* この体験記は、屋久島時代のものであり、現在(広島県 宮島)とは、設備・環境等に違いがあります
午後三時、屋久島に到着。
季節は一月、気温は9℃。
南国といえど、さすがに寒い。
港に着くと埠頭に船江さんが来て待っていた。
遠目からでも、この人だな、とすぐわかった。
簡単な自己紹介のあと、屋久島の気候や動植物についての説明を聞きながら、西部林道をゆったりドライブ。
途中海岸へ降りたり、ガジュマルを観察したりで、楽しいひと時でした。
特に大川(おおこ)の滝は圧巻。
日が沈む頃、私の希望で、海にせり出した温泉へと浸かりにいく。
初日からこんなに屋久島の自然を満喫できるなんて…と夕陽を眺めながらうっとり。
研修所についたあと、本格的な修行は明日からということで、その日は床につく。
夜空一杯に星がちらばっていた。
ここで、私がこちらの研修を受けようと思った動機について書きおこそうと思う。
きっかけは二十歳の時にクリシュナムルティの著作に触れたところから始まります。
それまで、将来に対して漠然とした不安、また人間関係において悩みを抱えていた折に、彼の語ることはまさに驚きでした。
それから二年程、彼の教えを実践しようと試行錯誤してきましたが、私個人の力量では限界を感じていました。
そこで「一度正しい指導の元で本格的な修行をやってみよう!」と、以前から気になっていたこちらの研修の参加を決意しました。
ちょうど仕事に一区切りついた時期だったというのも好都合でした。
大まかな研修の目的は二つ。
1. 自分自身の直接的理解 (親子関係及び過去に対する認識の見直し)
2. 正しい手法による瞑想の基礎土台づくり
これらを胸に秘めて研修に臨みました。
これがどの程度達成できたかは最後のほうに回したいと思います。
さて、いよいよ研修初日。
洗腸を済ました後、スープだけの断食に入る。
元々小食だったせいか、さしたる身体の不調もなく、黙々とヴィパッサナー瞑想に励む。
当初は三日間の予定だったが、「うまくいってるので、もう三日延長すれば更に集中力がつく」とのお言葉で、ヴィパッサナー六日間+内観六日間に変更となる。
ウンウン唸りながら、どうにか(私の中心対象に設定された)指先の血液の流れを感じ取れるようになるまでには苦労しました。
途中何度も力つきかけましたが、その度に船江さんからの的確なアドバイスと激励の言葉があり、なんとか最後までやり遂げることができました。
「今諦めてしまったらなにも変わりません!」の一言がなければ、ここまで続けられなかったろうと思います。
六日目の夜、とりあえず一区切りついたとのことで再び温泉へと向かう。
その帰りの車中での、船江さんが提唱している「Art of awareness(気づきのアート)」についてのお話しが、今回の研修のハイライトとして大変印象深かったです。
七日目、集中力がついたところで、いよいよ内観に入る。
最初は父に対して三項目(して貰ったこと・して返したこと・迷惑かけたこと)を調べました。
父への内観をしていて気づいたことは、「して貰ったこと」はたくさん思いつくのに、「して返したこと」がほとんど思い出せないこと。
一人暮らしをしていた頃、生活が苦しい時は何かと援助してくれ、いつも私のことを気にかけてくれた父に対して、「それに報いよう」とか「して返そう」という感謝の気持ち(発想)がまるでなかったんだ…その事実に突き当たるとなんとも言えない胸苦しさがありました。
続いて母への内観。
私の実母は幼い頃に亡くなっており、その後間もなく今の継母が嫁いできたのですが、継母に対しては否定的な感情が強くありました。
彼女に対して私が持っていた不満を一言で表すと、「全然母親としての務めを果たしてくれなかった」。
一時期、両親の喧嘩が絶えなかったり、「なんで?」と思う理由で叱られたりと、継母は子供時代の私に悪い影響を与えた存在として映っていました。
けれど内観が進むにつれて、それが私の「思い込み」であることに気づかされました。
「十七年間、毎日、食事、洗濯、掃除をしてくれたのは誰か?」
「わがままな私を、ただ一人厳しく叱ってくれたのは誰か?」
「それに対して私のとった態度はどうであったか?」
…とても不満など言えた義理ではありませんでした。
「母は立派に母親としての務めを果たしてくれていた」
その事実が重くのしかかって、只々すまなかったという悔いばかりが残りました。
そして嘘と盗み。
子供時代は割と純真だった…そんな認識が内観をして吹き飛びました。
保育園の頃から、すでに弱者をいたぶることに快感を覚えていたこと。
人から良く思われたいがために「カッコイイ自分」を演じていたこと。
自分の欲望のためなら他者、特に女性たちを巻き添えにすることをまるで罪にも思わなかったこと。
結局、自分の人生は虚栄に満ちた空虚なものでしかなかったんだな、と呆然となりました。
と同時に、「己がやったことは後で必ず返ってくる!」、つまり仏教でいう因果応報はほんとにあるんだな、と納得しました。
また恐ろしくもありました。もしこれに気づかなかったら…
ここで内観終了。
やっと終わった…という解放感が全身を満たす。
深夜、船江さんがご褒美として最後の温泉に連れていって下さる。
星が瞬く中、湯に浸かりながら長いようで短かった十二日間をふり返る。
当初の目的であった、
1. 自分自身の理解と、
2. 瞑想の基礎作りについては、
2. に関しては問題なく定着できたように思われますが、
1. に関してはまだまだ自分の力量不足の感が否めませんでした。
(特に最終日に気が緩んでしまったりと)
ただ、やった分だけの成果はあったな、と思います。
未熟な私がここまでやれたのも、ひとえにあまり厳格過ぎず、かつ甘やかせ過ぎない丁寧な指導と、二十年という年齢差を感じさせない船江さんの人柄によるところが非常に大きかったと思います。
また、質素ながら飽きのこない料理も修行中の愉しみでありました。
修行の合間に色々話してくださった講話?も聞いていて面白かったです。
ここが初めてのリトリートで本当に良かったです。 有り難うございました。
また、いつもお風呂を焚いてくださった農家の方々へも厚くお礼申し上げます。
タンカン、御馳走さまでした。