2回目の瞑想コースを終えて 44歳女性

二度目となる今回の研修の主な目的は、これまでに学んだヴィッパサナーの技術をさらに磨き、気づきを深めていきたい、そのために必要な複数のテクニックを統合的に指導してもらうというものだった。

すでにヴィッパサナーの基本的な方法は知っているので、特に指導はなく、自分でとりあえず開始するという形で修業がスタートした。

目標はできるだけ早く集中力(サティ・サマーディ)を自分の最高レベルに引き上げること。

そのために、「ラベリングを入れ続ける」「思考をなくす」「中心対象の倍率を上げる」ことに、とにかく注力した。

この時点では、まだラベリングが継続できなかったり、感覚に集中するあまりラベリングが疎かになったりする。
思考に気づくのにタイムラグがある。ラベリングの言葉に感情が混ざっていたりする。

そしていつものごとく、思考との戦いとなった。

思考を見張っている守備範囲の外側から思考が浮上してくるかのように感じた。
思考しているということは、結局自分が興味を持っているとのこと。
中心対象の感覚を上げて、それに意地でもしがみついていくしかない。
力づくの戦いが続いた。

これらの取り組みの一方で、ボディワークの指導を受けた。
まずは寝転んで足から腰を動かすボディワークを行った。

最初はピンとこなかったものの、自分で何回も繰り返しているうちに、足から腰、そして手の平までの感覚の動き、流れのようなものが感じられるようになり、面白さを感じた。

また一方、自分の言葉と動作が一部重なっていることに気がついた。
2秒ごとのラベリングにこだわるあまり、ラベリングが言わばマントラのようになってしまっている。
やはりきちんと事後確認に徹することが大事とのことだった。

ここで、ラベリングの言葉を整理し、もう一度指導してもらう。

言葉自体にインテンションの意味を含んでいると、法と概念の区別が曖昧になるという。
客観性のある言葉を選ぶなど、使用するラベリングの言葉を制限した。
言葉を減らしたおかげで、言葉選びに費やしていた労力を感覚自体を感じることに注ぐことができ、身体に留まり続けることがいくぶん楽になった。
感覚に集中できるので、事後確認を維持することに、もっと注力できるようになり、注意がもっと細部に及ぶようになった。

さらにもうひとつのボディワークの動きを教わる。

床に寝て、手と腕、足を小さく動かす。
一連の動作を終えると、動かした側の半身がゆるんだり、逆に膨らんで立体的になったりと、変化するのに驚いた。

この動きを確認のために後で自分で行ってみたところ、手や脚、腰など身体の一部が勝手に動きだした。
少し怖さを感じつつも、意識を感覚に集中しながらなるがままに任せた。
動きはしばらく続いた後、自然に止まった。

翌朝、目覚めると、意識がこれまでよりもクリアになったような気がした。
完璧ではないにしてもラベリングの言葉が続いている。
感覚もより鮮明になっている。

食事の瞑想も気づきが一貫して継続し、今までで一番冴えている感じがした。
思考がチラつくことはあるが巻き込まれずに済んでいる。
感情のゆれを見ていることができる。

不思議なことに、茶碗を持ち変える手や指の動きが自分のものとは思えない。
自分の意志ではなく勝手に動いているようだった。

このとき感じたのは、初めから終わりまで、私自身の努力と、それ以外の何かが一緒になって作業をしていたということだった。

今回の経験を通じて、「心や意思だけでなく、身体からのアプローチが瞑想を一層深めるのに役立つ」と云う、ボディワークの効果を実感した。
心と身体が一体であること、身体づくりの重要性を認識した。

また、技術の原則をきちんと守ること、細部にいたるまで気を配り続けることの大切さも。

改めて瞑想の面白さを実感した研修だった。
遅々とした歩みだが、今後も行けるところまで進んでいきたい。