気づきの瞑想&ボディワーク9日間

* この体験記は、屋久島時代のものであり、現在(広島県 宮島)とは、設備・環境等に違いがあります


● 今回の研修参加の動機

参加の動機は、世の中でよく言われている瞑想ってよく解らない、っていうのが理由でした。
雑念を沈めて…光がとか、スッキリとか言われますが、自分で座ってみてもなんかしっくりこなくってどんな感じなのかが知りたいのが一番。
二番目は、腰の動きが人より鈍くて、今後のためにダンスを勧められ始めたのですが、これまた人より進度が遅いので、ボディワークで何とかならないものかと。

興味あることが2つ重なって、半断食は何回か経験していて、一人ではできないけどリトリートに入ると上手くできるので、体内と見た目(体重)をスッキリさせるのにもちょうど良いし、屋久島行ってみたい(屋久杉も見たい)という、いくつもの条件が上手く重なったのでお願いしてみました。

● 研修1日目

3時頃、宮之浦港へ到着。
迎えに来てくださった霊基さんの車で少しドライブをしながら研修所へ。
第一印象は、厳しそう…って感じだったのに、
いろいろ質問をされているうちに、本音がポンポン出てくるって感じで不思議でした。

また、この時に印象に残った言葉が、
「研修は2人で作品を造っていくようなものですから、
どんなものが出来るかはやってみないとわかりません」と、

「今回の研修、うまくいきそうな気がします」と言われたことでした。

これで、私の中にも何か良い暗示がかかった様に思います。

この日はドライブして海中温泉に行って、終了。

● 2日目~4日目(12月30日~1月1日)

研修開始。
ヴィパッサナー瞑想について詳しい説明を聞き、
ラベリング、歩行瞑想を練習することに。
お手本を見せてもらった。
ゆっくり歩きながら、ラべリング入れながら行うだけ…
“できるだろうなぁ”と思ったら、とんでもなかった。
一つ一つの動きをゆっくり感じ、ラベリングを入れるだけなのに、頭の中はぐちゃぐちゃ。
いろんなことが飛び出してくる。
そんな妄想や思考が出てきたら、それにもラベリングを入れる。

たったこれだけのことを行うのがどんなに大変な事なのか、
いかに自分が思考・妄想の中で暮らしているのか、を思い知らされる日々が始まりました。

一生懸命、心の動きと動作を一致させ思考を追い出し、妄想を追い出し、感覚に集中しようとしている間にも、これまでの習慣で無意識に動作を行ってしまうことが多々あり、落ち込むこと、嫌になることばかりです。(研修中はもっと集中するべきだし、集中しようと思いながらも…一方で、無意識に色々と動いて生きるための活動している脳や体の機能に「すごいなぁ!」「ありがたいなぁ!」「人間の身体ってうまくできてるなぁ!」っていう気持ちも湧いてきました。
が、そんなことに浸ってはいられないので、思考でラベリング、みたいな。
なんだか不思議な感じです。

また、この3日間、何も食べないという断食をしていました。
家だと半日断食するだけでも結構大変なのに、不思議なくらい全然お腹もすきません。
景色、環境が良いのと、張りつめた空気感のせいでしょうか。
食べない方が、心身ともに楽でした。

よりスッキリするため、31日のお昼に洗腸する予定が、昼寝をしてしまい夕方に。
水酸化マグネシウムと塩水2リットルを飲んで(結構量が多くて、きつい)、通常2時間くらいで出るらしいけど私の場合、夜になっても出なくて、そのまま就寝。
翌日、もう1度洗腸した方が良いのか?を聞いたら、別に、もうしなくても良いかも、とのことでしたが、午後、ボディワークでお腹のあたりをチェックされると、スッキリするかもね?ということで、スッキリさせたいので、再度洗腸をすることになりました。
2回目は何とか出ました。(良かった)

また、断食中は眠くなるから、眠くなったらいつでも寝て良いとのことだったので、よく寝ていましたし、寝ると研修から離れることができるので、楽になる一つの方法でもありました。
が、「今は脳を新しく書き換えている段階なので、普段の生活すべての行動に切れ目なくラベリングを入れるように、5分以上ラベリングが消えてしまうと、せっかく積み上げたものが台無しになります。夢の中でも一緒です。すごい人は寝返りを打ちながらでもラベリングが入ります」って言われ…
けっこう、このころ夢を見ていて、夢のなかって忘れて、気づいて、ハッとして、「ラベリング忘れた~ 何分だったろう?」とかもありました。

1月1日の朝は、早起き(目覚ましをセット)して初日の出を見に連れてってもらいました。
が、残念ながら雲がいっぱいで朝日は見ることができませんでした。
でも、素敵な海岸で広い海と空を見ていると気持ちも落ち着き、顔は出してくれなかった太陽ですが、雲を美しく照らしてくれて、雲の動きもかっこよくて良かったです。
でも、ちょっと前途を祝福されてないような気も…

● 5日~6日目(1月2日~3日)

断食から、味噌汁だけの半断食になり、具入りの味噌汁、回復食へ。
最初の味噌汁だけの時は、そんなに言われなかったけれど…ラベリングは入れる。

1月2日は、お天気がとても良かったのでドライブに連れて行ってもらいました。
到着日には、小雨状態で車から下りて歩いてみなかったので、春になったのでは?と思えるくらいぽかぽか陽気のなか、観光スポットではないけれど屋久島の島の成り立ちがわかる、断層がすごい崖に連れて行ってもらい、なぜ屋久杉が大きくなるのかを聞き、な~ンにも知らずに来た私には、驚きの連続でした。
(この崖の前に立ってみると、人間の一生ってほんの束の間なのに、何してるんだろう?ねぇみたいなことも…)

西部林道では、ヤク猿やヤク鹿を見て、車から下りて歩いて、穏やかな春の様な日を感じ、山も海もとっても綺麗で良い気分転換になりました。

1月3日はリベンジで日の出を見に行くことに…
目覚ましをセットして早起きしたけど、出がけに雨がパラパラと落ちだして、今日もダメかも?と思ったけど、せっかく早起きしたし出かけることに。
海岸についても雲はかなりあるけど、元旦の時よりは薄そうな気がする。
≪これで、太陽が見れたら、きっと良いことがある≫って願掛けをしながら太陽を待つ。
けど、なかなか太陽は出てくれないし、雲はかなり動くしで…
やきもきしながら、でもラベリングも入れながら…
そんなこんな、をしていたら雲に差し込む太陽の光が、
その雲と光が作り出す景色の美しさにも見とれて…
完全な丸い太陽は見えなかったけど、顔を出してくれたので、
≪うまくいきそうっ!≫と一人、なんだかホッとしながら海岸を後にすることができました。

食の瞑想に入る、回復食になると…
最初のお椀をとるまでに10分~15分はかけて欲しい、ということと、
ラベリングは必ずと言われ、1回目の食事は3時間くらいかかってしまった。
自分ではまあまあかなぁ?とか思っていたら、時々様子をチェックされていたらしく…
「動きが流れていて、出来ていない。時間をかければ良いというものではない」と注意されてしまいました。

でもこの時は動きが流れていた事は理解できても、
どうやったら最初のお椀をとるまでにそんなに時間がかけられるのか?
なぜ、時間がかかるのか?どうして流れててはダメなのか?
霊基さんの言っている事がまったく???わかりませんでした。
次の食事を考えるとちょっと気が重かったです。
食事が入りだすと、意識がしっかりしてきます、とかも聞いていましたが、そうかなぁ?
お腹に何も入ってない時もスッキリしていて良かったのになぁと思ったり。
美味しくも、大変な時間でもありました。

でも2回目、3回目とちょっとずつ、自分の動きを見れるようになってきたかなぁ?
ちょっと集中力上がってきたかも?
日々、進歩はしているような気が…と思ったら、
うわぁ、出来てないっ! とにかく基本へ戻らなきゃ!
ラべリング、ラベリング≪感覚≫≪感覚≫に戻る、の繰り返しが続きました。

霊基さんと、ほぼ日に3回くらい、修行の合間にレポートとかわからないことを聞きながら、色々な話聞いていると、いつからか、一般的に言われている(私が勝手に想像していた)「瞑想体験」というものよりもヴィパッサナー瞑想は、集中力を上げること? 感じる力(気づき)を高める事? みたいに私の頭の中が切り替わっていました。

このころから、なんとなくですが自分の中で‘逆5分ルール’みたいなものをつくっていたような気がします。
毎回、「ラベリング入っていますか?」って聞かれるのですが、入っているといえば入っているけど、すべてに…って難しい。
細かな事に気がつくときもあれば、あれれっ、大雑把には出来てるけど、これでよいの? とか、色々考えると≪思考≫≪思考≫のラベリングばっかりで、思考の渦にはまり込みそうになるし、ふっと、何も考えてなかったような時間があって…“ラベリングが入ってない!”ってことも…
落ち込んでしまっても仕方ないと思ったのか、(思考は切り捨てることだけをしていて、ほとんど考えていなかったので本当のトコロはよく解らない)5分までなら、今までの事は積み上がったままだよね! もしダメになっても全部自分の責任だからって。とにかく、落ち込むよりは少々のことには目をつむるっていう図々しさも出てきたような気が…

食事は、最初は多くの動きが無くても良いように、手で直接つかんで食べられるような物とか、スプーンだけで食べられるものだったのが、お箸が出てきて徐々に複雑に。
また、「お箸を使うと左右の手が同時に動くことがある」と言うと、今度はインテンションにもラべリングを入れると、同時に動くことも少なくなるということで、またやることが増えた。

食事は、お昼は玄米ご飯にお味噌汁とシンプルな野菜料理なのですが、味はもちろんの事、華美ではない素敵な器に美しく盛られ、箸置きは毎日違うものが出てきたり、料亭のような豪華さではないけれど、小さな変化で日々の食事が楽しめるようにとの心遣い・工夫が沢山されていて、今後の食事作りの参考にもなりました。
味覚も、玄米や野菜、木の実は、噛めば噛むほど複雑に味が変化していくのに、逆にチョコや甘納豆などの工場経由の規格品のお菓子は噛みこんでも単調で、そんなに口の中に入れておくことができないことの発見や、スプーンとお箸で食べるときの口に入る感覚の違いで味が違ったりして、お箸の良さの再発見とか…
食文化というか食ってやっぱり深いなぁと、またまた認識させてもらいました。

● 7日目(1月4日)

やはり、食事をとり始めると集中力も高まってくるのだろうか、
少しずつ感覚もとらえられる様になってきたのだろうか、
この昼食の瞑想はラベリングの入り方がこれまでで一番良かったと思えた。
いつもは比べる相手が実際にいるわけでもないのに、頭の中の誰かや何かと比較して不安に思っていたりしていた気がするけど、“自分で精いっぱいのことはやった!”と納得できた、その時の気持ちというか感覚は、なんだかスッキリとしてとても気持ち良かった。

その後の修行でも、指の感覚をより細かくつかむことができたし、夕食では最初のお椀をとるまで10分ぐらいかけてと言われていた動き(節足動物もしくは機械が動くように筋肉や骨の動きを感じながら身体の動きを細かくつかむようにといわれていた)も少し感じとれるようにもなってきた。
(でも、この感覚が本当にこれで良いのか、わからなくて、こんな感じでいいのか?と感覚を説明している自分がちょっとおかしかった。)

夕方にはボディワークの新しい動きを教えてもらい、布団の中でも動けるし、この動きをしっかりやると体の癖も治るといわれて、ウエストは細くなるし、お腹も引っ込むし、なので面白くなってかなり一生懸命やりすぎて、翌日腰痛が出てしまうなどということに。

最初の頃はあんなにできなくで、いつも悶々としているような感覚を抱えていたのに、なんとなく、≪こんな感じで良いのかなぁ!?≫とか、≪出来てるぅ!≫って気になってきて、楽しくさえなってきた。けど時に逆に≪気が弛んできているんじゃないの?≫という思いも出てきた…(こんな気持ちも≪思考≫≪妄想≫とラベリングを入れることはしてましたょ!)

● 8日目(1月5日)

残すところ、あと1日半。
この2日、3時間くらいの睡眠で十分になってきて朝もスッキリ目覚めることができた。
恒例の朝の温泉。
新しい課題が出された。
自分の内に向かうだけではなく、周りを見て、感じたことにラベリングを入れながら、これまでよりちょっと視野を広げてみてということ。
わかったような、わからないような…少し、感情を感じてラベリングしてみるけど上手くできないし、ずっと思考になってしまいそうになって、すぐにいつもの状態に戻したりしながら、なんとか終了。
(ヴィパッサナー瞑想にはまだまだ先がある、と実感)

お昼ごはん、出だし好調!
筋肉、骨の動きがなんだか感じられる、ラベリングもすごく入る。
昨日は最高と思ったのに、逆に、昨日はまだまだラベリングできてなかったんだと思える余裕もあるくらい、細かくラベリングできる。
リズム良く進む・・≪なんか、調子にのってない?≫みたいなことも・・浮かんでくる。
半分くらい食べたところで、おなかが膨らんできて、
≪食べたい!でもお腹もパンパンになってきた≫
≪お腹もパンパン♪ 頭もパンパン♪≫とか、ふざけた節まででてき出す。
≪なんか大丈夫?私≫とか思って時計を見ると、まだ、1時間くらいしかたっていない。
≪ひょえ!早すぎる。何か、抜かしてる?≫とか思いだし、急に不安になってきたら、突然、頭がガンガンしだして。
これまでこんなことなかったのに…とか思い出すと、思考が止まらなくなってきて、≪後悔≫とか≪言い訳≫とか出てくる、出てくる。
感覚に戻ろうとしても、難しいし、頭が痛くて。
痛みを感じようと思っても思考が止まらない。
もうパニック状態、
≪食事中なので部屋にいなくちゃ!≫とか考えるけど、どうしてもおさまらなくて、
気分転換に外へ出よう。≪見る≫≪聞く≫≪感じる≫に必死に戻そうとするけど…
海見て、気持ちを落ち着けようとするけど…
とにかく、すべてを≪思考≫というラベリングで切り捨てる努力だけをしてたら、
≪しょうがない、今回は失敗でも… 自分がやったことだから…≫って考えが出てきて、覚悟を決めたら、少し落ち着いてきた。

頭はまだ痛いけど、部屋に戻って、残りのご飯は食べれないけど…
靴下についた引っ付きムシの粒を、できるだけモノを考えないようにして取っていると、

霊基さんが登場。

「どうですか?」って聞かれるので、
「最悪、全然ダメ、最初は上手くいってると思ってたのに…頭がガンガンしだして…」とかって、「怒られる~~」とか思いながら伝えたら、

「よく、頑張りました」みたいなことを言われて。

『ほえ???? はぁ???』状態。

「がんばり過ぎて頭がパンク状態になっただけです、大丈夫です」って言われて、ちょっと安心。
「少し休んで、寝れたら寝てみて、また修行してください。今なら歩行瞑想とかも集中できますよ」と言われ、
自分としてはまだ半信半疑で、
「そんな、もんかなぁ?
あんまり考えたくないし、考えられないし、頭いたいし、じゃあ、寝よう!」と思って、布団に入る。

横になってみると、なんだか頭の中が真っ白…
上手く表現できないけど、さっきまで、ものすごい勢いで出てきていた思考が出てこないというか? 初めて経験する感覚が…
そのまま、眠りに落ちてるんだけど、その間も真っ白な事がというか、何にも浮かんでこない真空状態のような不思議な感覚を経験。

で、1時間くらいたって目が覚めるとなんだか妙にすっきりしていて、頭ももう痛くない。
感覚が今までより感じられる。
歩行瞑想をやってみると、前日に体のゆがみを調整してもらったりして、体のバランスもとれている事もあるからか、これまでにないくらい上手く歩ける。
足の裏の感覚も敏感になっていて床の凸凹とか感じ取ることができる。

≪すごい、びっくり!!≫
いろんなことが、できる様になっているので楽しくなって、顔が緩んで、ニタニタしてしまう。

状況確認に霊基さんが来られたので、すごく、上手くいくので楽しい、って伝えたら、
「じゃあ、修行を続けてくださいね」と言われたので、
「もう、飽きたので何かないですか? 昨日のボディワークは腰が痛いので、もうあんまりやったらダメなんですよね?」とか言ったら、(後で考えたら、「飽きた」とかって何て事を言っているのでしょう(^^;;
この時は、思考停止状態なので思ったことがブレーキもなく言葉が出てしまっていたのです。)

ボディワークをしてくださることに…
自分で動くのではなくて、マッサージぽい感じなので、これまた楽で楽しい。
でも、自分の身体の癖とか、自分の身体について思っていたことと現実の状態が違っていたりとか、またまた、たくさんの発見が…

身体が軽くなるし、ウエストのラインとかお腹も引っ込むので、楽しくって。
修行って感じではないし、このボディワークは美容にも使える。
でも、単なるマッサージと違うのは右側半分だけ調整してもらって、その感覚を左側に移す、というトコロ。
なかなか半身に移すというのは難いけど、ここでも感覚に集中してきたことが役に立ったりしているのは面白かった。

その後の晩御飯のときは、肩や腕が軽くなっていて、油を差した機械のように動きがすごくなめらかで、前日とはまた違った感覚だった。
ラベリングもセンセーションとインテンションがかなり上手くできていると感じることができた。
「最後の夜なのでこれまで学んだことで好きな事でよいので、より深めてください」と言われたのと同時に、「慈悲の瞑想や誓願(アファーメーション)をすると良いですよ」と言われて方法を教えてもらった。

慈悲の瞑想をし、誓願をかけて、布団に入って感覚を研ぎ澄ましてみる。
また、これまでとは違った感覚が生じていたりする。
夢なのか現実なのか、わからないって感じ。
上手く言葉にできないけれど不思議で楽しい夜でした。

● 最終日(1月6日)

最後のお昼の食事までが今回の研修。
歩行瞑想の最終確認。
集中も上手くできてるし、感覚も大丈夫!
≪10分くらい集中できたかなぁ≫と思って時計をみると、30分も続けてたり…
今度は逆に、ちょっとボーとして、
≪あれ思考だ、ラベリング入ってないし…かなり時間たってるぞ≫とか思って時計をチェックしてみると1分しかたっていなかったりして、
そんなチェックを何度かやってみると時間の感覚が違うことに改めて気づく。
≪逆5分ルールも満更でもなかったかも?≫とか思ってみたり

そして、とうとう最後の食事。
気合いを入れて、もう一段階とか思ったけれど…
最初は調子良かったけど、なんだか楽しくて、うれしくて気が緩んでしまって上手くいかなくて、
最後は感謝しておいしくいただく事にしました。

● 終わってみて

このリトリートをとおして、頭でわかっていると思っている事と、身体を通してできるということの違い、
思考を切り離すこと、無意識を意識に乗せることの大変さを自分の全身を使って経験させてもらえたこと。

そして、子供のころとは少し違った視点で、「解る」「できる様になる」ことの楽しさを教えてもらえた、本当に貴重な体験となりました。

最初は大変でしたが後半の2日間ぐらいは楽しい楽しいで、修行って感じじゃなく、
その上、ボディワークは、身体の調整というより美容寄りになってしまったので本当にこれで良かったのか?は疑問も、ちょっとありますが…

これまでとは違った視点、感覚で物事を見ることができるようになっている様で、変わっていないようで、何か根本の部分が違っている気がします。

今回の研修で、なんとか自分の中のツールを探りあてることができ、使い方の第1段階を少しだけ覚えたところなのだろうと思います。

それもこれも、日々私の状況に適した課題を出しながら、時に応じた的確なアドバイスと膨大な経験と知識からくるお話を聞かせていただきながら、まだ見ぬ境地への好奇心をうまく引き出してくださり、時に厳しく、時には自然の中へ連れ出して気分転換させてくれたりして、そして何より毎日のおいしいご飯のおかげだと思います。

あれから、1か月が経ち、既にラベリングは入ってない状況、
体型維持も??ではありますが (^^;;
最後の夜の慈悲の瞑想のおかげか、周りの人たちに感謝の気持ちが持てる様になり、毎日楽しく、心地よく過ごせています。
ただ、これから数か月は仕事がとっても忙しくなるし、研修の時の新鮮な気持ちは徐々に薄れてきているので、どこまで、この研修で得たものを日常の生活に生かしていけるかなぁ?と思いますが、気負わず、日々の生活を大事にして、たまにはラベリング入れたりしながら、少しづつでも活用できるようにしたいです。

また研修中、盛んにすすめていただいた内観は、自分のドロドロさを知るのが怖くて嫌だったのですが、この感想を書くにあたりこの体験を振り返ってみたら、新しい視点ができ、また一つ楽しく年を重ねていける方法を見つけられた様なので、さらなる深みに触れるべく、いつか長期の休みが取れたら、完全断食一週間と一緒に内観も受けてみて、お話で聞いた、お釈迦様とかが見てた世界、ヴィパッサナーの奥義に少しでも近づくことができると良いなぁ…と思っているので、またご縁がありましたらよろしくお願いします。