内観7日間+ヴィパッサナー8日間

内観研修 7日間

一日目

<母についての内観> 

あまり思い出すことなく、母に対する「なんで、自分と本当に向き合ってのか」「物は与えてくれたけど、心は与えてくれなかった」「生き方を教えてくれなかった」という怒りが湧き上がってきて、「あっ!! 自分は母に対して怒りを持っていたんだ!」と認識。
今まで、うすうすとは気づいていたけれど、誰かを憎む・恨むと云うことが、「私は善人である」という自己イメージに合わず、その自覚・認識を拒否していたと気づく。
また私は、自分の思い通りに行かないと、すぐにフテクサレル、怒りやすい人間だと自覚。

2日目

<ばあちゃんについての内観>

おやつをいつも出して貰っていた記憶が鮮明にあったので、そのほかの思い出も簡単に出てくるだろうと思っていたが、あまり出てこず、こういうことであっただろう、という内観に留まる。

<兄についての内観>

幼少期から、あまり仲良く話したと云う記憶が無いが、「いじめられているときに、そこを通りかかった兄に蹴られたこと」「髪が抜けるほど引っ張られ、見下す顔されたこと」「一緒に遊んでいてベッドから落ち、頭を縫うほどの怪我をしたこと」は鮮明に覚えており、現在の兄への話しづらさ、兄から来た年賀状にも返事を書いていなかったことなど….
「あっ! (兄が私を、ではなく)私が兄を恨んで、嫌っていたのだ」と認識する。母のときと同じであった。

<現在、同居している彼女についての内観>

細かく、生活のなかでの自分の行動を見てみると、その背後に、彼女を道具のように扱い、傷つけていた心に気づく。「いかにしてもらった事が多いか」私は、彼女を家政婦のように扱い、受けた愛情を返すこと、心を受け取り、心で返すことを忘れていた。(1日目、2日目は断食中)

3日目

<父に対する内観>

まず、今までの養育費の計算。約7千万円も私のために使っていたと知る。
その後、内観。あまり具体的に思い出せなかったが、学校費、服、旅行、生活費、その他、全ては父の仕事から与えられていたものであった。また、中学のとき、サッカー留学をしたいと云う私の夢を必死で止めて涙を流した父の姿を思い出し、あの時、父は、どういう気持ちだったのだろうと思うと、涙が出てきた。

4日目

<嘘と盗み>

このテーマは、かなりやりづらく、入り込めない感じが強かった。
やってみると、自分がこれだけ悪いことをしていたのに、どこか心は悪いと感じていない。
「善人の清らかな私が、『悪人の、腐って醜い私』を、突き放して観ている」感じ。本当はひとつなのに、それを認めない感じ。

5日目

この日位から、内観が高まって、気づきが多くなった。

<母に対する内観・2回目>

母は、私がどんな迷惑を掛けても、それを受け入れ、怒ることがなかった。
私自身は、ダメな自分を受け入れなかったが、母は受け入れてくれた。
いつも、体のこと、困っていることが無いか聞く母。
家に帰れば好きなものを食べさせてくれ、帰りのバスの中で食べるおにぎりも作ってくれる母。
引越しを手伝って手伝ってくれ、必要な物を揃えてくれ、炊いたおこわを置いて行ってくれた母。
そのおこわを、独り、部屋の中で感謝もすることなく食べる私。
それを観るうちに涙が出た。
多くのものを私は与えられてきていた。
私は母の心を知らなかった。
私の思う・イメージする心の与えられ方ではなかっただけで、母は母なりに考え、愛情、心を与えてくれていた。

6日目

<彼女に対する内観・2回目>

私は、私のイメージを実現するための道具として彼女を使っていた。
風呂に先に入って欲しければ、「風呂入って」と。私は、その後から風呂に入り、瞑想してから寝る、と、自分の理想のイメージを勝手に作り、相手の今の状況も考えず、いつも自分の頭の仲のイメージ通りに動かそうとし、私のイメージ通りに動かなければ怒ると云うことを、心の中でしていた。
表面的にあからさまに怒ると云うのは、善人である自己イメージに合わないので、常に内に篭った怒りを表現し、フテクサレテいた。

私は常に、今、この瞬間に、

今、私は、こうであらねばならない、というイメージ
今、相手は、こうであらねばならない、というイメージ
今、ものは、こうであらねばならない、というイメージ

を作り出し続けそれに合わなければ、嫌になり、拒否し、怒る、ヒトラーのような人間だと気づく。
生まれてから33歳の今日まで、本当に自分のため、自分のイメージのためにしか生きてこなかった。
まわりの人・もののすべてに眼を瞑ってきた。
私は、「これは自分がやること」と勝手に決め、やりたくない生活上のことは全部、彼女にやらせていた。
そして、私の自己イメージ、善人の素晴らしい私を支えるために、彼女をおちょくったり、試したりと、下らないことをしていた。

私は、どんな瞬間もまず、自分のこと―自分の利害、役に立つか立たないか、自分のイメージにとって良いか悪いかのみを考え、判断してきた。

まわりの人・ものは、自己イメージを支えるためのもの。心ある人ではなく、すべて手段と考えていた、傲慢さ。

私の存在、それ自体が、迷惑で、居るだけで人・ものを傷つけている危険物。何とかしなければ…. せめて人に害を与えない人間になりたいと思う。

<兄に対する内観・2回目>

33年間の大きな流れで内観していくと、私は33年間、ずっと兄を嫌い、兄と会うたびに、その怒りを知らず知らずのうちに、兄と自分自身にぶつけてきた。
兄と自分を比較し、自分の方が上だと証明したい、兄に勝ちたい、負けたくない。
兄のやる結婚式、兄の建てる家にまで文句を言っていた、と気づく。
また、兄自身はずっと、過去に私にしたことを悔やんでいるのではないか? 私と会うたびに、思い出し苦しんできたのではないか? と感じた。

7日目

<仕事に関する、嘘と盗み>

かなり調べにくく、苦痛を伴った。
仕事中の自分自身を観ても観ても、そこで見えてくる自分は、ハツラツとしていなく、表面的には明るいが内面は暗く、常に逃げたい、怠けたい、楽したい、本当の自分はこんなんじゃない、とイメージに逃げ込んでいる。
そのくせ、自分のスゴさ、偉さを証明したいと動き回り、疲れ果てている。
前の職場では、自分を証明することに疲れ果て、鬱状態にまでなってしまっていた。
やらせられ感があり、常にイライラしているのに、自分にも他人にも、そのイライラが無いかのように振舞っていた、ごまかし。
また、事実を観ていくと、転職をこれだけ繰り返し、多くの会社や先輩から、嘘と盗みをして来ている私は、人よりかなり仕事のできない人間であった。しかし、私の自己イメージは、「人より仕事のできる人間」と云うもの。

<母に対する内観>

この辺りは、「嘘と盗み」の調べで疲れ果てていて、集中できない感じがあった。
具体的な事実をあまり思い浮かべられず、母の立場を客観的に考えてみることが多かった。
兄弟や父方の祖父母を自分も外で仕事を持ちながら、一人で面倒を見て、イライラを私たち子供にも見せることなく、良くできたなぁ、すごいなぁ、と感じる。
私は、心の中で親を嫌い、バカにし、見下していたが、とんでもないことだった。
ただ、相手のことが、母のことが見えていなかっただけ。

一日休息

内観後、一日の中で、自分のエゴ、自己イメージ、こうあって欲しいイメージが現れていることに気づくことが多くなりました。

犯罪者としての自分自身―存在するだけで、人やものを傷つけてしまう自分自身を観て、勝手な自己イメージで、自分自身、まわりの人、現実に眼を閉じることなく、今に気づき、事実、あるがままを観ていこうと思いました。

そして、楽に、自由に、生きてゆけたら、と思います。

「心で感じ、心で動き、心で返す」
すべて、心でつながっているんだな、と云う感覚が今あります。

ヴィパッサナー瞑想 8日間

これまで何度かリトリートには行ったことがありましたが、8日間と云う長期は今回が初めてでした。

今回のヴィパッサナー研修で得たものは、

1. 瞑想実践を、ただガムシャラに言われたことだけをやるのではなく、なぜ、この方法なのか? という実践の狙いを理解して行うことができたこと。

2. 今の自分の心・身体の状態(リズム)に合わせた実践を、ある程度できるようになったこと。

3. ここまで厳密に、分別なく、連続してサティを入れたことが無かったので、これまでのリトリートより、気づきの質、内容共に良かった。

4. これからは、日常生活でもサティを入れよう、それが本番なんだ、と云う確認と動機付けができた。

<反省点>

1. 長期の合宿研修のため、気づきの集中力が続かず、ダレテしまうことが多くあった。
ヴィパッサナー瞑想に対する理論的・技術的な理解と共に、何としても集中してやるぞ! と、自分の問題意識を明確にして、初日からエネルギーを注がなければ、長期リトリートを本当に良いものとすることはできないと分かった。

<最後に>

瞑想しようとする自分自身の心・動機を、何度も何度も「これは本当か?」と問うてみることが、とても大切だと思った。
頭の中の「長期リトリートに行けば何とかなるんじゃないか」「何とかしてくれるんじゃないか」と云う気持ち、また心の底では、自分で自分のことを「自分ではダメだろう、うまくいかないだろう」と思っている。その心の底の「自分はダメだろう」という気持ちが、現実をその通りにしてしまう。これは、恐ろしいことだなぁ、と感じた。だからこそ、本当の心に出会わなければならないと思う。h