* この体験記は、屋久島時代のものであり、現在(広島県 宮島)とは、設備・環境等に違いがあります
2010年のお盆休みを利用して7泊8日で気づきの瞑想のリトリートを体験させていただきました。
具体的な体験談を書く前に、これを読まれる方の参考までに、私がリトリートに至ったきっかけを少し紹介させていただきます。
私がヴィパッサナー瞑想に興味を持ったのは約3、4年程前だった。
当時、仕事や対人関係にしっくりいっておらず、仲の良い友人や実家の両親に不満ばかり漏らす毎日を送っていた。
表立って大きな問題を抱えている訳ではないのに、焦燥感や疲労感、虚しさをどうしても振り払うことができなかった。
心のどこかでは『これは自分の内面的な問題なのでは・・・』と薄々感づいていたように思う。
だから、表面上は仕事の不満などを言いながらも転職などは考えることもなく、心の問題を扱ったような書籍やホームページばかりを眺めていた。
今思えば、虚しさを解消するために躍起になって仕事をしてみても、趣味に没頭してみても、結局はそれ自体を人生の目標と感じることが出来ずに苦しんでいたように思う。
そんな中、出会ったのが初期仏教のホームページだった。
“思考を止めて事実のみを正しく観察することで、苦しみを無くすことができる”という内容は、私にとって衝撃的だった。
それまでの私は常に『状況を良くするために、もっとしっかり考えなければ』あるいは『事実(現実)は辛いから、上手な回避方法を見つけなければ』と、もがいていたので、『思考を止めると智慧が湧く??? 智慧によって苦しみが無くなる??? 何だそれは!』そんな感じだった。
しかし、理解できないながらも何故か初期仏教の内容は私の心を強く捉まえた。
そして、『もう、これはやってみるしかないだろう』いつの間にかそう思うようになり、仕事が終わると一人で日に1時間ほど「右、右・・・、左、左・・・考えた・・・」などとヴィパッサナーの真似ごとをやるようになり、仏教の本を読み漁ることと並行してそんな独学の歩行瞑想を1年半ほど続けた。
智慧や悟りなどは何時まで経っても解らないながらも、1年半も続けた頃には何故か人生が楽になり好転していくのを感じて、もっと深く知りたいという欲求から長期休暇の度に幾つかの初期仏教のグループで3、4日の短期合宿に参加するようになっていった。
前置きが長くなってしまったが、さらに長期のリトリートを行うにあたって、最適な研修所はどこだろう、と探していた時に出会ったのが屋久島の気づきの研修所だった。
もともと、体の痛みや体が硬く、ちゃんと座禅が組めない不安が長期のリトリートには付きまとっていた為、個人制で修行者に合わせて研修を進めてくれるというのが私にとって大きな魅力だった。
結論から言うと、研修所での生活は期待以上のものだった。
「座禅ではなく、はじめから椅子を使いましょう。その方が、仕事中でも瞑想を使えますよ」という船江さん(「船江先生」ではなく、自然体で「船江さん」と話しかけられる感じがとても好印象でした)の提案は、私にとって本当にありがたかったのと同時に、修行の柔軟性に驚かされた。
そして、断食や睡眠も、細かく私の眠気や食欲の変化をチェックしながらリトリートを進めていただいた。
最初の食事のサティの時は2時間くらいかけて食べているにも関わらず、船江さんからは「これまでもサティの修行をやってきているのに、驚くほど全く出来ていません!」とハッキリ指摘され、めげそうになったが、その後の指導のおかげで『ここに来なければ、あと何年やっても正しいサティを覚えることは決してなかった』と心底思った。
その後、「食事のサティは、私たちのような普通の人にとっては、大きな救いです」と言っていただいた意味も理解することができた。
食事のサティで行う2時間以上もの連続した集中は歩きや座りの瞑想では私のような者にはとても実行できず、『あぁ、確かに!』と納得した。
断食も上手くいき、全く眠気のない状態で瞑想を続けた結果、ようやく残り二日ほどという段になって幾つかの気づきを得ることもできた。
『思考から得られる結論ではなく、直感的に解るというのは、こういう感じなんだ!』という感動を伴う体験だった。
気づきを言葉で表してしまえば『自分は小さな頃、親から認められたかったんだ』とか『心に寂しさを抱えていたんだ』といったことになるが、既に思考から得られていた同じ結論とは違い、体がブルブルっと震えるような納得感と共に『解るとはこういうことなんだ』と感じた。
毎日、時間の制約無く行っていただけるインタビューの中で船江さんから「感情とは自分の中にあるものではなく、外側にある現象です」と言われた時も『あぁ、そうなんだ。だから、感情と格闘してもダメなんだ。単なる現象なんだから、格闘するのではなく、その現象が変わるための原因を気づきによって作っていけば良いのだ』という大きな納得があり、「何となく今は解ります」と答えたところ、「その解るという感覚も数日間サティを続けた智慧でしょう」と言っていただいたのがとても嬉しかった。
リトリート中に、本で読んだようなサマディや特殊な体験をすることはなかったが、サマディ体験をすれば成功、しなければ失敗といった考え自体が浅はかで、『努力すればしただけの成果があり、成果があるところまで積みあがればそういった体験は自然と起こる。淡々と努力を続ければ良いのだ』という理解が出来たことも、今回のリトリートでの大きな成果だったように思う。
ただ、残念だったのは、正味9日間の瞑想を船江さんが推奨されているにも関わらず、仕事の都合から正味6日間しか修行できず、「気づきが次々に起こる、一番おいしい最後の三日間が取れませんでしたね」と言われたのが、自分でも残念だった。あと三日あればどんな気付きが得られたのだろうと今でも思う。
最終日、船江さんと80分間の屋久島散策を共にしたのは、今後も決して忘れることはないと思う。
次回は何とか正味9日間のリトリートを体験したいと思った。
7泊8日に渡って、懇切丁寧にご指導いただき本当にありがとうございました。
【F.K】