内観コース体験記 50歳女性

これまでに瞑想とボディワークで何度も来ていただいているリピーターの方の、研修後のレポートです。
今回、はじめて、当研修所の内観コースを体験していただきました。

はじめに

今回の研修は、まず最初の2日間、断食をして体調を整えながら、これまでに習ってきた瞑想とボディワークの、おさらい・復習・確認の作業に費やしました。

その後、残る5日間を内観に費やしました。

従いまして、以下は内観コースの記録となります。

……

これまでに他の内観研修所にて5回以上の集中内観を経験していますが、これまでの内観研修を経て、これ以上の事実を見つけること自体に難しさを覚えていました。
気力と体力を動員して、乾いた雑巾を絞り込むような作業だと感じていました。
自分のなかの記憶だけを頼りに、今回新たな事実や気づきが果たして得られるのだろうか?
これまで確認してきた内容を改めて調べることも意味があるとは思いますが、できればさらに深く踏み込みたい。
新たな気づきを得たい。

不安を感じつつ、そのような意気込みで臨みました。

今回の内観研修の振り返り

最初の2日間は、見通しの悪い霧のなかをトボトボと歩いていくような作業でした。
霞のような記憶を頼りに、事実を手繰り寄せていくことに努めました。

45分から最大1時間程度の間隔で面接に来ていただいていましたが、途中で、次の面接のタイミングを自分から申し出ることを提案されました。
自分が十分に調べきったと感じた時点で、(自分から声をかけて)面接に来てもらうというやり方です。
2回ほど行ってみた結果、タイミングが自分次第となると心に余裕が生じてしまい、調べが甘くなるように思われたため、面接のタイミングはお任せする方法に戻しました。

また、3つの項目(していただいたこと、して返したこと、ご迷惑をおかけしたこと)に当てはまる事実が見つかると(面接で話す内容が見つかると)、何となく安心してしまい、調べる作業に手ぬるさが生じます。

面接のための内観になっており、本当に自分のための作業になりきっていないのだと思いました。

……

このような試行錯誤のなかでも、3日目になると次第に集中力が高まってきました。
心の中の過去の映像が多少なりともはっきりしてきました。
頭が冴えてきたせいで欲が出てきて、深夜も作業を続けようかと思いました。
しかし、まだこの先数日残されており、きちんと睡眠をとって翌朝にすっきりした頭で再開する方が良い、と助言されたため、寝ることにしました。
その後、横になりましたが、頭が冴えてなかなか寝られず、横たえた身体の感覚が鋭敏になっています。
寝ようと思っても次から次へと色々な思いが生じてくるので、横になったままの姿勢でテーマとなっている期間について内観を続けることにしました。
当時のできごとや、記憶の片隅に追いやられていたような人たちが次々と脳裏に浮かび上がってきます。
思い出せる記憶などこれ以上ないのではないか、と思ったときもありましたが、眠っている記憶に接近できる余地はまだあるのだと実感しました。

……

面接のなかで、言葉遣いについての注意を受けました。
(自分自身について)「~という気持ちで~してしまったのだと思います」では調べ方が甘い。
「~という気持ちで~を行いました」と言えるところまで、しっかり調べるように、との指摘を受けました。
ここで、微妙な言い回しを選ぶことで、面接中に、私はまだ無意識のうちに自らを守ろうとしているということに気がつかされました。

……

また、調べているなかで、心のなかで、つい面接への用意をしてしまっています(シミュレーションしている)。
きちんと調べていることを示さなければ、という意識に捕らわれています。

自分自身の作業であることを、何度も再確認する必要がありました。

……

4日目、5日目では、当時の状況、その時の自分の気持ち、他者の気持ちについて、事実をなるべく詳細に思い出すこと、そして面接時には、確認できた事実、自分の気持ちや心境、想像しうる相手の気持ちを、誇張も卑下もせずに、忠実に伝えることを意識しました。

内観の場では、反省の意を示さないことへの後ろめたさや恥ずかしさがありますが、「本当に悪いと思っていないことは言わなくていい、言わない方がよい」との確認をいただいたので、その点は安心して、率直に表現することに努めることができました。
それでも、後から振り返ると、「あの時の、あの言い回しは正しかっただろうか」「事実を描写するのにもっと適切な言葉があったのでは」と、思い返すことが何度かありました。

……

5日目の終盤に、2度目の「嘘と盗み」の調べに入りました。
1回目よりもさらに多くのデティールが思い出され、(面接のための準備ではなく)調べる作業そのものに、もっと深く入り込む感触を得ることができました。
これまでの内観では集中力が十分ではなかったこと、今後このように集中力を高めていけば、見落としていた事実に到達することは可能であり、実際にまだまだ眠っている事実が、広範に、奥深く、自分のなかに存在しているということを実感しました。

今回の内観研修での気づき

過去の内観研修においては、「無常感」と「罪悪感」が両輪であるとの話しから、そのことを意識してきました。
「無常感」については、今ひとつ切迫さを感じることができず、せめて「罪悪感」だけは、何とか身に染みて切実に感じたいものと思ってきました。
そして、今回の研修の中盤に差し掛かる頃、これまで私は「罪悪感」と「心の高揚感」とを、いくぶん混同していたのではないか、内観の作業が、何となく心を高揚させることになっていたのではないか、ということに気がつきました。

自分の内観を振り返ると、「自分が悪かった、と思いたい、思わなければ」という意識が働いており、本当に「自分が悪かった」とは思っていません。
そして、私の心の中を正直に見てみると、本心では開き直っていることがわかります(でなければ、こんなに平然として生きていられるはずがない)。
面接時に反省の弁を口にすることで、その言葉に自分が騙され、内観がある程度できていると錯覚していたのではないかと思われるのです。

面接においては、言葉を選び、表現を操作することで、微に入り細に入り、ほとんど無意識に、自分をよく見せよう、守ろうとしていることが見受けられます。
そして、面接が一通り終われば、内観ができたのだと自ら納得してしまう。
このような点に今まで無自覚であり、これまでの内観の限界があったのだと認識しました。

今回を機に、原点に立ち戻って、「起こったできごと・自分の気持ちや意図・相手の気持ち」をしっかりと真実に沿って調べて確認することが大切であり、面接時には可能な限り、適切な言葉を選び、正直に表現することを意識しようと改めて思いました。

他の研修所との違い

気づきの研修所の集中内観のやり方は、以下ような点で他所とは異なります。

● 1日のスケジュールは固定されておらず、内観者が起床し準備ができた時点で作業を開始する(掃除はなし)。

● 眠いときや疲れたときは無理して作業を続けず、昼寝や休息をとってもよい。

● 決まった就寝時刻はなく、内観者の集中力に応じて夜間に作業を継続してもよい。それに合わせて面接を行っていただける。

● 内観作業にあたっては、どのような姿勢で行ってもよく、外に出たりしてもよい。

● 内観作業中に面接で答えることを心の中で予定せず、時間いっぱい調べる作業に充てる(その結果として、調べたことを面接中に度忘れしたり思い出すことができなくなってしまっても構わない)。

● 食事は過去の内観者のテープを聞きながら食べるのではなく、食べることに集中する。

● 1回の調べる時間(面接の間隔)が1時間以内と短く、面接の回数が多い、等。

上記のひとつひとつが、内観の成果を上げるうえで合理的であると感じました。

体調に応じて、集中力のないときは休み、集中力が高まった時間はしっかり内観の作業に取り組むことで、限られた時間を効率的に使うことができ、内観者の側に立って配慮されたやり方だと納得しました。
また、屏風の中に拘束されず、楽な姿勢で過ごせるため、身体的な苦行が伴わず、そのぶんのエネルギーを内観の作業そのものに投入することができます。すべてが、集中力を高めるための工夫であると実感しました。

最後に

これまでの内観を通じて、「思い出すこと自体が困難」という課題に直面していましたが、気力で体当たりしていくしかないと思っていました。
しかし、50歳を過ぎて、年齢的にも、あとどのくらいそれができるのだろうか、という懸念も感じていました。
今回の研修を通じて、効率的に集中力を高めることで、記憶を呼び起こすことが可能であるという感触が得られ、新たな展望が開けたと思っています。
また、可能な限り正直に、偽りなく事実を確認し、自分自身のための作業としていくことが、新たな気づきにつながるのではないかと期待しています。

数多くの見たくない事実(自分の悪意・悪事)を目の前に晒されながら、心が大して動かされていないこと、頭ではすべて自分が悪いということがわかっていながら、それでも自分が平然としていることに対しては、なんとも情けなく感じるところです。
自分の中の闇は深いと思います。
内観の作業はしんどく、命がけになることもできず、怠惰な自分が生きているうちにどこまで到達できるかはわかりませんが、自己保身のための「反省」ではなく、本当の「懺悔」に一歩でも近づけることを望んでいます。