半月ほど前でしょうか。
思わぬ人からメールが来て、驚きました。
それは、私が屋久島で研修所を始めて間もなくの7年前に、ウチで内観研修を受けて下さった女性からでした。
その女性の内観研修は、私にとって、かなり強い印象を残した忘れらない研修の一つで、いまでもよく、新たに内観研修に来られた方との会話の中で、一つの事例としてお話しすることがある、その女性からのメールでした。
よく、研修中にお話しする内容は、こんな感じです。
「自分がかって、屋久島で研修所を始めた頃、多分、内観研修を受けるのは3人目くらいで、いま考えれば、まだ面接者としての知識も経験も持っていなかった頃…
ある若い女性からの申し込みがありました。
申込書を読んだ時点で、その内容があまりにも重く、正直、「自分で大丈夫なのか、こんなに重症の人の研修受けて、ホントに責任持てるのかな、ホントに満足してもらえる結果を出せるのかな」と不安になりました。が、申し込みが来ちゃった以上、やるしかないと思い、お受けしました。
その当時の研修所は、(なかなか設備の整った場所に出会えず、屋久島内を転々としている頃で)トイレもお風呂も無い、3階建ての鉄工所の廃墟のような場所でした。
雨の日には、傘を差しながら野グソをして、自分でスコップで埋め、夜はトイレに行くのが大変なので、尿瓶(しびん)で用を足すと云う環境でした。(ただ、景色は非常に良い場所でした)
(写真→ 三階・研修棟からの眺めと、三回の屋根の上に坐っている私) 懐かしいです。
そして、私の研修所の主催者・面接者としての心構え・技量も、本当にお粗末なもので、いま考えて、良くあれで研修所なんてやってたよね、と正直思うような状態でした。
しかし、そういうマイナス要因のてんこ盛りみたいな状態で、その女性は出だしから、まったく、そんなマイナスには目もくれず、非常に深い、素晴らしい内観をされて、そして、その10日で、本当に劇的な、認識の転換、問題からの開放を果たされました。
私は、その彼女の面接を聞きながら、ずっと、「この人は、一体どうして、こんなに凄いのだろう。一体何が違うのだろう」と感じてました。
(多分、最終日に)研修が終わって、互いに山場を無事越えた開放感から、ある種、気楽に雑談をしていたときのことです。
彼女が、割と普通の口調で「私は、実は、今回、この研修で駄目だったら、そのまま屋久島の海に泳ぎに行って、そのまま流されて行方不明になって自殺しようと思ってました。それくらい、今回の研修をラストチャンスと考えてました。これまで、思いつくこと何でもやってきて、それでも駄目で、苦しみは無くならなくて、だから、これで駄目だったら、もう無理だと思っていたので…」と云う話をしてくれました。
それを聞いた私は、「ああ、やっぱり、そうだったんだ。研修者としての私も大して良くなくて、修行環境も、かなり良くなくて、それでも、こんな良い研修を成し遂げた理由は、やっぱり、つまり、そういうことだったんだなぁ」と納得がいきました。
で、つまり、「彼女の例を見ても分かるように、指導者のせいでもない、設備・環境のせいでもない、知識量でも過去の修行経験でもない、良い内観するのに必要なのは、ただただ、自分の決意・覚悟・問題意識の明確さのみですよ。貴方には、それだけの覚悟・決意がありますか?」と云う話をさせていただく訳ですね。
その彼女からの6年越しの研修体験記でした。
非常に良い内容でしたので、主要部分を抜粋して紹介してみます。(ご本人から、使用許可を頂けました)
ちなみに、彼女の生育環境・両親との関係・過去の出来事などは、普通誰が聞いても思わず涙してしまうような、ドラマにでもなりそうな、一言で言って、悲惨で、残酷で、そりゃあ、これじゃあ親を恨んでも仕方が無いよな、恨むしかないよね、と感じさせられるような内容でした。
だから、彼女が、「自分がこんな風になってしまったのは、すべて親のせいだ、親が自分の人生をメチャクチャにした」と主張しても、反論が難しいような人生でした。
あと、文中、私を非常に良く評価して下さっていますが、これは、自分としてはコソバイ感じで、私自身が、この体験記を読んで感じたのは、1.自分は、その当時、自分の面接者としての技量に自信が無かった。が故に、総力戦で、必死で、なりふり構わず研修に取り組んだ、それが逆に良かったのかもしれない、と云うのと、2、あと、自分は、カッコつけなく、自分の欠点とかも隠さず丸出しにして研修者の方に接していた。そうするしかなかったから。これも結果的に良かったのかも知れないな、と思いました。
これはどちらも、そうするしかない状態だったから、そうしただけですが、それが、いま、送って頂いた文章を読んで、結果的に良かったのかな、と感じました。
体験記後半の、「その日」以降は、これは、最終日に内観を一区切りして、最後の挑戦として、コアトランスフォーメーションの技法をアレンジしたセッションを行った際のものです。
内観研修で、かなり気づきが高まっていたこともあり、このセッションは、かなり良い結果となった記憶があります。
以上、思わぬ時間ができて、いまパソコンの前で走り書きした文章です。
誤字脱字等あるかも知れませんが、お許しください。
以下、体験記、本文です。
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内観が始まり、船江さんは本当に上手にリードしてくださいました。
ご自分の主観は一切入れ込まず、主線から外れても柔らかく誘導してくれる。
着地点をしっかり理解しているからこそできることなのだろうと、いま感じます。
二日目から、私はすでにどうやって逃げ出そうか考え始めました。
かなり本気でした。
自分が思い込んでいた「過去」
その「過去」のおかげで被害者でいれた、悲しみに暮れる理由があった。苦しむことに没頭できた。
そのたくさんの逃避と、言い訳で、私は私を形成づけられていた、
と思い込んでいました。
ところが、内観を進めるにつれ、私が観てきた「過去」は、
もっとたくさんの顔をもっていることを思い知らされます。
一か所にフォーカスされ、そこをまた自分の都合の言いように歪ませて見続けてきた「過去」
それが実は私が思い描いていた「過去」とは程遠かったとき、
被害者だった私は加害者になり、
加害者だった人間は、完全にわたしを救った人間たちだったし、私を不器用にも愛した人間たちだった。
そんなわけない、そんなことでは困る。
もう逃避もできない、もう言い訳もできない。
もうかわいそうな人間でいられない。
もう誰も、私を愛してくれる理由がない……
私は怖くて怖くて、もうそんな「真実」など知りたくなくて、本気で逃げ出そうと脳内会議を繰り広げていました。
自分が無知で、思いやりの欠片もない、被害者の仮面を真実を曲げてでもかぶり続けた滑稽な人間だと信じたくありませんでした。
それでも、船江さんの大きくて静かな器の中で、私はそこにとどまりました。
船江さんでなかったら、私は逃げ出していたと思います。
それほど衝撃は大きく、苦しかった。
まさか、自分がこんな人間だったなんて……
本当に衝撃だった。自分を醜いと思ってはいたけれど、ここまでだったとは…
今まで加害者と思っていた人間すべてに、土下座して謝らなくてはいけないと、何日か泣き明かしました。
……
その日、私は自分でも驚くほど「子供のように素直」でした。
船江さんに質問された「お父さんにどうして欲しかった?」という問いに、
「私の気持ちを聴いてほしかった、ただそれだけだった」と泣きわめきました。
今思えば、え~~??そんな簡単なことだったの??って感じです。
そんな単純な、簡単な、シンプルな希望を言いたいがために、
どれだけ遠回りをしたんだろう。
単純なその想いを、恥ずかしいと思い、裏切られた時を想像し恐怖し、孤独になり、抑え込み、抑え込むために理屈をつくり、
抑え込んで苦しい理由をまた作り上げ、どんどんシンプルな真実から遠のいて行ったんですね。