山田耕雲老師 『再見性の大歓喜』(抄)

…前部分 略…

三島龍沢僧堂 中川宗淵老師宛の手紙

拝啓 過日は御取込みのところへ大勢にて参上し、日和はよし、まことに楽しい一日を過ごさせていただきました。安谷老師も大変およろこびにて、境致はよし、よい指導者を得て雲衲は仕合せだ、と述懐を洩らして居られました。
 さて、あの席上、アメリカの青年のことを中心に見性に関する御話しが出ましたが、あれから幾日もたたない今日、小生自身の体験を御報告することになろうとは思いませんでした。 貴山へ伺った翌二十四日、ちょうど所用で東京へ出て来た家内と帰りが一緒になりましたので、夕方五時頃二人で横須賀行の電車に乗りました。小生は読みかけの『損翁禅話』という書物を開きました。御承知かも知れませんが、損翁というお方は元禄時代、仙台に居られた曹洞宗の尊宿なる由。
 丁度大船より少し手前のあたりで書中「あきらかに知りぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり」(付記『正法眼蔵即心是仏』の巻にありと)の句に逢着いたしました。この文字は決して初めてお目にかかった訳ではないのですが、何かしらハッと固唾を呑む思いでした。謂えらく「自分も禅に参じて七、八年。ようやくこの一句がわかるようになったか」と。そう思うと急に涙のこみ上げてくるのをおさえることが出来ません。人中なのできまりがわるく、ソッとハンカチで眼を拭って居りました。鎌倉へ着き、裏道を帰る途々、何となくすっきりした気分です。
「今日はなんだか大変すがすがしいよ。」
「それはようございましたね。」
「何となく、僕はえらくなれそうな気がする。」と二度ほど同じようなことを申しますと、
「困りますわね、お父様ばかりえらくおなりになって、距離が出来すぎて。」
「いや、大丈夫だ、どんなにえらくなっても心はいつもすぐ側に居るんだから」と、
子供みたいなことを言い合いながら家へ着いたのですが、その間幾度となく、
 「あきらかに知りぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。」と、
繰り返し繰り返し心でとなえていたことを覚えています。
 丁度その日は、弟夫婦が泊まって居りましたので、一緒にお茶などを飲みながら、龍沢寺へお詣りした話、そこから黒衣姿のアメリカの青年が居て、只見性のみを求めて両度渡日したその物語を、貴兄から伺ったまま話してきかせました。お風呂へ入って寝に就いたのは十二時近かったと思います。
 夜中にフッと眼がさめました。初めは何か意識がはっきりしないようでしたが、フト、
「あきらかに知りぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。」
の句が浮かんできました。それをもう一度繰り返したとたん、一瞬電撃を受けたようなピリッとしたものを全身に感じたと思うが否や、天地崩壊す。間髪を入れず怒涛の如くワッと湧き上がって来た大歓喜、大津波のように次から次と湧きあがり押し寄せる歓喜の嵐。あとは只口いっぱい、声いっぱいに哄笑する。哄笑の連続。
 ワッハッハッ ワッハッハッ
 ワッハッハッハッハッハッハッ
なあんにも理屈はないんだ。なあんにも理屈はないんだ。とこれも二度ほど叫びました。
  ワッハッハッ ワッハッハッ
  ワッハッハッハッハッハッハッ
虚空が真二つに割れて大口を開き、ワッハッハッハッハッ ワッハッハッハッハッ ワッハッハッハッハッと、腹一っぱいに笑ってるいるのです。家の者の話では人間の笑い声ではなかった由。
 最初は寝ていたのですが、途中から起き上がるなり、両腕の折れるほど力いっぱい布団をたたきつけ、たたきつけ、両膝で床を破れるばかりに踏みならしながら、
  ワッハッハッハッ ワッハッハッハッ
  ワッハッハッハッハッハッハッハッ
果ては立ち上がって天にのけぞり、地に伏し、
  ワッハッハッハッ ワッハッハッハッ
  ワッハッハッハッハッハッハッハッ
です。
 側には妻と末の男の子が寝て居りましたが、この青天の霹靂にビックリギョウ天し、妻は私の口を両手で押えつけながら、「どうなさいました。どうなさいました。」と連呼したそうです。子供は気違いになったと思ってゾッーとしたそうです。妻の呼ぶ声はたしかに聞いたように思いますが、口を押さえられたことは全く記憶なし。
 「見性したんだ。見性したんだ。ああ、仏祖我をあざむかず。」
と叫んだのはしばらくたってからでしょう。その間どの位の時間だったでしょうか。自分では二十分位の感じがしているのですが、妻の話では、二、三分位だろうと申します。
やや落ち着きました。何事かと驚いて下りてきた二階の人達に、どうもお騒がせしてと言う位のゆとりも出て来ました。
 ややあって私は、貴兄より頂いたあの観音様の御写真と、原田老師の御写真と無我相山の老師から頂いた金剛経と安谷白雲老師の御著書(御写真がないので)の前にお線香を立てました。そして只無心に礼拝いたしました。それからそのまま端坐いたしました。線香一本、二、三分位の感じでした。
 その後は全身の皮膚がピリピリ動くような感じがいつまでも続き、実はこうして、ペンを操っている今でも、その余震がつづいています。

 朝になると私は、練馬関町の道場に安谷老師をお訪ねしました。うかがってみますと、明日から真光寺に接心があるため、一足違いでお出かけになった後でしたので、私はまた、そのお寺のある埼玉県の小川町まで足を延ばしました。
 入室をお願いしまして、天地崩壊の一瞬を述べんとするに至って
 「うれしくてうれしくて。」
 と言ったままこぶしをあげて膝を連打し、身もだえしながら大声に慟哭いたしました。(付記、五日を経た今、この時打った膝が内出血で大きな黒いあざとなっています。子供が見て気持ちが悪いと申します)止めようと思っても止まらないのです。一所懸命体験の有り様をお話ししようとするのですが、口がもつれて殆ど言葉にならず、ついには老師の膝に額を伏せて泣きむせびました。老師は静かに背をなでてくださいました。そして
 「ウンそれでよい、それでよい。そこまで痛快にいく事は珍しいことなのだ。これを心空及第という。よかった。よかった。」
と言われました。
 小生はただ、
「お蔭様で、お蔭様で。」
と言いながら、またうれし泣きに泣きむせびました。そしてしっかりやらなければ、しっかりやらねばと繰り返しつつ申しました。
 その後で諄々と御懇篤な御注意と御垂示がありました。そして最後に平伏した私の耳許で、お目出とうございました、という静かな老師のお言葉を聞きました。
 暗い道を老師が懐中電灯を持って山のふもとまで送ってくださいました。
 それが丁度昨日の今頃です。それから一昼夜たちましたが、今もって余震絶えず、からだ中がピリピリ動いています。独りで笑ったり泣いたりしながら一日を過ごしました。
 とりあえず貴兄に御報告申し上げたく、安谷老師からも、宋淵老師も喜ばれるに違いなく、また指導上の参考にもなることだから書いて差し上げるようにとのことでしたので、興奮もさめざるまま、乱筆にて右の有り様、ありのままお知らせする次第です。アメリカの方にもどうぞお伝えください。
 私のような下根劣機の者でも、因縁純熟すればこのような好時節のあるということを。
 いろいろ細かいことも申し上げたいのですが、またの機会にゆずります。

(後略…)
 昭和二十八年十一月二十七日 夜十二時
                          山田 匡蔵 合掌
中川宋淵老師 座下

○開山様へは貴兄より何卒ヨウク御礼申し上げてくださいませ。
○一撃にして所知を忘ずるなど生ぬるし。だが本当にみんな忘れてしまった。
○楽で、楽で、楽で、楽でしょうがない。下載の清風誰にか附与せん。
○この後はどんなことになるだろうか。
○大解脱なり、大解脱なり、大解脱なり、大解脱なり、大解脱なり。
○有り難くて、有り難くて、有り難くて、有り難くて、有り難くて。
○さあ、これからが大変で御座います。
○あのアメリカ青年が「一週間の接心で見性できるだろうか」と聞いておられたようでしたが、どうぞお伝えくださいませ。
  一週間と言う勿れ。十日と言う勿れ。
  百万年と言う勿れ。尽未来際をかけ、
  誓って、正覚を成ぜんとの誓願をお立て下さる様伏而懇願すと。必ずいく。
◎生意気を言うようで申し訳ありません。浮かぶままを書きとめただけです。

付記

以上が宗淵老師に書き送ったもので御座います。一、二補正しました外はほとんど同文と思います。
何かの参考にもと存じ、思い出し得る限り詳細に当時の状況を書いてみました。
二十八日、宗淵老師より電報をいただきました。「涙、涙を知る」と。

なお以下は、見性後今日までの模様を時々書き留めましたもので、併せて御覧いただければ幸いに存じます。これはお目にかけるつもりで書いたものでは御座いませんので随分乱暴なところも御座いますが、気持ちに偽りは御座いませんので、併せて御報告の意味で附記いたします。

二十八日夜半、一眠りしてめざむ。三、四時頃と思われしも、時計は十二時半を指す。

○大安楽なり、大安楽なり、大安楽なり、大安楽なり、大安楽なり、大安楽なり。
○全身しびれ、官覚無きものの如し、約三十分間床の中にて手脚自から舞を為す。脱落、脱落、脱落、脱落、脱落、脱落、脱落。
○こんなに楽でいいのだろうか。
○凡夫は一人もなし。凡夫は一人もなし。
○チーンと時計が鳴る。時計が鳴るに非ず心鳴るなり。宇宙が鳴るんだ。心も宇宙もありはせん。
チーン、チーン、チーン。
○俺はどっかへ往ってしまった。仏様が動いている。
○不落も不味もどっかへ往ってしまった。
○ああ、あんたですか、あんたが笑ったんだったね。あの大笑いはあんたが跳り出す時の声だったんだね。いやどうも。
○心地明了。心地明了。
○坐禅に一段と精彩加わるを覚ゆ。

二十九日夜半

○楽だ、楽だ、楽だ、楽だ、楽だ、楽だ。
○古人が脱落と言い大休歇と言うのは之だろうか。
それは違うと言われたところで、この安楽は只事にあらず。これが脱落にあらずして何ぞや、大休歇に非ずして何ぞや。

同 朝四時

○ チーン、チーンと時計。只この事実のみ。只この事実のみ。外に何の理屈もなし。

○ 確かに世界は一変しました。どんな風に?

○ 古人が、魚が水中を行くようだと言われたそうですね。その通りです。何の滞りもない。何の障
?も感じられない。万事がさらさら、さらさらと行くのです。成る程これが自然法爾というのでしょう。その自由さ。筆舌に尽し難し。こんな世界があったのですね。

○ さあさあ皆さん、幸福になりたい方はこちらへおいでください。
ここは極楽への玄関です。この次の間がじきに極楽なのです。ただしこの玄関は普通の方法では絶対に開きません。無門関というのがこれなのです。
今この玄関をサーッと一気に通れるおまじないを伝授いたしましょう。これはお釈迦様の家伝の秘法です。実は私もこのおまじないのお陰でヒョイと次の間をのぞいて来たところなのですよ。
その方法は古徳垂示して曰く「三宝を信じて坐禅を勤む」
つまりね、朝夕仏様の前で只坐ればいいのです。こんな簡単なことがあるかしら。人間が本当に幸福になれるのは只この方法一つきりないのです。このおまじないを信じて行う限り極楽への玄関は必ず開きます。御蔭様でそれがはっきりしました。
高祖大師のたまわく、「広大の慈門」と。有り難し、有り難し。