11日間研修における気づき 20代前半 男性

以前より、父からヴィパサナー瞑想についての話を聞いており、最初は興味があるフリをして話を引き延ばしてたのですが、今回、いよいよ予定があってしまい、父からの再度の強い勧めもあって、11日間の研修を受けることになりました。

姿勢の悪さ(猫背)という積年の問題を抱えていることもあって、ボディワークで姿勢を整えることによって、そのコンプレックスを解消したいとの思いの方が強く、行く前には、瞑想に関してはホームページでざっと確認する程度で研修に入りました。

現地に到着し、研修中滞在する部屋で最初の問診と概要説明を受けた後、断食と手の拍動瞑想からスタートとなりました。

研修所の環境は、今までいた世界から切り離されたような場所で、集中を高めるには適した空間でした。

断食は、自分にとってあまり辛いものではなく、三日目の途中から食事瞑想を始めつつ、順調に進んでいるとの印象でした。

しかし、ここからが関門でした。

いくら手の瞑想をやっても自分の脈動すら感じられず、先生曰く「瞑想の最初の訓練は、体育会系的なノリで、今までやったことのないくらいの努力と気合で頑張らないと実りのある結果は得られない」とのことで、目を瞑り、耳栓をして、自分なりにできる最強の真剣さで瞑想に挑みました。

簡単なボディワークも取り入れつつ瞑想訓練が続きました。

ボディワークでは、寝ながら行うワークや吊り輪にぶら下って運動するワークなど、さまざまな効果が高いやり方を教えてもらい、とても有意義でした。

特に「足のアーチ」の回は、かなり衝撃的で、体を建物に喩えれば、一階から構造を整えていく説明とワークはとても参考になりました。

ただし、ボディワークがうまくいったとしても気づきの基盤となる瞑想が疎かであれば、結局元の姿勢が自分にとって相応しいので、すぐにその状態に戻ってしまうとのことで、身体が「いま・ここ」で経験していることを意識を研ぎ澄ませて感じとる瞑想が、あくまでベースである、とのことでした。

なのですが、それを始めると、ここぞとばかりに色々な妄想、考え、記憶が浮かんできて、辛い訓練でした。

食事瞑想も、序盤は早食いの性質のため、すぐに食べ終わってしまい、うまくいかないことが多かったです。

特に覚えているのは、中盤を過ぎたあたりの夕食を、自分の感覚の気づきや観察を雑にして終えてしまい、そのことを指摘されてしまったときのことです。

自分ではできていると思っていた食事瞑想が、先生目線では「全くできているように見えない、あまりにも雑すぎる」と伝えられ、自分は瞑想に向いていないのか…と落ち込んでしまいました。

そこから、手の拍動瞑想と歩行瞑想を何度もくり返し、とにかく自分の感覚に集中できるよう「触れた、感じた、感じた…」とラベリングを生活の中でも切らさず、夜の瞑想最後の面接まで取り組みました。

先生を面接に呼ぶため、耳栓を取って、自然な感じで自分の身体を観察してみると、雑念が湧かず、これまで常につきまとっていた”現実とは関係ない(脳内の)音”― 過去に聞いた音楽、見てきた動画、してきた会話など― が全く聞こえなく、辺りが静かに、無音になっていました。

やっと瞑想の第一段階に入ることができ、尚かつ、その効果を僅かながらでも感じられたのは良かったです。

鈍感な自分をここまで導いてくれた先生に感謝したいと思いました。

たった11日間で瞑想ができたなどと考えるのは自分の成長を止めてしまうことですので、ここから教えていただいたボディワークを、これまでに学んできたストレッチなどとあわせて改めて見直し、瞑想と共に取り組んでいきたいです。

ラストの二日間は、残り時間も限られている状態で内観に進みました。

内観は、瞑想とは違い、考えること(過去を思い出すこと)に集中するものです。

しかし、「瞑想」という、今を感じる訓練をここまでしてきたからこそ、過去をそこに居るかのごとく思い出せる感じがありました。

この「内観」が自分にとってかなり辛かった経験でした。

これまで自分は、過去について曖昧にし、逃避してきたところがあり、たとえ先生だったとしても第三者に自分の過去を詳しく説明することは恥ずかしいし、自分にとって苦手であったからです。

今回、「嘘と盗み」の段階で、面接を最小限の事柄に触れるだけで終わらせようとしてしまい、そこを先生に見抜かれ「面談でも嘘をついている、友人の怒りや周りの人の迷惑を軽く扱っている」とのお叱りを受けてしまい、自分の新たな悪い一面を直視させられ、かなり落ち込みました。

そこから自分の悪いところを冷徹に客観視しながら、精一杯言語化し、面談を続けました。

最終日の朝、面接後に先生から「ここまで面接を聞いてきて、貴方は、これまで同じようなパターンの失敗を何度も繰り返しているように見えました。そのことを自覚して、考えや性格、行動を改めなければ、これから先、また同じような繰り返しになる可能性があると思いよ」と諭され、途中、自分は無様にも泣きだしてしまいました。

親の自分に対しての投資額や自分してきた微々たるお返しを思い出し、「なんて自分は不甲斐ないのか、これまで何度も自分に不向きなことに拘って次に進まず、失敗し続けるなんて、ただのバカじゃないか」と泣きながら室内を歩きまわり、その言葉が頭の中でぐるぐるして、しばらく内観ができずにいました。

その様子に気がついた先生から、「一旦、海岸まで降りて散歩をしてきてはどうか」とのアドバイスをいただいて、少し過去の雑念が混じった歩行瞑想と姿勢矯正(姿勢に対する気づき)を保ちながら海辺に向かいました。

出発時は天候が悪く、あまり良い気分転換はできないだろう、と思いながらでしたが、歩いてみると明らかに今までの散歩とは違い、そよ風の感覚や、砂浜を踏む感覚、魚(ボラ)が飛び跳ねる音など全てがはっきりと感じとれます。

自分が、これまでに無く、冴え、集中した意識状態にあることに気づき、萎えた気持ちを立て直すことができました。

これからの日常生活において、身近にいる大事な人の思いや行動を無頓着に消費や浪費する馬鹿ガキにならないよう、悩みながらでも意識しながら生活を送りたいと思いました。

研修終了後、母と父に感謝の意を伝え、研修中待っていてくれた友達にも感謝のコメントを送り、まずは一番簡単にできる感謝を言葉で伝えることを行いました。

その後は、態度や生活、行動でも自分は変わったということをわざとらしくアピールするのではなく、自然体で変わったことを見せるのを意識して生活をしています。

先生には本当に、食事・風呂・水道のことなど何から何までお世話になりました。

最期に別れる際におっしゃっていた「ここから人生・第二幕のスタートとなると良いですね」という言葉を忘れずに心構えとしつつ、これからの新生活を送りたいと思います。

ありがとうございました。
日々精進したいと思います。