなければ足を動かすんでもないと、そういう手足だとか、あるいは触覚だとか、そういうようなもの一切を含めて、そうでないと。これがまあこちらで「基本的公案」というものになるわけで…

……

私は言った。
「釈迦は、悟るか死ぬか、どちらかに至るまで、もう動くまいと誓ったあの木の下にたどり着くまで、自分自身に六年間の極めて厳しい苦行を課しました。
光明を得るためには、同じような決意に至ることが不可欠でしょうか。」

久松が言った。
「いや、そうではない。不可欠なのは、<絶対否定>を経験することです。」

それから彼は全公案の本質は、彼の言う「基本的公案」、
すなわち「どうしてもいけなければ、どうするか」のうちに含まれており、
絶対否定を通過することと、この公案を解くこととは全く同じである、と説明した。

「悟るか死ぬか」という全面的なのめり込みが必要かどうかという点に関して、久松が否定的な答えをしたのは、理解できるような気がした。
彼は、釈迦における苦行というような、ガチガチの修行というものにさほど関心がなく、また問題が解決されるか、途中において死ぬか、いずれかになるまで動かない、などと誓うことに対しても同様であった。

基本的公案を課することによって、あるいは絶対否定を体験することを求めることによって、久松は禅修行者をあらゆる特定の宗教的実験から解放したのであるが、同時にさらに一層恐るべき難関を提示したのである。

行住坐臥、何をしていようと―苦行をしようが力を抜こうが、問題に対峙しようが逃げようが―何にせよ、いわゆる「私」にとって、人間のジレンマに対処する手段としては役に立たない。

二十年も前に、デマルチノ自身が彼のエッセイの中で道破したように、
「エゴがどうあがいても、その矛盾を解くことはできない」
「エゴは、実存的相剋において、それを終焉させることも、放棄ないし逃避することもできず、進むことも、退くことも、じっとしていることもできない。にも関わらず、それは、動け、解決せよ、と駆り立て促し続ける。」

この矛盾ないし相剋を、その根本において現実化し、それを突破すること―これが久松の唯一の要求であり、これに比べれば禅定も宗教的実践も、あらゆる種類の修行も、二次的なものであり、本質的なものではない。
それらが人間のもつ矛盾を克服するところまで達するときに限り、価値を持つが、そうでなければ、究極的立場から言えば、無価値である。

私と久松とのやり取りは、非常な苦悩のうちにある、あの日本人紳士に火をつけ―彼はこのときまで、完全に沈黙していたのだが―自らの問題を告白させた。

久松の対応は、それでも同じだった。
「基本的公案に対して、正面から立ち向かい、それを解くこと。」
                             (無刀両断)

……

要するに、悟りの人間像とは、物にも、心にも、仏にさえも繋縛されることなく、まったく相無くして一切の相を現じ、現じながら、現ずることによって、現じたものにも、現ずること自身にも、繋縛されることなく、空間的に無辺に世界を形成し、時間的に無限に歴史を創造する、絶対主体の自覚である。それはどこまでも自覚であって、外部知覚の対象にも、内部知覚の対象にもならない、それ自身がそれ自身で目覚めておる能動的主体である。

以上のさとりの人間像の解明は、さとり以外からの対象的解明ではなくして、さとりの自己表現としての解明であるが、
しかし、これも畢竟さとりの対象的解明に過ぎないではないかというならば、私は彼に向かって次のように対酬するであろう。

すなわち、
もしあなたが、言葉にもよらず、文字にもよらず、身体的動作にもよらず、精神的な作用にもよらずに、「さとりとは何か」と私に問うことができるならば、
その時私は、直下に主体的に、ずばり答えるであろう。