内観コース体験記 35歳女性

私は失恋がきっかけで内観コースに参加することになりました。
もともと瞑想コースを希望していたのですが、私の申込書を見て、指導者の船江さんが、
今の私には内観コースが適切だと勧めてくださいました。
内観が何かもよくわからぬまま受けましたが、彼とのことだけでなく、両親、弟に対しての内観で様々な気づきを頂けて、大変貴重な体験をさせていただきました。
以下、内観ごとにまとめました。

母に対しての内観1回目(内観初日)

最初の内観は、母に対するものでした。
言われるように、生まれてからの母が関係する出来事を可能な限り思い出して、生まれてから小学校入学までと、小学校入学からは2~3年に区切って、基本三項目「して頂いたこと」「して返したこと」「ご迷惑をかけたこと」について調べてみました。
この時点では集中することが難しく、すぐ雑念が出てきてそちらに気を取られてしまっていました。
そして空腹のせいか目をつむっているといつの間にか眠気に襲われてコックリコックリ…。
「体が眠りたい時は寝ても良い」と言われたのが救いでした。
この時は短い仮眠を沢山取らせていただきました。
なんとか現在まで一通り終えた感触は、自分を深く観察できた手ごたえはなく、既にわかっていることをなぞっただけ、というものでした。
この時点では内観になっていませんでした。

養育費 (内観2日目)

初めてしっかりと自分の養育費を計算しました。
その方法は、母の出産費用から始まって、私が成人するまでに母が私にかけてくれた労力、保育園から大学までの学費、小学校で買ってもらった絵の具セット、書道セット、お小遣い、クリスマスプレゼントまで詳細に亘って、可能な限りすべて思い出して計算するというものでした。
その額は私が想像した数字と大きくかけ離れていました。
愕然としました。
それに比べ、私がお返しできた労力、金額はその10%にも及びませんでした。
この数字を知って、両親の偉大さと子供への無償の愛を心の底から感じました。
そして親が子供の成長のためにお金を払うことは当然と思っていたことを恥ずかしく、申し訳なく思いました。
これまでの表面的な感謝の気持ちではなく、今では本当に親を尊敬しています。

彼に対しての内観1回目 (内観2日目)

私が内観を体験するきっかけとなったのは、今の彼です。
約1か月前に彼から別れの言葉とも取れる厳しい指摘(私の内側の問題についての指摘)を受けていました。
それによって私がそれまでに築き上げてきた価値観が崩壊し、精神的に不安定な状況でした。
彼に対しても「して頂いたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3項目を調べてみましたが、1回目ということで「裏切られて傷ついた可哀想な私」という表面的な観察がまだ大部分を占めていたように思います。

母に対しての内観2回目 (内観3日目)

母に対しての2回目の内観ということで、最初から「1回目よりは深く深く…」と思って取り組みました。
指導して頂いたように、できる限り多くの出来事を色鮮やかに思い出して、その時代の自分になるように意識してみました。
ひな人形を飾ってくれる母の周りで遊んだ楽しい気持ち、小学校から帰ると家にはいつも母がいるという安心感。
母親がプッチンプリンの容器でご飯を盛りつけた自家製お子様ランチ、等を思い出してとても幸せな気持ちになりました。
母は当時、大人用と子供用の献立を分けて夕飯を作ってくれていました。
そして、その頃の母は今の私よりも若かったのです。。。
母にはかなわないと思いました。

中学校、高校、大学と進んで、社会人になってからも、母はいつも優しく私たち子供の生活を気にかけてくれていました。
初めて就職した会社の給料が安いとぼやく私に、いつも「生活は大丈夫か?」と聞いてくれ、実家に帰るといつもお小遣いをくれました。
そして私はそれにすっかり甘えていました。
本当は小遣いがなくても生活はできていたのに、友達と飲みに行ったり、洋服を買ったりしたいというわがままを、「私は他よりも給料が少ないからかわいそう。だから私はお小遣いをもらってもいいのだ」と都合よく解釈していました。
私は本当に身勝手な甘い考えをしていました。
同時に母は子供が何歳になっても心配し、守ろうとしてくれている、ということがわかりました。

嘘と盗み(内観4日目)

「嘘と盗み」では、生まれて~6歳まで、以降2~3年間隔で過去に自分が犯した嘘と盗みについて調べました。
嘘については、嘘を言った時の心の動きが何だったかでそれを「悪い嘘」とするか「良い嘘」とするかを判断すればよいと言われました。
調べてみると、今まで嘘も方便と思ってついた良い嘘も、深く自分のことを調べてみると結局は、「相手を傷つけるのを恐れる自分を守る」ためだったり、自分の虚栄心が原因になっていたりすることに気づきました。

この嘘と盗みでは、私の20代半ば~30代前半の恋愛の嘘(本気ではない恋愛)を再確認することになりました。
その時の相手の立場に立った時、自分がその方たちにしてしまったことの重大さに気づきました。
当時お付き合いした方々に本当に失礼なことをし、申し訳ない気持ちになりました。
お付き合いした年月は、私が彼らから奪ってしまった時間とも取れます。

そして今の彼について。
私には彼に対しての劣等感と彼から認められたい承認欲求があり、それ故に本当の自分の気持ちや姿を偽っていた事実を確認しました。
対等に本音で付き合おうとしてくれていた彼に、真心がなかったのは私の方だとわかりました。

嘘と盗みで一気に過去の自分について調べる深さが強まったような手ごたえがありました。
この時4日目なので内観をしている実感が持てて、正直ホッとしました。

弟に対しての内観(内観5~6日目)

私には4歳下の弟に対して、様々な思いがありました。
約10年前に彼が就職活動に失敗し、この数年間は特に、気が付くと弟の将来を不安に思ったり、不甲斐ない弟に腹が立ったり、「負け組」のような人生を送っている(と私が思っている)彼を不憫に思ったりしていました。
弟は、現在31歳。
一人暮らしで日雇いの仕事をしていますが、完全に自立はできていません。

内観は私が4歳の時、弟が生まれた年から始めました。
その時代を思い出すと、幸せな気持ちになります。
ハイハイができるようになった弟が二階から母親に起きたことを知らせるために「あ~あ~」と発する声がはっきり聞こえてきました。
弟は可愛くて、私よりも小さくて弱くて、泣き虫でした。
私は確かに弟を可愛いと思っていましたが、小さい頃の私は弟をおもちゃのように扱って、叩くこともありました。
その関係はある意味成長してからも続いていたかもしれません。

幼稚園、小学校入学と成長しても弟は本当に良く泣く子でした。
私は幼いながらもよく泣く弟が男らしくないと思って苛立っていたように思います。
また「こんなに泣かされて不憫だ」とも思っていました。

私は幼少期から常に「私の理想の弟像」というフィルタを通して弟を見ていたことに気づきました。
ゲームが上手な弟は○、いじめられてよく泣く弟は×、笛の練習が好きな弟も男の子らしくないから×、中学の運動部でレギュラーになったのは◎、関西で名の知れた大学に入学したのも◎、大学でアルバイトをしない、しても続かないことは×、といった具合です。
このようにして弟をあるがままに受け入れずに、私の描く弟像の枠に入っているかどうか、つまり私の価値基準で、今日まで弟を判断してきたことに気づきました。

特に弟が大学に入学してからの生活態度を思うと今日まで腹を立てていたように思います。
学費のみならず生活費のほぼ全額を親に払わせていた弟に怒りを覚えていました。
しかし養育費の計算、母に対する内観で、はっきりと私も弟と同じくらいの経済的な援助を親にして頂いていたことに気づきました。
私はバイトをしていたものの、そのほとんどを自分の好きなことに使っていたのです。
自分のことを棚に上げて人のことばかり非難していました。
私は本当に自己中心的です。
それを自分にも他人にもうまく隠していたようですが、実は本当に身勝手な考えを持っていました。

また、指導者の方からは、「もしかすると弟さんも、実は一生懸命努力をしていたのかもしれませんよ」と仰っていただきました。
そして意思が弱いこと、バイトを始めても長続きしないことは(人目には分からない程度の非常に)軽度の障害かもしれない、と。
私は自分の弟に障害がある、という解釈を受け入れるのは抵抗がありましたが、そう考える方が弟を責めずに済む、という安堵にも似た気持ちもありました。
また、彼が家族の問題児の役目を請け負ってくれたことで、私と親の関係やその他家族の関係が近くなった、ということもあるかもしれません。
どこの家族にも必ずと言ってよいほど問題の種になる人がいるそうです。
その役目を弟が負ってくれているのだとしたら、感謝しなければなりません。

それ以外にも私も弟も両親に経済的に大変お世話になっている点で違いはなかった、という事実が確認できたので、責め心なく(私には責める資格はありません)彼の将来について両親・弟と話してみようという気になりました。

父に対しての内観(内観7~8日目)

実は父に対しての内観が最も心にズシンと響きました。
自ら進んでやるとういうよりも、指導者の船江さんに勧められて父に対しての自分を調べてみました。
そこで体験した気づきの意味は大きかったように思います。
父はよく「子育てはお母ちゃんに任せていた」と言います。
そして私も話をそのままに聞いて「そうだったのか、お母さん大変だっただろうな」と思っていました。
ところが父との記憶をたどると、父は私をお風呂に入れてくれ、遊んでくれ、仕事場にも連れて行ってくれ、子供たちとのコミュニケーションを大事にする人だったことがわかりました。
私は小さな頃から父の愛に包まれて育っていたのです。そして愕然としたのは、父は研修期間中に算出した巨額の養育費を払ってくれていたことと、そんな父に成長してからも経済的負担をかけていたことです。

最初の就職で一人暮らしをする時と東京に引っ越した時のアパートの敷金・礼金はすべて親に出していただきました。
すでに社会人になっていたのに情けないことです。

父は自営で鉄工所をしています。
顧客が多くいる地場産業も不景気で今では父の仕事も暇になってきています。
仕事がない、暇だ、と言っている父を見て、私は父に対して労いの言葉をかけるでもなく、心の中では「父には経営努力が足りない」とか「仕事を増やすための工夫がない」などと思っていました。
父への感謝の気持ちしかないはずなのに、私はなんと恐ろしい考えを持ったのだろうと思います。
まだあります。
父はすでに70歳を過ぎています。
私は口では「早く父に楽させてあげたい」とか「いつ死ぬかわからないんだから、これからは楽しんで」と言っていました。
しかし行動では逆のことをしていました。
35歳の私はまだ独身で、安定していた仕事を捨てて今はなんとか生活している状態です。
また、長男である弟もまだ完全に独立できていません。
こんな状況では父も引退したくでも出来ません。
父の気持ちも知らず、よくあのような軽々しい発言をしていたかと思うと恥ずかしくなります。

父に対しての内観は、私にとって意味の大きなものでした。
もちろん、自分の非情な言動を突き付けられて、反省することが沢山ありましたが、
今は父を心の底から尊敬することができるようになりました。

彼に対しての内観2回目(内観8日目)

内観らしくなってきて、最後にもう一度、彼に対しての自分を調べました。
すると付き合いが始まってからの彼の愛情を再体験して、涙が出て来ました。
彼は私のことを愛してくれていたのに、ある時点から私はそれでは足りないと思い、その足りないもの(あるいは、ないと思っていたもの)を得るのに必死でもがいていたことに気づきました。

この行動の原因はいくつかあります。
ひとつは過去の恋愛経験です。
私が20代前半で本気で好きだった人に振られた経験と、今の彼との付き合いを無意識に同じパターンにして、一人で筋書きを作って先のことを不安に思い、その不安を解消することに必死でした。
これでは彼も離れて行ってしまって当然だと思います。
私が彼の立場でも彼と同じようにしていたと思います。
他の理由には、「彼と釣り合う理想の女性像」と実際の自分の姿とのギャップを感じていながら、それを認めたくないために、執拗に彼の気持ちを確認しようとしたことです。
私が思い描いていた「彼と釣り合う理想の女性像」とは、彼のように好きな仕事をして、毎日が充実している素敵な女性。
それに引きかえ私は、本当に自分がやりたいこともわからず、まわりの評価や、こうあるべき、という価値基準で生きてきたので、常に恐怖を抱えて、葛藤している。
そして何かあれば人に責任をなすりつけるのです。
私が受けた彼からの厳しい一言は言われて当然です。
私にはこのような言動を引き起こす内面の問題がある、ということを彼は先に気づかせようとしてくれていたのに、私は聞き入れていませんでした。
私はこの内観で、彼が私に伝えようとしてくれていた私の問題を自分で気づくことができました。

全体的な感想

この内観で、自分がいかに身勝手で自己中心的であったかを思い知らされました。
それは彼に対してだけではなく、家族、友人、私のまわりのあらゆる人に対してです。
今回のきっかけは彼からの別れ話でしたが、家族のありがたさ、両親の偉大さについても再確認することができました。
特に私が成人するまでの親の経済的援助と労力に関しては本当に頭が上がりません。
今までの多くの失礼な言動を申し訳なく思う気持ちでいっぱいです。
また、問題児扱いしていた弟ですが、私も弟に負けず劣らず問題児であることがわかり、一方的に非難し続けたことを申し訳なく思います。
そして今回の体験で弟も弟なりに一生懸命生きている、という気持ちになれたことが一番嬉しかったです。

彼氏に対しての内観が非常に難しかったです。
して頂いたことは下手すると「のろけ話」で終わってしまいますし、
して頂いたことよりも、「された事」に勝手に考えが移って行ってしまいます。
それでも最後の彼に対する内観では、彼が与えてくれていた愛を感じる事ができました。
そして彼からの厳しい言葉も、自分がすべての原因だったということが、よくわかりました。
それでも、「不安」「恐れ」という感情がなくなるわけではありません。
それらの感情を今持っていると気づくこと、
その感情を引き起こす原因をわかったうえで行動することが大事である、
ということを肝に銘じて毎日を過ごして行けるように頑張りたいと思います。

食事については、すべて美味しくいただきました。
お料理は良質の食材を使って指導者の方が調理してくださいました。
朝食と間食はないので、いただく時には本当にお腹がすいていて、すべてが美味しく、有難い、と言う気持ちになります。
そして時間をかけて一口30回噛みながらいただくと、本当に自分の体の一部になっていくような気持ちになります。
玄米ご飯は本当においしかったですし、個人的にはほんのり甘いチコリコーヒーが大変気に入りました。

屋久島は内観をするには最適の場所です。
周りには自然しかなく、内観を進めていくうちに、研修所から見える木々や森の緑が今までになく鮮やかで、遠くのものまではっきり見えました。
指導者の方は、内観をすることで私の感覚が研ぎ澄まされているのだと教えてくれました。
本来人間はそれくらい感覚が鋭いはずであるのに、
日常生活のいろんな問題やしがらみの中でその感覚を鈍らせていくのだそうです。

私の滞在期間中はほとんど雨でしたが、内観研修中は出かけないので、特に問題はありませんでした。
さすがに帰る日に台風が近づいていて飛行機がキャンセルされた時は心配になりましたが、「自分ではどうしようもないことを心配しても仕方ありません。大宇宙(神?)にまかせておきましょう」と指導者の方が仰ってくれ、結果的にはその日のうちに帰ることができました。
その時は本当に「私は守られている!」と思いました。

最後に10日間付きっきりでお世話になった指導者の船江さんに感謝の気持ちを表して、私の体験記とさせていただきます。
ありがとうございました。