ボディワークコース

瞑想による身体への集中と鋭敏化 × 独自メニューの体幹トレーニング― その強烈な組み合わせによって、身心統合体としての存在そのものに、やさしく、かつ深く働きかけます。

このような方へお薦めできます

* 身体に関する慢性化した問題(痛み、違和感、長引く不調、ケガの後遺症など)を抱えておられる方へ。

* 身と心のチグハグさ、身体と意識のズレを感じて生きておられる方へ。

* 身体表現・スポーツ・武術・治療・ヒーリングなど、身体性に関わる世界に身を置いておられる方へ。

* 坐禅・瞑想・マインドフルネスなど心のワークに取り組んでおられる方へ。

意識の座(土台)は身体にあり、身体意識を高め、体幹を整えることは、意識そのものに大きな変化をもたらします。

サンドバッグ、ケトルベル、吊り輪、スラックライン、TR-X、バランスボード、パンチングボールなど、各種トレーニング器具も揃えてあります。

ボディワークとは?

「ボディワーク」とは、(治療・稽古・訓練など)心身統合体としての人間存在に対する働きかけのうち、主に身体感覚・身体意識・身体イメージの面から働きかける技法を総称した言葉です。

従来の(古いタイプの)体操やマッサージとの違いは、”気づき・意識”を重視する点にあります。

* 「何の役にたつのか、何のためにやるのか」との問いに対しては、『無境界―自己成長のセラピー論』 ケン・ウィルバーが、良く答えます。

ヒト(人間)の特殊性

ヒト(人間)とは特殊な生き物で、背骨(脊椎)を重力と平行に縦に合わせ、直立して暮らすことが常態化した動物など、地上には、そう居ません。

脊椎動物の進化『美しく立つ-スポーツ医学が教える3つのA』より

それは、背骨を横から縦にすると云う、進化の成り行き上起こったボディプランの大掛かりな変更を経験した、ヒトと云う種特有の特殊な事情であり、それが故に、ヒトは、生まれたまま、自然なままでは、うまく身体を使えません。

まず、立ち上がり、歩くことを、それぞれが時間をかけて学び、また歳を重ねるとともに、重力との不適合という問題を、生活の様々な場面、身体の色々な部分で感じるようになっていきます。

そこに、この身体というハードウェアを、生きて動いている間、苦痛なく― あるいは、もっと上手く、優雅に、洗練されたかたちで― 使いこなすための、制御ソフトウェアの更新(バージョンアップ)に取り組む意義や価値が存在しています。

直立して暮らす(立ち・歩き・座る)ということは、私たちにとって、未だ「進化史上の未解決の問題・大いなる課題」としてあるのです。

『骨から見る生物の進化』(河出書房新社)より
『骨から見る生物の進化』(河出書房新社)より

グラウンディングとセンタリング

グラウンディング、あるいはセンタリングと云う言葉は、身体に関わる領域のみならず、心理的な世界においても、よく使われます。

「地に足が着いていない」「軸(中心)がない」と言われれば、それは単に身体の状態を指すだけでなく、その人の(意識を含めた)存在全体を表わすものとして理解されます。

それを言葉通り、まず身体の次元において実現すること―

わが質量・位置エネルギーを、狂いなく、地球の中心まで届けること。

身体を重力に適合させ(重力をプラスに使いこなし)、動き、歩き、生活すること。

それは、井戸掘り(ボーリング作業)に似て、自らの中心(軸)を鉛直線上に正しく配列することができたとき、その質量は翻って上昇し、天を支え、身を天地一杯に開き破ります。

そこには、重力との適合を果たした末の反-重力的な自由の感覚があります。

根を養い、幹を育てるボディワーク

植物や樹木を見るとき、私たちは通常、実や花に、あるいは葉っぱや枝に目を向けます。

しかし、それを支えている膨大な部分― 根や幹を考えることは、あまりしません。

身体性の分野の場合、重要性は、まず何よりも(すべてを支える)根と幹にあります。

自らの存在の根と、そこから立ち上がる伸びやかで強靭な幹(軸)を打ち建てること。

その根の深さ・幹の強さこそが、身体の厚みであり、存在の深みであり、枝葉の運動には至りつくことのできない本物の動き・働き・現れが、そこに存在します。

また、真の意味での健康も美しさも、そこに姿を現すのでしょう。

それは、直立した脊椎動物たるヒトにとって、根源的な整体法・養生法・健康法となりうる取り組みです。

Deep Movement – 深部からの運動

それは、通常の、身体末端の可動性や加速性の大きさ、動きの分節化の組み合わせによる、「どう、早く、大きく動くか」「どう、美しく表現するか(見せるか)」に主眼をおいた表出する(現す)」運動系とは異なった方向性を持ちます。

そこには、外的な動きの表出を抑え、力を内向きに拮抗させることにより更なる深みを目指す沈潜する(現さない)」運動系が存在し、そこに瞑想とも近しい、ある独特の味わい(感覚)が生じてきます。

私の身体的(カラダの)履歴書

最後に、研修コース主宰者である私自身の身体的な履歴書、身体面でのこれまでの歩みについて書かせていただきます。

私の関心は、元々、坐禅や瞑想にありました。

23歳のとき、禅宗の臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)と云う、一週間、横にならず寝ないで坐禅をし続ける厳しい修行を初めて経験したときのことです。

中盤から、自分の身体に強い違和感を感じ始めました。

坐中、背骨左側沿いに強烈な不快感・違和感・痛みのようなものが現れ、それがつきまとい、何をしても無くならない状態になりました。

そこからの数年間、その問題に苦しめられます。

徐々に、坐っているときだけではなく、日常生活でも、横になって寝ているときですら、そのベタっと張り付く強烈な違和感、大きな虫が這い回っているかのような不快感が消えなくなり、不眠、冷え、慢性的な消化器系の不調など、他の様々な症状にも悩まされるようになっていきます。

それは、もっとずっと後になって理解したことですが、小学校高学年のときに起こしてしまった事故による右目の怪我が原因の、身体の極端な認識のズレに起因するものでした。自分では、それを「身体イメージ障害」と呼んでいます。

その問題の解決を求め、色々な治療法に手を出しますが、どうにもならない状態は続きます。

27歳からの数年間、京都のダンマバーヌ(ゴエンカ師の系統のヴィパッサナーセンター)に集中的に通うようになります。

それと同時に、フェルデンクライス・メソッドのATM(Awareness Through Movement-動きを通しての気づき)を知ります。

最終的に、この二つがうまく自分のなかで組み合わさったことにより、「何をしても、どんどん痛み・違和感がひどくなり、状態が悪化していく(足掻けば足掻くほど、はまり込んでいく)」と云う、絶望的な光の見えない状況からの脱出口が示されることとなります。

同時期に、アレクサンダー・テクニックにも出会っています。
通算で二十回程度のレッスンを受けました。当時の私の生活環境上、継続的に通うことができず、その理論と技法には、とても惹かれつつも、自身で独習できるATM+ボディスキャンと云う組み合わせを選ぶことになります。

しかし、アレクサンダー・テクニックに対する関心や親近感は、いまも変わらなく持ち続けております。

人に頼らず、自身の気づきによって、自分の陥っている深刻な状態から脱出できる、と云うのは、当時の私にとって最大の福音であり、希望でもありました。

その後、コンティニュアム・ムーブメントやホロトロピック・ブレスワークと云う、自働運動(活元)的なボディワークとも出会います。

非常に大きな影響と助けを受けましたが、それらは外部に明確な基準を持たないため、かなり強烈な自分で認識できない歪み・癖(自身の内部の狂った基準・ものさし)を持っている私の場合、それだけでは自分の外に出ることができず、補助的なものに留まりました。

そうしているうちに、四十歳を過ぎ、刀禅と云う、武術にルーツを持つボディワークに出会います。

その方法論と実際の身体の調整効果に驚き、非常に感心し、そこから数年間、熱中して取り組むこととなります。

当時、私は、一年前のギックリ腰の後遺症で、腰部の極度の脆さ・不安定さを抱えて生活していました(いわゆる、腰に爆弾を抱えている状態でした)が、その問題を刀禅錬功への取り組みによって解決します。

その後、胴体力、肥田式強健術と云う、同じく武術的な要素を持つ体系に惹かれていくこととなります。(実際に、この二つのボディワークに出会ったのは、もっとずっと若い頃なのですが、自分にとっての重要性を再発見したのは最近のことです)

胴体力に関しては、幸運な成り行きから、この三年間、そのコンセプトを集中して学ぶ機会を持つことができ、それによって認識を新たにしました。

肥田式強健術については、二十六歳のとき、佐々木了雲先生のところに数日間お世話になり、限られた時間のなかで「中心鍛冶法」を中心に、最低限のものをご教示いただき、最後にステンレス製の特製鉄棒を授かり、帰りました。本当に、とても良くしていただき、そのご恩は忘れられません。

しかし、習い戻ってきてから一週間で、腰の調子を一気に悪く(不安定に)してしまい、その恐怖から、その後二十年間、強健術は封印することとなります。

思うに、肥田式強健術は、それ自体が、歪んだ体を整える整体的な部分よりも、ある段階以上の身体の整いを既に実現している人間のための最後の微妙な調整と云う面を強く持っており、当時の歪みまくった身体を持った私には、どう考えても準備不足で早過ぎたのだと、今は理解しております。

これら三つは(非常に簡略化して言うならば)、日本発祥の、高い独自性をもった体幹トレーニングであるのだと思います。

具体的実践において、この三者は、それぞれ決して似ている訳ではなく、対極的な錬功法・修練法を多く持ちます。

現在の私は、「これら三つの理論・技法(方法論)の作る、対立し拮抗する三角形の真ん中の、異質的両極が切り結ばれた、その先に、私にとって最終的な身体的真実が存在しているのではないか」との予感をもって、探求・実践に励んでおります。

そして、それは、そもそも私の修行のはじめにあった臨済宗系の丹田禅にも非常に近しいものであるように感じています。

自分のような、元々劣った身体的資質の人間に、この道が、どこまで進めるのかは分かりません。

しかし、ここまで来たからには、自分に残された時間を使って、見られるところまでの景色を見てから死んでいきたい― そう思わせるだけのものが、この身体的探求には存在します。

最後に

現在、私が提供することができる技法とは、ヴィパッサナー瞑想(ゴエンカ氏のボディスキャンやマハーシ・メソッドの身随観)、フェルデンクライスのATMなどによって開かれたカラダの感受性・身体意識・身体に対する気づきを伴ったうえで行う、刀禅・胴体力・肥田式強健術の影響を色濃く受けた独自の体幹トレーニングであり、それによって行住坐臥の全てに渡り持続する「実(じつ)なる身体」― 禅的な動中工夫・即念工夫、ヴィパッサナー瞑想の身心の随観、クリシュナムルティの絶え間なき気づきをも実現しようとする、心身統合的・瞑想/ボディワーク横断的な実践である、と言えるでしょう。

それは又、まず体幹の意識を強め、身体の健全な部分を強化することによって、問題となっている病的な部分(末端)に働きかけ、整え・変えていく、根本的な(根治を目指す)アプローチでもあります。

ボディワークとして、非常に特殊なマニアックなものでありつつも、立って歩いて生きている私たち誰にでも関係するような、非常に高い汎用性・一般性も持ちあわせている、とても面白い技法だと自認しております。

以上をお読みになり、もし興味を持たれましたなら、ぜひおいでください。
共に探求して参りましょう。

私がこれまで学んできた技法

刀禅

刀禅とは、小用茂夫(こようしげお)先生が開発されつつある、日本の古流剣術・中国武術をルーツとしたボディワークです。

それら伝統武術のエッセンスを現代的なかたちで再構築し、身体性に関わるあらゆる分野に適用可能な方法論として提示されております。

現在、毎週末に、埼玉県蕨市を中心に稽古会が行なわれております。

胴体力

飛龍会

伊藤式胴体トレーニング― 故・伊藤昇(いとうのぼる)先生の確立された身体開発法。

肥田式強健術

肥田春充(ひだはるみち)師が創始された心身鍛錬体系。

肥田式強健術 – wikipedia
聖中心道肥田式強健術

フェルデンクライス・メソッド

フェルデンクライス・メソッド入門

アレクサンダー・テクニーク

アレクサンダー・テクニークは、スタート時点では、本での独習が極めて困難である、と云う特徴を持っています。よって、まずは自分に合う良い先生を探すことが近道だと思います。

ヴィパッサナー瞑想

日本ヴィパッサナー協会

「脱-身体的条件づけの技法」という面から見たとき、S.N.ゴエンカ氏系統のヴィパッサナーテクニック(ボディスキャン)は、非常に強烈で、効果的な技法です。

『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ

『実践ブッダの瞑想法―はじめてでもよく分かるヴィパッサナー瞑想入門(DVDブック)』

自働運動系のボディワーク

コンティニュアム・ムーブメント

『自然運動と癒し―コエックスの実践』 トニー・クリスプ

ダイナミック瞑想、クンダリーニ瞑想など、Oshoの瞑想技法も、ココロとカラダ(瞑想とボディワーク)を繋ぐものとして有効性を持つものです。

ホロトロピック・ブレスワーク も、また、そのように考えることが可能な技法だと理解しております。

研修人数

一名

すべてを、その方、御一人の必要性に応じて細かくカスタマイズし、自由度高く対応していきます。

それは、オーダーメイドで服を仕立てるようなもので、お伝えいただいた情報をもとに、毎回、コース全体を、その方向けに最適化し、組みたてます。

日程の調整に始まり、コースの具体的な内容(どの技法、どの要素を、どのように組み合わせるか)、起床就寝時間、面接のタイミング、食事の回数・内容、お風呂、休息のリズムまで、その方の心身の状態に最も適したスタイルを共に探り、できうる限り満足のいく、中身の詰まったリトリートとなるよう構成していきます。

研修の設備とタイムスケジュール・食事・面接指導のスタイルなどは、私自身が過去に通い、修行してきた、色々な道場・センターでの経験から、最も理想的で、修行しやすい、「もし、それが実在したならば、一度で良いから行ってみたかったなぁ」と思えるような修行環境を、自分で作ってみよう、との思いから、毎回、修正を重ねつつ築いていっているものです。

* 身体的/精神的に深刻な問題を抱えておられるなどの理由で、通常のタイムスケジュールや修行内容では実践が難しく、特別な対応が必要な方の場合にも、お受けできる可能性がありますので、ご相談ください。

* 主題や問題意識、時間を共有できる、夫婦、カップル、友人同士などの場合には、複数人での研修も可能です。

研修に必要な日数

ここでは、まず、7日間~10日間という研修の基本単位の設定の意味、その理由と必然性について説明します。

これは同時に、「もっと短い期間で研修コースを受けることはできないのか」との要望への答えにもなっております。

通常、初日と最終日(到着日と出発日)のうち、半分くらいの時間は、移動、送迎、研修に向けての設備上の説明、荷物整理、休息などに充てられます。

よって、10日間のフルコースの場合、研修は実質的には9日間である、と考えられます。

この9日間を、序盤・中盤・終盤と、三日間単位で三つに区切ることから、コース全体のデザインを始めます。

序盤、3日間―

それが、瞑想であれ、内観であれ、ボディワークであれ、どのコースの場合であっても、まず「体調が整わない」「眠気と雑念に悩まされる」など、良くて「いま一つ」、悪くて「最低」の出だしとなることがほとんどです。
(また、多くの場合、この序盤の2、3日の間に、心身の準備・調整のため断食を行うことも重なり、不調・冴えない感じは、強く起こります)

ここが、心身ともに最もつらい時期で、それを静かに感じ、味わいながら、耐え忍ぶしかありません。

中盤、4日目以降―

その「心身共に冴えない、つらい期間」をどうにか乗り切ると、4日目の朝あたりから(断食後の回復食が始まる影響もあり)、気がつくと「どの課題にも、比較的楽に集中できる」「これまで悩まされてきた眠気も雑念も、日中通して治まっている」「心身ともに明晰で透明感がある」などのレポートが出てきはじめます。

この辺りから、研修(修行すること)が楽しく、面白く、意義深いものと感じられるようになってきます。

ここから、再度、調子を崩したり、再び取り戻したり、喜んだり落ち込んだりしながら、研修の最終局面へと進んでいきます。

終盤、最後の3日間―

もし、着実に、弛むことなく、ここまで歩み、登りつめてきたなら― 自分にできる限りの努力でもって、課題に取り組んできたなら― 自身にとって大きな価値のある、気づき、発見、自己洞察を与えられる収穫の時期がやってきます。
それまでの努力が報われる時間が、遂に訪れるのです。

そこで、何に気づき、何を捨て、何を持ち帰り、その後の人生の何が変わるのかは、あなた次第でしょう。

… 以上のような時間的展開が、どの方の、どのコースの場合にも、(それがリピーターの方の場合であっても)細部の違いはあれ、存在します。
よって、本格的な研修には、最低でも正味7日間以上の時間が欲しいのです。

自身のその後の人生の助けとなる、あるレベル以上の強さ・明らかさを伴った発見・体験・展開を求められるなら、最低3日間の助走期間は必要であり、短い研修では、その準備期間を経て、「いよいよ、これから」というときにコースが終わってしまいます。

プラス2日間は、序盤、中盤の何処かでつまずき、遅れが出たときのための予備日、確実に結果を出すための保険だと考え、ぜひ確保しておいていただきたいです。

もし、それだけの期間を確保することが難しい場合には、ご相談ください。

これまでの修行経験や現在の問題状況などをお聞きした上で、最善と思えるプランを提示させていただきます。


ボディワークは、比較的、短い期間でのプランが立てやすいコースではあります。

ただし、本格的な身体意識の変化を求められるのであれば、断食や瞑想と組み合わせた長期的なコースが必須となります。

食と断食について

研修を成り立たせる重要な要素のひとつとして、食があります。

断食と回復食、食事の量、質、内容、一日の中での摂るタイミング、そして何よりも「気づきを伴って摂食すること」― それがココロとカラダ、双方に大きく影響します。

気づきの質・純度・強度を上げるのに、食事の問題を抜きにすることはできず、コースは食の調整と組み合わせたかたちで構成されています。

ただし、こちらでの研修の目的は、あくまで心身統合体としての人間存在全体に働きかけることであり、その為の効果的な手段の一つとしてとしての食の調整であり、断食です。
行いたいのは、あくまでもこころの断食・デトックスを伴ってのからだの断食・デトックスです。

しかし、いずれにせよ、食は探求する価値のある重要な主題のひとつです。

研修は通常、まず開始翌日より、二、三日程度の断食を行い、その後、徐々に回復食を増やしていき、最終的に、一日二回の玄米菜食に落ち着きます。

日常の普段の生活で鈍ってしまったココロとカラダを、瞑想・内観・ボディワークができるレベルまで引き上げ研ぎ澄ませるための即効性のある(確実な)手段として断食は非常に使え、特に身体的な問題を抱えておられない方の場合には、たいていオススメしております。

断食による身心の調整には、おおよそ三日程度の時間がかかり、それを済ませて徐々に調子が上がり、集中力が増してくるのは(回復食に入ってからの)四日目以降であることからも、本格的な研修にかかる最低日数は導き出せます。

食事のスタイル(内容)は、研修者の方のご希望に可能な限り従い、添います。
ご要望のある方は、申し込み時にお伝えください。

食についての関連資料

携帯電話の使用について

コースの期間中、「全意識を自らに集中し、自己の心身と徹底して向かい合うこと」が要求されます。

物理的にも心理的にも、外の世界とは遮断された状況を作り上げることで、それは容易となります。

普段、常に外向きに開き、世界とつながっている「常時接続」状態の心を、デジタルデトックス(情報遮断)により、内向き(自分の心身のみと向き合った状態)に切り替え、落ち着かせ、その状態を心地良いものと感じさせるまでには、二、三日の時間がかかるものとお考えください(それまでは禁断症状で大変です)。

研修期間中は携帯電話の電源を切り、一切、通信機器に触れないことを、お勧めします。

その際、緊急時の連絡先として、私の携帯番号、あるいはメールアドレスを、ご家族、あるいはお勤め先にお伝えしておいていただいて構いません。

仕事の都合上、研修中のメールチェックなどの必要性がある場合は、申し込み時、あるいは研修開始前にお伝えください。

コロナ対策について

2022/10/17に、四回目のワクチン接種を済ませました。

これをもって「万全の対策」とは言い難いのですが、僅かばかりでも研修に際しての安心感を高めることにはなるのではないかと思い、お伝えしておきます。


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