自分探しをしていた私は一昨年に内観と出会いました。
他の研修所で集中内観を受け、再度受けたいとの思いから、唯一長期休暇がとれる年末年始に研修が可能なところを探していて、「気づきの研修所」に行き当たりました。
研修当日、しばらくお話した上で、「内観よりも瞑想の方がいい気がしますね」とのお言葉に、予定を変更し瞑想の指導をお願いすることになりました。
予想外の展開で、瞑想という未知の領域に踏み込むことに内心戸惑いつつ、私にとっては新しい世界の一週間となりました。
瞑想についての知識は全くの白紙状態で、最初に説明を受けたとおり、自分の感覚に集中すること、繰り返すこと、一つ一つの動作をより丁寧に熱意をもってすることを心がけて過ごしました。
これが単純なようでなかなか難しいのです。
中でも一番大変だったのは意識があちこちに飛んでしまうことで、どうしてもそれを止めることができず、いかに自分が多くの雑念に捕われているかを知りました。
日を経るにしたがい、聴覚が敏感になり、飛行機の音が怖くなるほど響いて聞こえたり、視覚も浜辺の岩が3D映像のように立体的に見えたり、やっていることの意味はわからないながらも日々少しずつ驚きの実感がありました。
しかし、一人で人に見られることもなく自由に過ごしていると、次第に感覚への集中が散漫になり、一つ一つの動作も適当になり、そんないい加減な自分に嫌気がさして「こんなことではいけない」と思いつつも気力をなくして横になって休んだりしてました。
今まで「もっと頑張れるはず」と常に思っていた私でしたが、今回わかったのは私ができる精一杯の努力は、ほんのわずかなものなのだということ。
それを認めざるを得ない状況に、開き直りの心境になりました。
そして最終日の朝、起きて外に出てみたら、信じられない景色が待っていました。
自分でも驚くくらい、くっきりと山が浮き上がって見え、色鮮やかで眩しい景色が目に飛び込んできたのです。
そして(寒さで霜がすごかったこともありましたが)足の裏の感覚もはっきりして土の中に足が沈んでいくような感覚がし、鮮明で美しい山の景色を眺めながら一歩一歩踏みしめて歩いていたら、湧き出てくるような喜びで心がいっぱいになりました。
これが瞑想の成果なのか…と衝撃的な感動でした。
振り返ってみて、本気で徹底的に一挙手一踏足を感じて指導通りに一週間を過ごせたかというと、実際のところほとんどできていませんでした。
「にもかかわらず」こんなにも綺麗な景色を見ることができたのは、「感覚に集中しようと精一杯努力した結果」かもしれないと思うと、努力することが苦手な私は無性に嬉しく感じました。
そしてこの体験で気づいたことは、私が「自分探し」といって一生懸命に探している「自分が幸せと感じられるもの」は、どこかにあるものではなくて、既に存在するものの中で、見ること、感じることができるかどうかなのだということでした。
この不思議で貴重な体験を「実際の生活の中でどのように生かすか」
この課題を得て研修を終え、早くも三週間余りが過ぎ、既に現実の日常生活に浸ってしまいつつあります。
あの一週間の研修での夢のような体験が「自分なりの精一杯の努力」の成果なのだとすれば、大きな目標ではなく「小さな精一杯の努力の積み重ね」こそ大切で意味があるのだと思いました。
「小さな日々の努力目標」をもって毎日を大切に過ごしたい、またそうすることで今までと違った景色が見える日々を過ごすことが出来たらどんなに幸せだろうと思い描きながら体験記を書いています。
と同時に、あの最終日に見ることができた綺麗な景色は、私の精一杯の努力のみによるのではなく、自分の感覚にひたすら集中する地道な瞑想に対して「このことに何の意味があるのだろう」という思いを消せなかった私に、瞑想に集中できるよう細やかな気配りをして下さり遠巻きに静かに見守って下さっていた船江さんと、心のこもった美味しいお食事を作り届けて下さったご両親のお陰だと感謝しています。
今回訪れた宮島は本当に不思議な島でした。
絵本の中に出てくるバンビのように優しく華奢に見える野生の鹿、神秘的な苔むした石垣の小路。そして日に日に鮮やかになっていく景色…。
今でも夢だったのかもしれないと思ってしまいます。
今回私が感激の体験させて頂いたように、今後この素敵な島を訪ねる方々の心が喜びでいっぱいになりますように…と祈りつつ、私もこの体験を現実の生活の中で生かしていきたいと思います。
貴重な体験を本当に有難うございました。