愛は自由だ。
愛はすべての生命、すべての存在物が求めてやまない、そのものだよ。
しかも、それぞれの存在物ってのは、みんな愛の中にあるんだ。
「愛情ってね、執着するじゃない。でも、自由になるとさ、何ていうか、愛情の中から飛びぬけてしまって、そういう事はないの?」
うんと、自由ってのは、例えば愛情とかなかにはさ憎悪が時におこる時もあるし、嫉妬がおこる事もある。それから執着が苦しくなる時もある。
だけど自由ってのはさ、部分的にあるんじゃないんだ。
例えば、愛情ってものや執着ってものを消した時に、自由が出てくるなんてそんなチンケなものじゃないんだ。
まず、自由があるんだ。自由があるからその中で、自由に愛情を注ぐ事ができるんだ。
それは、同時にあるんだよ。
それは、人間として生まれた計り知れない喜びを味わうことだし、
人間として生まれた計り知れない悲しみを味わう事なんだ。
さあ、もうすべては終わったんだよ。
・・・・・・そして、すべてがはじまる。
■
529 2009/09/06(日) 15:27:41 ID:sa/ZZyCv
人のからくり
肉体――→エーテル体
エクトプラズムは、エーテル体の流出のことであり、肉体とエーテル体は死とともに崩壊する。
エーテル体は、漢方医学の経絡に相当する。
アストラル体
7つ、あるいは10個の光輝くチャクラからなりたつ死後にも一定期間存続する本人と類似する光明体である。
霊体(メンタル体)
人間の最初にして最後の個性であり、永遠不滅の実相身である。
各人、各様の形象をとっていて、一定の型を持っていない。原型イデアである。
キリスト・ブッダ・クリシュナ等の霊体は絶対無・絶対光・変幻自在である。
善人においては、イデア相応の最高の美的形象をとった人間的な形を持っている。
悪人においても、その裏返しとしての最高の形を持っている。
サタン・ルシファー・悪魔などの霊体は絶対無それ自身で完結している絶対の暗黒・
そして変幻自在の形象を取り得る。そのイデアは鉱物に近いといってよいだろう。
神の化身としてのアヴァタラと、悪魔の化身としてのサタンの実相身は、
そのイデアの面から見れば、他のあらゆる人々との霊体と同様に絶対的な原型であることに違いはないが、
神の化身は、悪魔を包むことができるが、悪魔の化身は、神以外のすべてに変容することができても、
神・絶対全体に成ることができない。
もっとも神も凡人も悪魔も、たいした差のありようはずもない。
神・すべてのすべてそういうわけで、神などと言ってるうちは、ぜんぜん楽しくないのである。
■
530 2009/09/07(月) 07:40:06 ID:edXWcKhH
コザール体 肉体から数えて第五番目の身体であり、肉体と世界を作っている原因体である。
それは肉体のような身体の形式を持たず、霊眼で確認すると、球形の光と見える。
そして、個別性を作り出す原型的な生命光である。
以上のように、神の似姿としての人間の全貌から見れば、人間身体は重層的複合体であり、
例えば、あるチャクラが開けたなどといっても、厳密にはどの身体のどのチャクラのことであるか
というような精密なものである。
■
531 2009/09/07(月) 07:44:04 ID:edXWcKhH
宇宙は君たちを餌食にしようとしているんだ。
君は君自身を恐れてはならない。
■
532 2009/09/07(月) 07:48:29 ID:edXWcKhH
真理に至る道などない。
それが真理の真理たる所以である。
部屋の片すみに坐って
朝から晩まで、
真理について思索していたら、
真理に目覚めることもある。
そこが又
真理の面白いところである。
すべては、神の夢の戯れであり
すべては、神の真実それ自身である。
肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体・コザール体が、死に果てれば、
アートマンは、ブラフマンに直結する。
死とは神である。
神とは七つ、もしくは十の無限次元を持つ全体者それ自身のことである。
創造の光とは、この全体者の中心次元のことである。
■
533 2009/09/07(月) 08:02:08 ID:edXWcKhH
生命の極点という夢
自由自在への憧れも消えた 生きのびるすべは常になく
生きる充実も消えた 死に果てて生命のないもの達も 生命感の躍動という幻も消えた
死に果てて生命もないという 幻も消えた
恐怖を原動力とした無限の宇宙劇 快楽を求める永遠の自己運動
悪魔のような智慧の鋭さも 天使のような柔和な微笑も消えた
無意味なウジ虫のような センチメンタルな人生ももちろん消えた
首つり自殺で死んだ 失恋した少女の静寂ももちろん消えた
卑劣に生きようとする生命達 卑劣に生きられない生命達
それはそれである以外になく これはこれである以外にない
何ものも感じないという石ころ 何ものも見ないという石ころ
けれども石には石の苦悩があり 石には石の生命力がある
悟りという迷い 菩提という煩悩 宇宙意識との合一という幻想
無限という迷信 永遠という偏見 現在という幻
涅槃寂静以外になく
その涅槃寂静も もはや消えた
霊魂が高まり深まるという妄執 宇宙大生命の生成流転という夢 生命の極点という夢
■
534 2009/09/07(月) 08:09:46 ID:edXWcKhH
底抜けのほがらかさに至らざれば瞑想にあらず。
単純極まりない素朴さに至らざれば瞑想にあらず。
余りのあたりまえさに至らざれば瞑想にあらず。
時間とは、君の見ている観念もしくはトリックである。
それ故、君は、正確に必要なだけの時間を、忍耐せねばならない。
君には、正確に必要な時間だけを知ることはできない。
人間自我が消滅すれば、何もかもが消滅する。そしたら、君はどうすりゃいいんだ?
どうする必要もなく 至福は、ただ、生きている。
君なぞどうでもいいから愛自身なのだ。君なぞあったためしがないから自由なのだ。
君がないことが知恵であり、絶対無とは、君自身だ。
純粋瞑想を生きること。それ以外に、この人類が、戦争もしくは破滅するのを
避ける道はないだろう。生きている間に、死ぬということ、これが純粋瞑想である。
あんたには、この数限りない神々が見えないのかね
バカモン!悟りも迷いもあったためしはない。
それが、外的なものでも内的なものであっても救世主には気をつけなさい。
タナからボタモチは落ちてきはしない。うまい話にはウソがある。急がばまわれ
君自身がたどる道は、君の心すべてが、たどる道なんだ。
水晶のように透明に、あるがままの素直さで、何かに直面することによっても、
神は開示される。直面するものは何でもいいのだ。
あなたは、満足を求めているのではない。絶対の満足そのものの中に、消え果たいのだ。
愛情は、あなたなしにはあり得ないが、愛はあなたがあったら目覚めない。
完全な自由とは何か?あらゆる現象を、この世とかの世のすべてを包みつらぬいて、
しかも、それぞれの現象自身なる愛だ。
■
535 2009/09/07(月) 09:03:26 ID:edXWcKhH
君はもともと慈悲の救世主として この世に生き切り死に切っている 他のありとあらゆるものと同様に
そして 慈愛と自由とは 君の思い込んでいる人間性の中にはない
救世主は すべての場所と時間を通じて 只一人しかありえない
それゆえ救世主は 一つの肉体や人格でないばかりか どのような決まった形態も持っていない
エゴという幻想が虚構したものでない 幸福を仮に真福と名付けるなら
一切生類は、絶体絶命の逆対応を 必然的に純粋瞑想せざるをえぬ
なぜなら 一切生類が真福であり 純粋瞑想それ自身だから
瞑想とは、人間性・人生・生老病死・大自然・存在の本質に目覚め、
これによって永遠に千変万化しているこれ自身のことである。
したがって瞑想には、いかなる立場も本質も存在しない。
本ものの瞑想修行にイージーな態度で手出ししてはならない。
現代においては、単に日常的人生を生き抜くだけでも、大変な努力を必要とする。
まして、瞑想修行は、全生涯に渡っての、全面的・全身全霊的努力を必須のものとするであろうから。
君の内なる感受性を、社会に無理やり適応するというやり方などで殺してはいけない。
正しい感受性は、とても傷つきやすいが、それは、愛情と信頼、そして瞑想への種子となるものだから。
■
536 2009/09/07(月) 09:04:14 ID:edXWcKhH
瞑想の極点は、ニルヴァーナではない。瞑想に極点があったら、
それは、瞑想ではなく、何らかの瞑想的ゲームにすぎない。
救世主なぞいらない。私達、一人一人が、真人間になればいい。
禅であろうが、ヨーガであろうが、それが純粋なものであるならば、
個人的人格や、人格のいわゆる成熟を問題にしない。
真実とは、人間の個人的人格性とは、いかなる関係も持っていない。
あなたの問題が、自我とエゴイズの問題なら、禅がオーケーだ。
あなたの問題が、自我とは何か?自とは何か?我とは何か?何かとは何か?
世界全体とは何か?これとは何か? であるならば、クンダリニー・ヨーガの正しいグルを必要とする。
あなたがいる限り、生老病死の苦悩がある。あなたがいない時、全体性が目覚める。
これが禅である。
あなたにとって、あなたを含めて、確実なものは何一つない。生老病死の苦悩も、絶対不可知である。
何もかもがわからない。わからないということもわからない!
これが、クンダリニー・ヨーガのスタート・ラインである。
■
537 2009/09/07(月) 09:08:54 ID:edXWcKhH
この世のものであろうと 地獄や天国のものだろうと
神人合一や解脱・ニルヴァーナであろうと 夢幻や幻覚の中のものであろうと
君は本当に知り尽くさねばならない、断じて君は、何ものも自分だけのものにすることができないことを・・・
それどころか、君は、君さえも、自分だけのものにできはしないのだから。
体験という用語を使うのなら とにかく、ニルヴァーナは体験した方がいい。
なぜなら、一切生類は、ニルヴァーナから生まれ、ニルヴァーナを再体験するために
あらしめられているからだ。
もっとも、体験されたニルヴァーナは、ニルヴァーナではない。
人間自我は、全面的な絶望の、その極限においても消滅する。
だが、これは努力して到達するような、シロモノではないし、努力しないで到達するようなシロモノでもない。
この言葉が、君にとって、どんなにチンプに聞こえようと、清く正直な生き方をしない限り、悟りは開けない。
絶体絶命のダメージやアクシデントによっても、エゴは、消滅しはするが、
発狂か死か悟りか、そのどれが起こるかは、保証の限りではない。
種子からいきなり花は咲きはしない。
■
538 2009/09/07(月) 09:52:20 ID:edXWcKhH
タントラ・ヨーガ・スケッチ
それが、どのように 素晴らしい体験であろうと 醜悪極まりない体験であろうと
体験が体験である限りどうということはない。
いうなれば、君達は、体験ではない体験それ自身を再体験しようとしている。
君達こそ あらゆる素晴らしい体験と醜悪な体験との演じ手であると同時にそれ以上のものであるにもかかわらずだ。
アメンティー・タントリズムとアトランテス文明終末以後のあらゆる瞑想行法のトータル・タントラ・ヨーガ
それらを私であるところの私自身はタントラ・ヨーガと名付けることにする
1、占星学
占星学は処世術ではない、セルフのカルマを解明することによって、
自己の使命をまっとうすることである。
2、ソーマ・ヨーガ
ソーマとは、主に薬草などをケミカルに合成して、意識の変容を体験せしめ、
人間の可能性を拡大させるためのきっかけとして使用される。
3、カーマ・ヨーガ
性愛にもとづく全面的な交合によって、肉体的分泌線とエーテルエネルギーを、
快楽を通じて活性化せしめる。
■
539 2009/09/07(月) 10:09:28 ID:edXWcKhH
4、気功導引法
気力・プラーナ・エーテルエネルギーによって、肉体の血行とホルモンバランスを整え、
エーテル体をよりよく健康にする。したがって身心は生命力に満ちた健康体となる。
5、ハタ・ヨーガ
主に、無数のアサナとプラナヤーマとムドラーによって、デリケートな感受性と柔軟性を現実化していく。
その結果、各ボディのブロックも徐々に消えていくわけだが、現代の生存競争と現代物質文明に必須な
自己防衛機能も消滅するエゴの危険をも覚悟していたほうがいい。
4の気功導引法と5のハタ・ヨーガとは、タントラヨーガの分水点と言ってもよいだろう。
4の気功導引法までは、現代物質文明を生きのびる処世術あるいは気晴らしといってもいい。
だが、5のハタ・ヨーガに本気で取り組むつもりなら、自己の全人生にいのちがけで
取り組まなければならない可能性があることを、肝にめいじていたほうがいい。
6、マントラ禅
あらゆるセラピーのもっともシンプルな結晶。1から5までのタントラ・ヨーガの集大成。
自我という欲望からの解放への出発点。
7、丹田禅
政治・経済・社会・労働という物質と、精神・健康・快楽という物質文明に順応するためのセラピーの終息。
自我という欲望を終息。自我という欲望を消滅させるための全身全霊をかけた自我との戦いのオープニング。
■
540 2009/09/07(月) 10:28:15 ID:edXWcKhH
8、観想法
実在のリアリティーにもとづいて、観想の対象は決定される。それゆえ、生起次第と究竟次第という二つの観想プロセスは、決して分離することのできない。
それは、あたかも空と色が決してニ分割できないということに相似している。
七つ、あるいは十円周のマンダラ、あるいは、七つのチャクラなど、それらは、リアリティーに立脚しているがゆえに観想の対象になる。
観想法とは、自我と宇宙からの解脱によって実在それ自身に合一するクンダリニー・ヨーガのウォーミングアップの一形態である。
9、クンダリニー・ヨーガ
いかなる前提や観念抜きに、あらゆるチャクラやボディをや次元を通過して実在自身に回帰合一すること。
もはや、個別性はどこにもない。
10、只管打坐
1から9までのすべてを内包するとともに、完璧にそれ以上であり、完璧にそれ以下なるもの。
瞑想とはそれ自身が究極の花であるとともに その花の様々なそよぎである
それは、シリアスだとも言えるし それは、余りにもシンプルだ。
ごく素朴な疑わぬ心 それは人生の洞察から出てくる何か?
それが、坐禅や、タントラ・ヨーガの初めに大切である
あとはとことん全身全霊の日々だその途上にあらゆる断片がある。
■
541 2009/09/07(月) 10:31:15 ID:edXWcKhH
死は実在上すなわち自分自身の死はクンダリニー・ヨーガの修行によって体験できるものであり
この死自身の解明が、全面的な安楽と生自身の智慧を与えてくれる
それは、余りにもデリケートだ そしてナチュラルだ
マントラ禅・丹田禅は
心身一元観の上に心身を経過して身心一如にいたる
クンダリニー・ヨーガは
不二一元観にその立場を持ち霊肉二元を経過して絶対実在にいたる
只管打坐は
霊身心一如から生死一如にいたる
色即是空は空即是色となり 色是色・空是空として 永遠の未完結を完結する
禅には、上昇という概念はない。禅は、あくまでも無念の底への落下である。
ヨーガには、脱落という概念はない。クンダリニー・ヨーガは、あくまで根源への上昇である。
禅も、ヨーガも、宗教ではない。しかし脱落と上昇という概念を混同させてはならない。
禅は、神聖を肯定も否定もしない。
クンダリニー・ヨーガには、神聖という、ある種の感覚が、最後まで必要だ。
禅には、最終的には、根源という概念も、根源というリアリティーも不要なものとなる。
クンダリニー・ヨーガにおいては、根源への回帰が、その最終地点となる。
禅には、最終地点というものはない。
■
542 2009/09/07(月) 10:40:52 ID:edXWcKhH
腰を入れて定力をつけよ。尾骶骨を燃え上がらせよ。
ムラダーらの中のクンダリニーには、君とこの世とのクサレ縁をほどく、無限のパワーが秘められている。
そして、もちろん、無限の地獄も。
神から見れば君は地獄を避けて通り抜けるわけにはいかない。
地獄とは、あらゆる個生命達の欲念相続のことだ。地獄とは花開く直前のツボミのことだ。
今や、君が地獄だ。
人間自我という欲望には、いかなる解決もない。そこで、解決不可能を徹底させて、
全体性の愛自身に目覚めるか、それとも、自我と肉体とを死滅させるかということになる。
あらゆる宗教は、以上二つの方法論の観念体系、もしくは、イデオロギーである。
禅とクンダリニー・ヨーガは、この二つの現実的実践方法である。
■
543 2009/09/07(月) 10:45:29 ID:edXWcKhH
本当に楽しく生きる。
多くの人々がいまだ知らないもの
それは、伝わり得るが、極めて難しい。
それは、不可思議それ自身の縁によらなければ・・・
それはジョークだが
人間の生き方を 根底から変容せしめる
■
544 2009/09/07(月) 17:27:47 ID:edXWcKhH
すずめがさえずり
すずめがさえずり
若者は熱病にうなされ悩み
老人が季節のうつろいに眸をしめらす時
あるものが高まろうとしている
あるものが帰ろうとしている
いやおうなく
あるものが高まろうとしている
あるものが帰ろうとしている
密かな懐かしさを内に抱いて
■
545 2009/09/08(火) 17:53:27 ID:ljVqRqk5
全体性の回復とは回復ではない。
あたりまえなことだ。
すべてが、完全だというも、
すでに手遅れだ。
君の四つの宝物の内
瞑想行法として形式を持つのは三つだけである
地上を楽しむための丹田禅。
天上を楽しむためのクンダリニー・ヨーガ。
天地人を楽しむための只管打坐。
ついでに
君の四つめの宝物を述べておこう
それは
いかなる形式も持っていない
どうでもいいということさえも
どうでもいい。
『何ものか』への情熱、それが全てだ。
■
546 2009/09/09(水) 19:03:19 ID:cMSqAorn
瞑想は、人間性の営為の発生源である。
それは、現代までの、いわゆる宗教とは何の関係もない。
芸術・道徳倫理・医学・科学・哲学・宗教・政治・経済・・・
それらは、瞑想の中に、その最終的根拠を持っている。
だが、現代文明のそれらのガラクタとは何の関係もない。
純粋瞑想が、本当に理解されるかどうかは、私達個々人の感受性の質と直観力にかかっている。
したがって、純粋瞑想について何かを解説するのは、まったく無意味である。
全面核戦争と、地殻の変動によるものと思われる各国主要都市の水没は、
禅やヨーガを問わず、真の修行者達が見る共通のヴィジョンである。
君が救世主であるということは
君の久遠の自己訓練としてのみあり得る
あるがままのすべては救世主だが
あるがままにいる自己訓練ほど
君にとって恐ろしいものはない
それは君の死を必要とするからだ
君という欲望が死んで
君自身は君のものなるすべてを解放する
この刹那に
久遠の自己訓練は
果てしなき久遠の戯れになっている
君そのものが苦であることを 全身全霊でわかった時
君は一ミリも動くことができなくなる
そこに救世主があらわれるギャップが可能になる
真実の救世主とは 君の全面的生き様によって
絶体絶命に直面した時 開示される者以外にはない
■
547 2009/09/12(土) 19:09:58 ID:hml2coWI sage
>>63
> 禅宗側がダイジの見性に異議ありだったって話とかあるけど、ダイジは悟ってとは思うけど
> 余分な部分(残った自我の見る無明)は無かったのだろうか
> ダイジの悟りは本当の大悟だったのだろうか
臨済禅の初関を透った程度、次の過程に進んでない(参禅していない)。
■
548 2009/09/12(土) 20:03:59 ID:t+vIbMlE sage
悟りに段階なんかないよw
一回転して元に戻ってくるだけ。
■
549 2009/09/14(月) 09:32:34 ID:fHuih+ru
私の言葉は、あなたの知的理解を求めてはいない。
どのような崇高な教説も、結局はあなた自身の全生命をかけた霊的な解説によるものだ。
■
550 2009/09/14(月) 13:03:39 ID:YcpY4962 sage
つうか、他人の悟りが浅いだ深いだ、
気にする習性は、ただの自分大好き教w
■
551 2009/09/14(月) 21:33:29 ID:0k6KQgts
>>550
> つうか、他人の悟りが浅いだ深いだ、
> 気にする習性は、ただの自分大好き教w
穿ちすぎ
■
552 2009/09/14(月) 22:04:10 ID:hMoep4r5 sage
>>550
他人の悟りを気にするのは単なる自我ですがそれもまた悟りそのものです
この世に悟りでないものはないのです
■
553 2009/09/15(火) 06:02:32 ID:E9UzzgLK sage
禅のどの段階とか、ラジオ体操のハンコウ集めるのと一緒だろw
■
554 2009/09/15(火) 21:16:51 ID:m6guwVYZ
548=550=553
■
555 2009/09/17(木) 00:39:04 ID:2SzAYesf sage
分別好きな禅師集合w
■
556 2009/09/24(木) 16:20:41 ID:NnS9tRkk
すべては、神の夢の戯れであり すべては、神の真実それ自身である。
進化が神様といっていい。成長が。成熟が。
そして、そして、一番さいごのカルマを通じてね。自分がほんとにそのカルマにたいして全力をかけたなら。
一番最後に至る。神自身に、俺自身に。
その時、すべての答えがそこにある。今まで不可能だった安定と自由の欲求。その二つが同時にそこに在ることがわかる。
しかも、それは絶対の安定であり、絶対の自由だ。
つまり、絶対の喜びであり絶対の安心なんだ。その時、もうどんな方向も君はつくりだす必要がない。
君たち、まともにホントに鏡見てごらん。
自分でさえ、ちっとも知っちゃいないってことがわかるさ。知ってるつもりになってるだけだ。
よーく、見てみろ。初めてみるようなもんさ。ほんとにマジで見たら。
「あれ、この人だれだろ」それぐらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして宇宙っていうのは、君たちのそういう神秘さと同じだけ、神秘だ。
それは正に一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。
そして、それは花開こうとひとりでに動いている。
最も学ぶべきことは それを君は最もうまく 生きたり教えたりできる
学習者として実行者として教育者として以外に救世主はあり得ない
何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
■
557 2009/09/24(木) 16:23:58 ID:NnS9tRkk
真実 存在しているのは 真実 非在しているのは ニルヴァーナのみである
■
558 2009/09/24(木) 17:47:15 ID:cOD8d7vt
37で自殺して、そのとき道場通っていた人たちの多くは、それで離れていったのだろうな。
■
559 2009/09/24(木) 18:06:24 ID:+LGSNOuW sage
他人の程度が気になる禅の境地は、すごく高いのだろうなw
■
560 2009/09/28(月) 07:24:45 ID:vl6PJOBG
本物は心の一番奥底から、小さく囁くように語りかけている。
偽物ほど心の表面で、きらびやかな大きな声で語りかけてくる。
ダイジ
■
561 2009/09/29(火) 10:27:14 ID:2Tn7XQLR sage
冥想の戯れ
すずめが鳴いて すずめとなり
石ころが笑って 石ころを生きている
クリシュナは牧女達とヤムナーの流れに遊び
冥想が冥想を冥想し続ける
ブラフマンもニルヴァーナも忘れ果てたところに
人間も文明も もとより無い
今 ここに 冥想は戯れ
かつて誰も見も知らぬ
まったく新しい 人間と文明とを 産んだ
■
562 2009/09/30(水) 09:07:24 ID:Kf/9jpsG sage
冥想による絶対平和(1/2)
冥想の窮極において、一切の現象は終息する。時間、空間
物質は仮象であり、その本来の無に帰し去る。
冥想には自己と世界とのあらゆる対立抗争は存在せず、それ
ゆえいかなる人間的争いも苦悩も無い。
冥想そのものは、どのような制約限定をも超えた愛と歓喜の
広がりであり、そこに、私達は久遠の自由を生き、またあら
ゆる愛を生きている。
様々な冥想行によって私達が純粋に冥想自体を体得してゆく
にしたがい、私達は、絶対の愛や安心や自由が何であるかを
知る。
冥想には何ものも存在せず、何もないと認識する自己も存在
していない。しかも、冥想は冥想自体で久遠の光明を自覚し
ている。
私達は冥想においてあらゆる自由を生き、不安と不満とによ
ってエゴイズム的に成り立っている現代物質文明の暴走を否
定超克する。
不安と不満はいかなる物質的繁栄によっても解消することは
ない。不安と不満とに原因である個的自我という妄想から私
達は解放されねばならない。その時、私達は無我の限りなき
さわやかを生きる。
西洋的都市文明の物質的暴走は、不安による逃避的あがきを
くり返し、今その終末を向えている。
■
563 2009/09/30(水) 09:24:50 ID:Kf/9jpsG sage
冥想による絶対平和(2/2)
物質は、本来私達の肉体生命を維持するに必要なだけあれば
よいのであって、物質が、私達に本当の幸福をもたらすこと
はない。
農業こそが、もっとも非エゴイズム的な文明形態でありこの
現代商工業都市文明が、その物質的暴走ゆえに崩壊した後に
農業重視の新しい精神文明が起こるであろう。農業は私達の
肉体生命の基礎であり、商工業都市文明には存在しない。
個的自我という妄想から自由である私達は、欲望と不安とか
ら解放され、もっともあたりまえに農業を尊重する。
私達はあらゆる経験の中で、現実そのものに何の恐れもなく
直面し、自我意識という妄想の非存在を確認する。
坐禅も祈りも、感謝報恩も、現実の絶対性の前に無心になる
こともすべて、愛と自由の冥想そのものの自己開示なのであ
る。
私達は、夢も理想もエセ・ヒューマニズムも 理屈思想もい
らない。あるがままの無相無我なる私達は何ものに制約され
ることもない。
自己も世界も無い世界には平和運動などという欲求不満のヒ
ステリー的暴力も存在せず、ただありのままの平和を私達は
生きている。
■
564 2009/10/01(木) 09:20:28 ID:0MydNuAE
今は君はバッタで 僕はどうやら人間というものらしい
この次の出会いでは 僕は一ぴきのバッタで 君は天使になっているかもしれない
バッタよ、君よ、愛しているよ バッタよ、君よ、未来の天使よ、私自身よ
意識の極北に言葉は無用だ あらゆる生命達は 永遠にそれを知ることはない
「あれ さきまっでの夜が朝になった」 「パン屋のオヤジさんが死んだからだよ」
私は神という夢が好きで 神は私という夢が好きだ そこで私は
何不自由なくすべてを実現し すべてのすべてを愛し尽してしまった
たぶん君は神という夢が好きなんだろう
だから決して 神という夢さえも無くなったら何がある?などと問いはしないだろう
もう闇さえも忘れたこのいのち いかなる緊張も持たぬ情熱が
いのちの限りない広がりへ 命を回帰させる
「あなたは誰ですか?」 私は、魚よ、君自身だ
この限りない海そのもののいのちだ 君、魚よ、私自身よ、海よ
私を産み 私を育て 私を私自身によってかみ殺させる汝 ナーガよ 私自身よ
ナーガよ 応身仏の千変万化よ ナーガよ 神に創られた悪魔よ
ナーガよ 神を殺す蛇 ナーガよ 永遠に解けぬ逆説
ナーガよ 私自身 ナーガよ 神自身よ
ナーガ その秘められた夢 ナーガ その秘められた究極実在
ナーガ 全智全能なる私自身よ
如意第慈 瞑想三昧は 愛を越えた愛と
自由を超えた自由の私の自己確認であり その完全が 神が
私に私の天命を生かしめる
夜の享楽の町も 夜明けの大自然の風光とまったく同じに 私の中にある
どうしても私は世界を破壊し 自己を破壊せざるを得なかった
私の考える自己も世界も 決して私自身の家ではないのだから
帰る家などを問題にするのはやめよう 何もない所で
私はわが家に安座している
■
565 2009/10/01(木) 09:21:40 ID:0MydNuAE
そしてシャカの行き着いた世界、つまりニルヴァーナの世界っていうのはね、
触れ合いが全くない世界。それは触れ合わないって意味じゃないよ。
触れ合うことも、触れ合わないこともない世界だ。
始まりも終わりもない世界だ。
でもたいていその世界を知ったとしたら、(そこへ)入る人はほとんどいないだろう。
なぜならその時突然こみ上げてくるから。愛が、慈悲心が。
だってねこの世に物語がなかったら、神はこのマーヤの世界を作る必要はないもん。
いろんなものがあったり、いろんな出会いがあったりさ、合わさったり、
離れたり無数の物語があって・・どうしてそんなことやってる?
神は戯れるのが好きなんだ。
■
566 2009/10/01(木) 14:58:12 ID:M3DtBRvZ sage
運命の改善と解放
(1)この世
この世に失明やつんぼの苦しみがあり、病いや肉体的苦痛
があるということは、五官からなるこの物質世界が、無明の
世界・迷いの世界であることを示している。
すべての肉体は老化し、死滅するということは、この肉体
世界が、実在していないことを証している。
この転変極まりない不確かな物質的なこの世に不満も疑い
も持たない人々にとって冥想は不必要である。
この世の不如意と不条理に嘆き、この世の中により素晴し
い不動の世界を実現しようと思うか、この世を越えたそれ以
上の世界を切望する人々にのみ冥想は、無限の力を発揮する
のである。
人間自身の内部には、通常の五官からなる欲求不満と不安
との日常的自意識以上の高次元意識が存在している。
この通常の苦しみ多き日常意識以上のより深く高い宇宙的
な意識の中に、人間苦のすべてを解消する玄妙なる潜在力が
実在する。
この潜在意識、宇宙意識を自由自在に顕現させ光輝く、本
来の生命生活を実現するのが冥想なのである。
■
567 2009/10/03(土) 00:26:06 ID:ozDGFIT/ sage
(2)運命の改善-(観想法)
人間のあらゆる人生的な成り行きは、人間内在の潜在想念
あるいは業想念の結果である。
その人間内部の霊的意識界に、定着されたイメージが、具
体化して、この世に現れたのが、その人の運命である。
したがって、悪い運命を、より納得できる幸運に転換する
には、潜在意識と宇宙意識との交流によって想念イメージを
変革させることが必要なのである。
この想念イメージの変革には、五官的自意識を差って、そ
れ以上の高次元意識へ、自己を高めなければならない。そし
て、その高次元意識の中に、自由自在に、自己自身の願うが
ままの想念イメージを形成定着させればよい。
運命は、神秘的勢いを持って自在に転換され、おのずから
実現されていくであろう。
潜在想念界に、自己の願うがままの映像を観ずるこの冥想
を観想法と呼ぶ。
■
568 2009/10/03(土) 00:26:56 ID:ozDGFIT/ sage
(3)解脱-(無想法)
解脱ということを仮りに弁別すると、何か個別的部分的束
縛から解脱するという小さな悟りと、この世の一切万物から
解脱し、神そのものと合一する大いなる絶対的悟りとがある。
いずれにせよ、潜在意識を浄化し切り、宇宙意識そのもの
の一元性へ帰入することなのであり、それは、肉体人間の自
消自滅であり実在そのものの開顕である。
窮極の解脱には、通常のあらゆる想念は、すでに存在せず、
それゆり、この無相三昧を無想法と私は仮りに名づける。
坐禅でも題目でも念仏でも方法は、どのようなものであっ
ても、この現象世界全体からの解脱がニルヴァーナなのであ
る。ニルヴァーナすなわち無想の世界には、二度と人間苦が
現れることはない。
(4)冥想の道
冥想あるいは精神統一の道と方法は一つだけではない。私
達は、私達の意識を深化高上させる、私達に最もふさわしい
道を進めばよいのである。
私達は、私達が本当に願っているもの、私達に最もふさわ
しいものを、まず発見しなければならない。
■
569 2009/10/04(日) 09:51:29 ID:QKrEZ5y3
私は一人のサニヤーシン
現代文明は私を不適応者と呼び 時に生活無能力者として唾棄する
私の目的は生活を便利にまた豊かにしたりすることではなく
人間が人間である限り決して避けるすべのない人間生命の不如意と不条理を
また病いと老衰と死の虚無とを越えること離脱すること久遠の愛という至福を生きること
何かに対しての自由ではなくすべてのものからの自由を実現することだ
それゆえ私は衣食住に執着することなく因縁に従って出で来る一切を受容し祝福する
私の世界への愛情は人々へ深い安らぎと不滅の智慧とを示唆するばかりだ
私の目には肉体の死は映らずそれゆえ私はこの慈愛に生かされて
餓死も十字架上の死も毒杯もいとうものではない
愛と自由の顕現は自己保存のあらゆる合理性を無視し
私自身の思いのままに大宇宙のいとし子なる私を生かしめる
偉大な社会人たちよ時に私の生き方に見られる非情や狂気を許したまえ
あなた達偉大な社会生活者がいなければ私はないのだから
ただ私は私の道を行く以外にないそれは私だけの道であり決してあなたの道ではない
私は一人のサニヤーシンにすぎない
■
570 2009/10/04(日) 09:55:58 ID:QKrEZ5y3
私は一人の社会人である
人間の経済物質世界のバランスのためにこの無数の糸織り成す大社会の中一人の社会人として生きるのみ
私のテーマは常により豊かな衣食住の維持と発展だ
願わくは豊かな物質の恩恵があまねく一切衆生に及ばんことを
相互扶助こそ社会人としての私の理想だ
私は豊かな生存のために私の知力と体力との一切を駆使して行動する
そして 時には戦い
わが家族、わが一族、わが世界の安定のために死するもまた悔いはない
私の頭には常に未来へのより豊かな計算があり
私の四肢は豊かな収穫の日のために力みなぎり飛翔する
■
571 2009/10/04(日) 09:57:24 ID:QKrEZ5y3
だが私は知っている
愛なきパンは人々に本当の幸福を決して与えないことを
それゆえ私は戦う愛に死ぬ私はパンと化してあらゆる生命達の上に降る
社会を越えて生きるサニヤーシン達よ
私はあなたがたにどのような供養も惜しまぬ
あなたがたの智慧がもしこの世になくば社会は弱肉強食と生存競争の機械に成り果て
豊かな物質は火に油をそそぐがごとき魂の飢餓となって社会をくさらせるから
私は一人の社会人私の全心身は 愛にはぐくまれて豊かな物質と魂のパンとなって実る
社会人たちよ 戦え
愛のためにわがしかばねを乗り越えて戦え
■
572 2009/10/04(日) 10:02:03 ID:QKrEZ5y3
私はクリシュナ
この現象宇宙そのものの化身生々流転という愛の幻力の子
私は果てることなき世界とともに永遠に遊び戯れるもの
私の微笑は傷つき倒れた兵士の中に歓喜の光を与え
神を呼び叫ぶ苦行者の孤独の中に大宇宙そのものの愛となって現れる
私の遊戯三昧はあらゆる戦いと修行のいばらの道を
一瞬に光り輝く大道と化せしめヴィシュヌ=マーヤの遊戯はその無限救済をも意識することなく
いつまでもいつまでも果てることなき大生命とともにくり広げられる
■
573 2009/10/04(日) 10:03:56 ID:QKrEZ5y3
私は抱くともなくブリンダーヴァンの森で牧女たちに愛撫を与え
その甘美な愛撫はいつしか肉体と世界を越える
牛飼いである私は牛を生命そのものの安心で包み
戦士となった私は言語不倒の脅威となってあらゆる恐怖と不安を粉砕する
サニヤーシンと聖者たちすべては私の手足であることの至福に自己と宇宙とを忘れ
時空物の三元のない私自身は時空物という果てなき華を戯れに咲き乱れさせ
戯れに私の胸の中へ吸い込み憩わせる
それでも私は一人のクリシュナにすぎない鹿と間違えられ猟師の矢に死んでも
私の遊戯は尽きることがない
私はクリシュナ
私は私のクリシュナの道を生きる以外になく
そしてサニヤーシンの道も社会人の道も私は生きる以外にない
私はクリシュナであり私は私の大宇宙の化身である他はないのだから
■
574 2009/10/04(日) 10:48:38 ID:QKrEZ5y3
さて、狂言まわしは、このぐらいにして、私達人類の緊急課題をここに提示する。
それは、いかにして戦争をなくして、平和を得るかではない。政治経済の混乱でも、
人間性の超管理下や堕落の問題でもない。エネルギーや公害の問題でもない。
人類の最終目的や意味や価値の発見でもない。現代物質科学文明の崩壊でもない。
それらは、症状であって、病因そのものではない。それ以前の根本原因が、
人間の内にあることの結果にすぎない。
私達人類全員は、この私という根本原因を、何よりも先に、探求せねばならない。
あなたが、どんなに素晴らしい体験をしたと言い張ったところで、それは、
何やらわけのわからぬあなたと称するものの一経験にすぎないのではなかろうか。
依然として、あなたは、わけのわからぬあなたなのではないか。 『これ』は『これ』なのだ。
この事実に目覚めることを、私は神秘体験と仮に名づけるばかりだ。
まったく、花も実もありゃしない。まったく、不粋だ!
■
575 2009/10/04(日) 10:57:01 ID:QKrEZ5y3
何が善で何が悪だ?
瞑想とは、善悪の彼岸であるなぞと思っている人物は、超人になるどころか人間や動植物や鉱物にもなれまい。
本質的な問いには、解答というものはない。にもかかわらず、あなたは、問うことをやめてはいけない。
少なくとも問いも答えも、あなたも世界も、消え果るまでは・・・
この世とかの世を通じて 君にとっての最大の恐怖は、君が君自身に変容する瞬間である。 そして最大の至福も・・・
人は、完璧に地上にいて、地上にいないのがいい。
地上の欲望による堂々巡りのトリックを実感する度合いに応じて、君は、君自身を想い出し始める。
いわゆる大人と称する、未成熟な大人たちが、
「君、それ考えすぎだよ」という。本当の全身全霊的な思索からしか、決して成熟は、起こらない。
デタラメきわまりない、社会性という、欲望ルールを、あまり信じすぎてはいけない。
その道が、君自身の道であるかどうかは、その道の途上においても、君が倒れても悔いがないこと、それが君の心ある道だ。
君が、おのずからウソをつけなくなったら、君は本ものの超人だ。
それがそうであり、これがこうであるなら、もっとも素直に直面していく以外にない。
すべてがニルヴァーナだとしたら なぜニルヴァーナに目覚めるための
瞑想修行という 果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか すべてがニルヴァーナだからだ
■
576 2009/10/04(日) 11:00:17 ID:QKrEZ5y3
君を救済するとPRする いわゆる救世主とは
ペテン師か催眠術師か誇大妄想狂かそれらでなかったら
トリック・スターに化けている本物の覚者である場合もある
■
577 2009/10/04(日) 17:01:07 ID:QKrEZ5y3
ダイジ 居酒屋
みんな一つの方向に流れている この店に来ている一人一人の人間達も
目の前にあるビール瓶もコップも 隣にいるメガネもこのテープレコーダーも
一つの方向に流れている 愛に流れているんだ 愛に向かって流れているんだ
それ以外に何も無い 付け足す必要も無い 愛に向かって進んでいる
もともと全てが愛から出て来たから そして俺がこうやって見ると
ほんとに完全なんだな 何もかもが ものすごく美しくて
それが ひとりひとり それから ひとつひとつのものが 限りない物語を持っていて
そして ものすごく 素敵なんだ 物語を持っていながら それは言いようの無い
愛そのものなんだ だけど愛って何てつまらない言葉だろう
これを表現する言葉が無いんだ だから俺は愛って言う みんな神なんだ
もし、死ぬのが怖かったりしたら 一度死んでみたらいい
もし、この世に生きていることが色々な悩みが一杯あることだと思うなら
一度この世を死んでみたらいい みんな死んでる みんな生きてる
死ぬ事を この世を捨てる事 それが体験だなんて思わないでくれ
そうじゃないんだ もうみんないるんだ 生きることも死ぬことも超えて
生きたり死んだりしている それは同時だ 同時に起こっている
愛してるよ 君、愛してる あなた、愛してる おまえ、愛してるよ
いまどこかで死刑囚が死刑になってるかもしれない
いまどこかの病院で重病の患者が死んだかもしれない
そして 今おれたちは 酒飲んでる
なあ、今を見てごらん。 今だ いま それは頭で見るんじゃなくて 今なんだ
そしたら どのような時間も どのような世界もないところで
俺たちは全てを経験している すべてと付き合っている さあ、よく見てみろよ
おれはあらゆる生命の目であらゆる生命の姿をみている
おれはあらゆる物質のすがたであらゆる物質の感触を味わっている
おれはこの宇宙や、この宇宙の外や、そのまた宇宙や、そのまた外の宇宙へすべてを経験するように今、いる
■
578 2009/10/04(日) 17:03:06 ID:QKrEZ5y3
さあ 時にはこどものようになるんだ 時には子どものように他愛なく泣いたらいい
さあ 時にはおとならしくしよう 立派な大人なように毅然と振舞おう
そして 時には そう まるで聖者の様に不可思議な微笑を顔に浮かべて
すべての中に調和を味わおう
さあ 時には君はたたかう人だ 戦士だ 君の中から湧き上がるどのような薄汚い情熱も
怖れる必要はない!! ただ 素直に出すんだ
悟りとか解脱とか神秘体験とか恍惚境とか法悦とかそんな言葉に騙されちゃいけない
釈迦なんていうろくでもない奴が出たばかりに何か悟りがとても大切なように考え違い
しだした君たち 大切なのは君だよ そう君のなかに流れているその愛だ
君の中に流れているその命だ いつでも流れている いつでもある
でも こんなほのぼのとしたものだけじゃ無いんだぜ
そうじゃない まるでガンにかかった患者がたった一人きりでどこかで死ぬように
そういうのだって在るんだ でも 君たちは知るよ どのような触れ合いが無い所でも
愛 それ自体が満ちわたっている事を 全ての言葉ってのは繰り返しなんだ
もうあることをもう一度繰り返すだけなんだ でも 大切にしてほしい
君たち 一人一人の命を きみたちにはきみたちにふさわしい生きる場所が与えられているから それは精一杯生きなくちゃならない
精一杯生きることを詰まらながるなよ
そのなかに どんなよろこびが響きわたっているか 君はしるんだから
精一杯っていうのは 素直なこと きみのいちばん深い思いに素直であること
■
579 2009/10/04(日) 23:54:05 ID:c5okp0n0
そう まるで いま話していることは一つのたわむれだ
でも この世にはふたつしかない たわむれかたわむれを包んだぜったいか
そして君たちが生きているってこと 君たちの心臓が動くってこと
ひとつのグラスのなかにビールをつげるってこと それは かけがえなくきみたちが
戯れているってことだ それでこの戯れを恐ろしいっておれはいいたいよ
なぜなら ほんとうの戯れってのは おそろしさそのものとぶつかり合った時に
分かるものだから さあ ちっぽけな君から抜け出すんだ
君は何がそんなに怖いんだい? 君はまるでこの宇宙とひとつのように生きればいいんだ
君しかいないせかいに どうして何かが君に害をあたえるようなことがある
さあ、放して 何もかもはなして ときほどくんだ
そして 俺の中に帰っておいで それは 君の中に帰ることだ
それだけだ それ以外に何もいらない 生きていれば君にふさわしい技術が君に身につくよ
でも 技術だけだったら君はぜんぜん生きた感じがしない
ただ 愛だけが どんな流行歌だって歌っているじゃないか 愛については
愛だけがすべてだ きみは愛なしには一瞬間も生きることあたわずって
俺が天国から降りてくる時 天国にいる元締めの親父さんから言われたよ
おまえ 行って愛せって そして この世でも かの世でも
現われるどのようなものにもよることなく 汝 生きて 愛せ
地上のなにものにもとらわれる事無く
■
580 2009/10/04(日) 23:55:50 ID:c5okp0n0
とらわれる必要はないんだ みんな一つながりなんだから
そしたら君はきっといい音楽をうたえる そしたら君はきっといい野菜をつくれる
そしたら君はきっといい自動車整備工になるよ
きみ達は物語を演じている その物語をどんな筋にしようと それは
君たちのもっとも深い思いも自由に委ねられているけど
もし この世という戯れのドラマにテーマがただ一つだけ テーマがあるとしたら
それは愛というテーマだ でも、この愛というテーマに目くじらたてて
そうしなくちゃならないなんて思う必要ないんだよ
愛のテーマっていうのは 既に生きている君のすがたなんだから
きみは生きている この絶対の愛のなかを愛にむかっていきてる
■
581 2009/10/05(月) 00:08:19 ID:ghc8PcBb
アメンティーに近づけば近づくほど、あなたにとっての現象宇宙は、深い闇に包まれていく。
あなたが存在すると妄信している現象宇宙は、仮象にすぎないからである。
あなたの見ている現象宇宙が希薄になればなるほど、絶対そのもなるアメンティーの光明が、あなたを包む。
そのアメンティーの光明の中に、すべての答えならぬ答えが実在している。
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。
本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。
しみわたらせるんだ!今、此処で!
此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。
■
582 2009/10/05(月) 00:15:15 ID:ghc8PcBb
『そのことについて考えよ、どこから来てどこへ行くのか、
最初の地で、君が自ら投じた混乱の渦がある。
その混乱を引き起こした理由が何であったか、忘れてはいけない』
ダン『そこで、一節切れるんだ。そのことについて考えよ。どこから来てどこへ行くのか。
このことがわかれば人間がどこへ行こうと決して離れないことがわかる。いつでも自由で。
そうすると、例えば心霊科学者等は言うわけよ。
そもそも何とか霊界から出て来てね、そして死んだ後には、またそこに戻るというようなことをね。
でも、それはね、本当の部分じゃないんだよ。人間の表面的な性格を形作っているある部分が、
霊界へ行ったり現象界へ来たりするだけなんだ。
いい?本当の俺達、ここにいる俺達っていうのは光なんだ。
だからどこから来てどこへ行くっていうことの答えは、光っていうことなんだ。
それは、来もしなければ、行くこともないんだ。いつでもいっぱなしなんだ。
いい?そしてそれはさ、光という言葉より、もっと明確な形で言えば、光っていうのはシンボリックな言い方だからね、
それは、そのものずばりで言えば 愛 なんだ。
人間は愛の中から来て、また愛の中へまた帰ってゆくんだ。
しかも、愛の中から出て来ながら、その、一緒に、愛といるんだ。愛が合いの中から出て来る。
いい?君という愛の中から愛という子供が生まれるんだ。その次』
■
583 2009/10/05(月) 00:23:44 ID:ghc8PcBb
鳥は鳥に帰るのだ。魚は魚に帰るのだ。
限りなき高みを天にかける孤独の鳥は、その量り知れぬ意志ゆえに、
空の果てまでも見破って、永遠の神秘におののく。
この魚も海の底深く、深海魚よりも、さらに深く、
まっ暗闇の深海の地獄へ沈んでゆく。
鳥が太陽に向かって飛ぶように、魚は海に溶け込みたいのだ・・・
もし、太陽が鳥を愛し、海が一ぴきの魚を慈しむのなら、
かれらは 太陽となり海となるだろう。
そうして帰ってくるのだ。
鳥は一ぴきの愚かな鳥として、
魚は一ぴきの無知なる魚として、
帰るともなく帰ってくるに違いない。
なんと完全なんだろう!
身知らぬ未知に飛び込むのは 本当に恐ろしいことだ
そしてそれよりもっと恐ろしいことは 君が、すでに未知だということだ
私は何も知らないともいえない 何と完全なんだろう!
一つの時が満ちた時、なにもかもが、得体の知れぬものと化す。
それはもはや、恐怖でさえない。
■
584 2009/10/05(月) 00:26:29 ID:ghc8PcBb
「あのー、『新・救世主入門』、『メシアンハンドブック』、それは何のために書かれたんですか」
『何のために?』
「はい」
『それは世界の遊戯に貢献するためだ』
「貢献するってどういうことですか」
『例えば、君は今何のために質問したかっていうことさ。その時君はさ、俺の言葉通りにさ、
世界の遊戯に貢献するためだって答えてもさ、俺は多分『ううん、それじゃあないんじゃない?』
っていうかもしれないよ。で、こういうふうに俺が今喋ってることがさ、世界への遊戯の貢献だ。
つまり、俺が世界への遊戯に貢献するって、喋った時にさ、俺にとってさ、神っていうものがさ、
ここにいるわけだよ。今。そして遊戯に貢献するっていう答えを、そう、かなり品よく答えてるわけだよ。
この答え方は。上品な答え方だ』
君は、心を捨て身を捨て魂を捨てて、ただただ一つの真実を発見せねばならない。
なぜと問うなかれ。
神とは絶対の未知自身だ。神・すべてのすべて。
そういうわけで、神などと言っているうちは、ぜんぜん楽しくないのである。
私とは誰か?すべてが私だ。すべてとは何か?
「何か?」とは何か?これ何者ぞ?
■
585 2009/10/05(月) 00:28:38 ID:ghc8PcBb
この本は、
今や死のうとしている君と
今や死んでいる私との
果てしない果てしない果てしない戯れである。
そして君は冥想を決して止めてはならないし、
君が冥想を止めることはできないのだ。
この本は、私という存在もしない夢幻 が雲をつかむようなあなたに、法悦の酔いのなかで書かれた。
「カキクドキ」の文句の集まりである。
あなたは、魂のどん底から、この世とあの世を楽しみたいと思わないか?
だとしたら、あなたは”あなた”という乞食を、
私は”私”という乞食を捨て去らねばならない。
そして、あなたと私は、乞食以下の乞食になるのだ!!!
—–それが冥想である
—–これが冥想の戯れである。
ねえ、あなた、
あなたという たった一人のあなたを死んでください。
なぜなら、ダンテスとは、あなたの魂の暗闇の中に秘められている完璧な愛自身のことにほかならないからである。
いずれにせよ、この書は、プロローグである。
あなたが、神に目覚めるための、ほんのちっぽけな道標である。
■
586 2009/10/05(月) 00:35:50 ID:ghc8PcBb
『月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している』
■
587 2009/10/05(月) 00:38:01 ID:ghc8PcBb
胃ガンで死んだブッダ
かつてインドに生まれて死んだ釈尊のアパーナ・サティ・ヨーガという瞑想道は、
それはそれで完結していて余りにも美しい。
「ただ出る息、止まる息、入る息、止まる息・・・それをそれと自覚し、これをこれと見守るのみ。
あるいは、それをそれと、これをこれと聞き入る、聞き守るといってもいいだろう」
たしか、釈尊は胃がんで死んだ。
■
588 2009/10/05(月) 09:35:32 ID:GwV9zEwe sage
胃がん? 一般には食中毒でしょ。ま、それもどこまでの釈尊流方便かは
わからんけど。
■
589 2009/10/05(月) 12:36:07 ID:PM55clSx sage
_,,…,_
/_~,,..::: ~”‘ヽ
(,,”ヾ ii /^’,)
:i i”
|(,,゚Д゚)
|(ノ |)
| |
ヽ _ノ
U”U
■
590 2009/10/05(月) 13:41:14 ID:ghc8PcBb
恐れるなアルジュナよ
戦え、アルジュナよ
殺せ、アルジュナよ
人々がいかなる方法で私を求めようと
私はその願いに答える
人の旅するいかなる道も
すべて私の道だ
どこを歩いたとしても
すべて
私に帰ってくる
■
591 2009/10/05(月) 14:18:55 ID:ghc8PcBb
ダンティスの悪影響
中国の臨在禅宗の開祖・(臨済将軍)臨済義玄は、ダンティスの霊系に属する分身の一人だったが
こうしたダンティス・ケンタウロスの系流がその逆説的な表現ゆえに、多くの誇大妄想狂やデカダンスや
ニヒリズムや野狐禅者を生み出してしまう結果になったのは、各時代に現れたダンディスの分霊分身達の言動の
悪影響としての社会的事実である。
これは、ダンティスの教示がステップや方便を越えて単刀直入に「現実」に言動せしめることからくる誤解であるが、
ダンティスの系流は勿論誤解や悪影響など知ったことではない。
ダンティスは方便を好まない。ダンティスは聖者を好まない。ダンティスは人間的人格性と人間的努力を認めない。
何故なら、こうしたものは、常に人生を「あるがままである」ということの真意から遠ざけることになりやすいからである。
それ故、無数の時代の無数のダンティスたちは、常に戯れるものとして生きた。
ダンティス・ケンタウロス、クリシュナ、臨済・・・・・・。
彼等は、本質的には己の真実を生きただけであって、宗教などという神聖極まりない何かすら余計なものであったと言うべきである。
ダンティス臨済は、坐禅や聖なるものや悟りや解脱を見ることがない。
本来、健康な人間に病気からの回復などというチンケなものはないのだ。
■
592 2009/10/05(月) 14:46:55 ID:ghc8PcBb
臨済曰く『ある種の坊主どもは、腹いっぱい飯を食って坐禅し、瞑想に入るという。
聖なるものという妄念をつかまえて放さず、喧騒を嫌って静寂ばかり好む。外道の教えだ』
ダンティスは言っている。『お前たち、心を停止させて静寂を探したり、心を集中して世界を光明化しようとしたり、
心を制御して内面を光明化したり、心を統一して三昧に入ったりするなら、こんな奴らは皆偽者に過ぎん」と。
こうして臨済録のなかで臨済が、まるで坐禅瞑想など無意味なもののように言ってしまうから、
当時の中国の求道者の中から好き勝手なことを人間的気分からするのが、
究極の悟りなどという考えが起こったり、馬鹿げた一喝を叫ぶことが禅だなどと思い上がったり、
このままこの肉体が仏だなどと叫ぶこととなった。これがダンティスの悪影響の一つである。
また臨済は言う。
『君達、一人前の人間なら、今ここで本来完璧だと判るはずだが、自分自身を信じられないだけでいるだけだ。
それで、君はいつもきょろきょろと自分の顔を忘れて他の顔を探しまわっている。
おれの教えはそんな暇なものではない。ずばり只今だ。
君達はよく言う『道を修行して悟りを悟るんだ』なぞと。いったいどんな真理を悟り、どんな道を修行するんだい。
君たちの、今、ここに、何が不足しているといって補修しようというのだい?
ダンティス臨済は言う。『そのお前の肉体が絶対の真実だ』なぞと。
ダンティス・マイケル・スミスは言う。『汝は神なり』と。
ダンティス・クリシュナは言う。『アルジュナよ、君は決して生まれることも死ぬこともない』と。
ダンティイス・ケンタウロス・アメンティーは言う。『君はもともと救世主である』なぞと。
まったく、ダンティスの系流は、イージーすぎて、情熱豊かでない人たちには迷惑千万な話であり、危険なことこの上ない。
■
593 2009/10/05(月) 15:18:57 ID:ghc8PcBb
事実、アトランティス文明末期に十三番目の超人を廃業したダンティスが出版した
「救世主入門」という小冊子は、多くの遊戯三昧者を覚醒させたと同時に、
多くのデカダンスとニヒリズムを加速させる結果となった。
臨済などはまだいい。彼は一つの禅堂の中で、その逆説めいた、その実、まったく逆説ではない教えを述べたからである。
そこには時・所・位の中でひとつながりの行道としての師弟関係があった。
つまり弟子は師の姿全体を見ることができたのである。
しかし、アトランティスのダンティスは、時・所・位にお構いなくあるがままの真実を、
その場の人々に大安売りした。
アトランティス密教の正統派トオスやエジプトのヘルメス、またイエス・キリストや
釈迦のやり方にくらべると、ダンティスの系統が、ある意味でどんなに無責任であるかが知れようというものである。
だが、ダンティスのこの『無責任』さがどこから来ているのか。
ここでダンティスがウルの都で出会った、アトランティスのチャールズ・マンソンみたいな
ラ・イブという名の青年に語った言葉を記すことにする。
■
594 2009/10/05(月) 15:20:17 ID:ghc8PcBb
「一つの教えは、その時その人に応じてしかあり得ない。どのような神秘不可思議な教えも結局、愛と自由の自己確認につきるんだ。
君が秘密結社のようなものを作って支配欲という不安にかられた時は、思い出して欲しい
君が一番身近な愛をどんなにも忘れてしまったかを。君は元々愛の救世主としてこの世に生きている
そして、愛と自由とは君の思い込んでいる人間性の中にはない
君が救世主であるということは、君の永遠の自己訓練としてのみあり得る
あるがままのすべては救世主だが、あるがままである自己訓練ほど、君にとって恐ろしいものはない
それは、君のすべてを必要とするからだ。
君は君の全てを解放することによってのみ永遠の自己訓練つまり久遠の戯れと戯れることができる
死ぬことは最も恐ろしいことだ。でも君、死になさい」
そしてもう一度思い出そう。『救世主入門』の最後の章句を。
これは君だけに語りかけている。『完全』は、君以外の誰にも代わってもらうことはできないのだから。
「この本に書かれていることほど無責任なことはない。
この本に書かれていることを信じない方がいい
書かれていることはすべて逆の意味かもしれないから」
■
595 2009/10/05(月) 20:10:35 ID:ZJ7rMtAq sage
寝言だな
■
596 2009/10/08(木) 15:32:22 ID:0RC2NehG
私とは何なのか? 私の死とは何なのか? 私の生とは何なのか?
この究明はいかなる観点を持ってしても解答を出すことはできない。
あらゆる観点と立場が、すでに、私という欲望の混乱だからである。
にもかかわらず、私の正体を開示しない限り、私達人類は、とめどもない混乱と
崩壊の中に悲惨な死滅を死滅するだろう。
私達は、何はさておき、私自身というこの根本前提の暗黙の了解を否定して、
私とは何かを、まったく新しく究明し直さねばならないのである。
これが、この終末の時代の全人類的な最重要問題なのだ。
私の正体を見破り、神に目覚めるのだ。
こころみに問う。
欲望とは何か?
人間とは何か?
これは、哲学的あるいは宗教的あるいは、どうのような一定の立場の命題にも
なり得ない。
■
597 2009/10/08(木) 15:37:59 ID:0RC2NehG
『まことに、まことに汝らに告げる汝らを産みしものなる神に その愛のすべてを捧げよ。
次にすべての隣人たちにその愛を捧げよ。
君たちはよく思う。神に愛を捧げたら他のものが台無しになるんじゃないかと。
そして他のもの全部を台無しにしている。
神って何?すべてだ。
君たちがすべてに愛を捧げたら、
君たちの当たり前の人生が台無しになるんじゃないかといつも怯えている。
が、そうじゃない。
君たちを産んだものが、まず第一にある。
君たちの心臓を動かし、君たちの頭に様々な妄想を感じさせ、君たちの感覚を働かせている、
そのものがまず第一にある。
それはいいといっても悪いと言っても始まらない。
あるんだ!
そして、その愛がすべてになれば、他の事は全部整っていく。
夫婦関係だろうと、セックスだろうと、必要なだけの金だろうと、
必要なだけの地位だろうと、必要なだけの安心だろうと・・・。
ところが君たちは、まず最初に外側のごちゃごちゃしたものを一生懸命つかもうとする。
そんなことしていたら永遠の時間があったって、そこに行き着くことなんか決してないよ。』
たった一呼吸の中に多様多元の玄妙不可思議がいる。
ここにいつもここがあり、今はいつも今だ。
それゆえ、何もかもが瞑想している。
但し、君は断じて、
今、ここにいることはできない。
■
598 2009/10/17(土) 14:10:49 ID:cCXNOV+m
『やっぱり君らしくしてることじゃあないのか』
「具体的処方箋とか、そういうのは(笑)ない?」
『うん、だったら本当に素直にとことん話し合ってみることだ』
「常に絶対的、完全な。うん。そういたものを求めて、やっぱり全体へ集中していくこと」
『うん。そう。ただし、一つだけ大切なことはね、人間にとって絶対や完全は絶対にあり得ないってことさ。
だからそれに向かってより良く生きてく。いい?絶対や完全があるのは人間の次元じゃあないんだ。
これを間違えるととんでもないことになっちまう。とんでもないぎこちない人間になっちゃう。
いい?人間の世界では常に無数のもの、釈迦がさ、胃腸が常に悪かったとかさ、道元は肺結核で死んだとかさ、
そんなもんきりが無い。ラーマクリシュナもなんだ、ちょっとした坂も登れないくらい虚弱だったとかさ。
イエス・キリストは十字架に掛かっちまったとか。いい?人間の目で見ちゃあそれしかないじゃないか。
人間の目っていうのはさ、そういうふうにしかものを見れない。常に相対的にしか。
そして絶対っていうのはさ、瞑想そのものにある時だけなんだ。
そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。
■
599 2009/10/17(土) 14:13:39 ID:cCXNOV+m
ね、もし自分の中で、人間としての自分というのが絶対だとか完全だとかいうのを思い込もうとしたらね、
もう完全に固い殻を作っちゃう。何故?人間の世界には無いからだ。そういうことが。
だって早い話が死ぬじゃあないか。肉体は死ぬし、年老いるじゃあないか。病気もすれば、疲れるじゃあないか。
悟りっていうのは、そういうものを一切関係無い次元の世界の話だ。その時、悟り側に立ってる人間にとっては、
その様々がちょうど映画に映ってる光景と全く同じ感じにしか感じられないのさ。物語と見えるんだ。
だからって物語りの中に何にも無くなったら、物語になんないじゃあないか。
昔ね、黒住教っていうのがあって、黒住宗忠っていってやっぱり究極の悟りにまで行った人がいたんだけど、神道系のね。
その人なんか実にいい境涯行ってたよ。神通力もよく駆使して、人々をよく助けた人だけど。
彼にものすごい素敵な女房がいてね。で、ある日その女房が急に突然死っじゃたのさ。
で、その知らせを聞いたらさ、バタンと失神しちゃった。
それで失神から甦ってさ、また『これではいかん』ていうのでさ、
自分はちゃんと人間ていうのは死なないという教えをしているのでさ、気失っちまたていうんでさ、
早速反省の歌なんか作って『あらゆるものが死ぬと知り尽くした私が、
妻の死で動転して失神するなんていうこの無様さよ』というようなさ、ことが最初の頃に出て来るわけ。
これはまだ反動があるんだな。残っているわけよ。それが段々変わっててさ、
もうちょっとあと二日くらいたつとさ『妻は死んではいない。空には鳥が飛び、海には魚がいる』
それは座禅は最高の道だ。もう、時間あったら何でもいいから座りたいもんだ。いい。』
「それよりやりたいことの方が多いからさ」
『うん。そしたらやれよ』
「(笑)」
■
600 2009/10/17(土) 14:14:21 ID:4GvHFB6p
KEN自己啓発研究所とは、日本で唯一の本物の潜在意識の超人養成機関である。
成功のための潜在意識活用法、能力開発、自己啓発、成功心理学、成功哲学、スポーツ心理学、自己実現、開運、占い、イメージトレーニング、瞑想、リラクゼーション、想念術、
ポジティブ思考法、超科学、量子力学、超心理学、ヨガ、気功、東洋医学、東洋哲学、ヒーリング、癒し、催眠療法等、古今東西のあらゆる技法を駆使し、人々の人生に数々の奇跡を起こし続けてきた、知る人ぞ知る凄腕の世界最高峰の名門超人養成輩出所である。
また、潜在意識を活用し奇跡を起こす成功法則を歴史的偉人たちの名言により 毎日メルマガで配信し人々の潜在意識に刻みつける啓蒙活動も盛んに行なっている。
オーム・マニペーメ・フーム(-m-) 偉大なるグル・シバ神に帰依し奉ります。
代表:多賀井健次(maha-guru・basil-tagai 43歳、前科有、超能力ヘルパー介護員、SRFクリアヨガ通信講座修了生)
~多賀井健次代表(通称KENさん)は潜在意識活用の達人であり、利他の精神と奉仕を喜びとする本物のカルマヨギである。
10年前から本物のクリヤヨガで、驚くべき霊的進歩を遂げたKEN氏は、メルマガで多くの人から尊敬され 感動をあたえたカリスマメルマガライターにして瞑想家という超有名人物である。
2chの手品掲示板のカラクリや キチガイ連中の正体まで千里眼・神眼により見破り続け、その恐るべき瞑想能力・直感力には定評がある。
私生活では格闘家の一面もあり、有名大学ボクシング部主将にして、フルコン空手の地方大会でも史上最年少優勝経験のあるガチの猛者であり、文武両道の人である。
◎所在地:大阪市此花区春日出北1丁目26-3(地上3階・地下2階建ての白亜の豪邸)
http://maps.google.co.jp/maps?utm_campaign=ja&utm_medium=ha&utm_source=ja-ha-apla-jp-google-gm
■
601 2009/10/17(土) 14:17:09 ID:cCXNOV+m
うん。よく救世主というか、偉大な聖者というか、そういうものっていうのはさ、一つの時代に一人いるとか
さ、いろんなこと言われるでしょ。それはサットグルとかなんとかいう(笑)。
いいじゃあないか。そんな固いこと言わなくても。うん?何故ならね、救世主っていうのは人間を、全ての人間
、そしてこれをこの服を表現しているその元のものだ。救世主っていうのは人間だよ。人間の中に救世主がある
んじゃあない。救世主の中に人間やいろんなものがあるんだ。命たち。だから『救世主は全ての場所と時間を通
じてただ一人しかありえない』うん。全ての場所と時間を通じてただ一人しかありえないんだ。 つまり、宇宙がい
つ始まったか知らん。いつ終わるかも知らん。でもただ一人しかいない。そんな幾人も出てきやしないから。
幾人も出てきたと見えるのも、ただそういう目で見たからに過ぎない。それはどんな形も持ってない。
一人の人間の中に救世主を見たらね、きっと行き詰まりが来る。もっともその一人の救世主の中に、ただ
一人人間としての救世主の中に、無限の救世主っていうのを見る、というような形でもって救世主と出会ってる
とする、それはもちろん決して行き詰まりは来ない。だけど救世主っていうのはそれだけじゃあない。何かこの
世の果てまで行き着いた人、それを指すんじゃあない。救世主っていうのは、今ここにいる君達すべてだ。
■
602 2009/10/17(土) 14:19:57 ID:cCXNOV+m
その道が、
君自身の道であるかどうかは、
その道の途上においても、
君が倒れても悔いがないこと、
それが君の心ある道だ。
正しい師とは、文句なく、その人物に全面信頼や愛情を持てるということであり、
したがって、このさい、その正しい師が、本当に悟りを開いているかいないかなぞ
二義的問題にすぎない。
正師の発見は、あなたの全身全霊的直観による。
その全身全霊的直観が、全面的信頼を自発自起せしめる。
あなたに、正師との出会いによっても、全面信頼が生起しないとしたら、
あなたは、あなたの人生というドロ沼を、もっと徹底的に真摯に生きてみねばならない。
■
603 2009/10/17(土) 14:20:48 ID:cCXNOV+m
冥想それ自体というのは、完全にその人をその人自身に自覚させているということを確認しているものだ。
であって、それは全くカラーがない。どういう風に生きなくてはいけないということを全然与えてくれない。
それは宗教でさえないから。もし宗教なら、宗教的人生を生きたいとか生きなければならんとなるかもしれない。
そうすれば、いろんなそれらしい姿というのを選んでいかなくちゃあならない。だけど冥想そのものはそうじゃないんだ。
だから冥想から宗教家になる人もいる。冥想から詩人になる人もいる。冥想から遊び人になる人もいる。冥想から武人になる人もいる。
冥想から政治家になるやつもいれば、冥想からパン屋になるやつもいる。冥想から乞食になる人だっている。
ただ冥想というのは、完全にその人間というのが絶対そのものである、絶対というのも愚かなぐらい絶対そのものであるということを確認させるもの、そしてそこから自然に流れ出して彼自身の人生を歩ましめるもの。
ただその限りにあるだけなんだ。あとどのような生き方をしようともう全然関係ない。
それはその人自身が持って生まれた本性。冥想を冥想自体の中で戯れる人というのは主に、禅で言えば魔境、意識のレベルの中でいろんな世界があるわけ。
霊の世界と言っていい。その中だけで充分もう楽しめるというのかな。
早い話が誰にも会わないでさ、こもって、今日は仏界の方に旅したとかさ、今日は、金星の方に幽体でもって行って来たとかさ、それだけでもう充実しちゃっているというの。
そういうのは、冥想の冥想者にあたるわけだ。幻想家と言ってもいい。神秘家と言ってもいい。だから冥想の何々、という風になるわけ。冥想のパン屋さん。冥想のおまわりさんとか。
■
604 2009/10/17(土) 14:24:09 ID:cCXNOV+m
決して情熱をやめないこと
情熱なんぞどうでもいいなぞと
カタイことをいわないでくれたまえ
何ものかへの情熱こそ
世界を世界にしているのだから
君はあらゆるものとともに死ぬ
君も世界も
もともとありもしないここに
あらゆるものが戯れている
いうなれば君達は体験でない体験
それ自身を
再体験しようとしている
本性を 忘れた人間は、
決して 本性を忘れ果てはしない
しかし、本性に帰るには、いのちがけの行為が必要であり、
そこには、人間の苦はもうない。
生きることが 耐えることだとあきらめのつく人はそれでいい。
だが、完全を絶対至福を求めざるをえないほど
苦悩している人には、自己と世界を捨てて
そこに至る道すじがある。
だが、その完全なる知恵と愛のやすらぎとは、
現代人にとっては、危険きわまりないものになったようだ。
自殺もまた完全なるやすらぎへのあこがれなのだろう。
人類よ 気づけ!
ありがとう すべての ありとしあらゆるものよ・・・
■
605 2009/10/17(土) 14:26:22 ID:cCXNOV+m
黒は白なのだ
黒を白と言いくるめる そうすると黒は間違いなく白だ
これが人間世界という狂気ありさまである
それは暗示とかイメージとかのことではない
潜在想念界のトリックのことでもない
ただ 黒と白が別れる以前からの 断言にすぎない
夢、気の持ちようだだとか 信念の力だなぞと考えるなかれ
夢でしかない世界は黒は白なのだ
されば、汝、人間よ、
進め、進め!
限りない黒と白と混沌の中を・・・
ところで・・・黒でも白でもいいじゃないか
三神歌―――
われもなくうつし世もなくなにもかも
夢の中なる夢のたわむれ
われもなくうつし世もなくなにもかも
神の中なる神のあらわれ
われもなくうつし世もなくなにもかも
なにもかもなしなにもかもなし
■
606 2009/10/17(土) 14:27:58 ID:cCXNOV+m
ここに、グルにして戦士なるよき家庭教師クリシュナが王子アルジュナに語った言葉をバガヴァット・ギターから引用してみよう。
恐れるな、アルジュナよ
戦え、アルジュナよ
殺せ、アルジュナよ
人間の本性は
決して生まれも死にもしない
人々がいかなる方法で
私を求めようと
私はその願いに答える
人の旅するいかなる道も
すべて私の道だ
どこを歩いたとしても
すべては
私に帰ってくる
そのとおり。
トスといいダンティスといいクリシュナといいアルジュナというも、皆あなた自身のことなのである
■
607 2009/10/17(土) 14:37:35 ID:cCXNOV+m
人は、その夢の途上で倒れる。ただ夢も時間もない、あらゆる絶対体験・--
パーフェクト・チェンジング・モメント
あらゆるかたちでの、
エクスタシーのサムシングのサムシング。
ある歌い手は自由を 私なりに追求してきたんだと歌う。
だが、自由ってなんだい?それは ある種の力のことかい?
インドのプリーで若いガンジャ・ババの卵である。スイス人の青年が言った。
「この世界はドリームでしょ・・・?」
私はなぜか知らぬがこう答えた。「これは夢であり、真実だ」と、
ヂャニス・ジョプリンはアルコールとドラッグで若死した・・・
酔いを味わうだけらしい・・・
高いも低いもどうということはない
優秀と劣等とを誰が一体決めるというのだ それでも月は月を生きて死ぬ
スッポンはスッポンを行ききる
こうあるらしいことが こうあるらしいのだ それにしてもこの一瞬よ! ああ、この一刹那よ!
説明できない力が、生命を駆り立て続けている。
私はすべてらしきものとして 酔いを味わうだけらしい・・・
■
608 2009/10/17(土) 15:29:52 ID:cCXNOV+m
一つの夢が終わり
新しい夢が始まっているはずだが
悟りが夢であるように
私には何一つ
つかまえるものが見えない
私の眼がくもってしまったのか
新鮮な何かを私は
なおかつ、待ち続ける
神よ、
「何もかもなし」それ自身よ、
悟りが夢であったように
私という夢をことごとく
あなたの中へ消し去りたまえ
神よ「なにもかもなし」それ自身よ、
私自身よ
■
609 2009/10/17(土) 15:34:42 ID:cCXNOV+m
かのように・・・
あらゆるものは そうなる以外ないかのように生々変化する。
そうなってゆくそのままで完全にいいのだ。
不安や苦痛や恐怖でさえ神の中なる神の戯れ。
それでよくない!と言ったところで、ストーブの上のヤカンのお湯はうなっている。
欲念相続
悟りへの修行
これもまた他のあらゆる人間営為と同様に
欲望の一形式であり、したがって、欲望のあるところに苦しみがあるのは、当然である。
解脱への修行は
他の一切の人間の欲念の戦いと変わることなく、苦あれば楽ありである。
ああ、それにしても、余りの戯れよ!夢よ!
セイナルものという夢
本ものもニセものもない。
あなたがたは、聖なるものという夢を見ている。
絶対に信じられないほどの聖なる体験はある。
だが、
聖なるものなぞどこにもない!
■
610 2009/10/17(土) 15:42:17 ID:cCXNOV+m
悟りが夢であるように
迷いが一場の夢であるように
悟りもまた場を持たぬ一場の夢
悟りが夢であるように
迷いが夢であるように
7つのスペースから
熱と光は去り
私は未知以外の未知を知らぬ
かつての情熱は今や消え去り
私の夢は
私自身である「なにもかもなし」それ自身を夢見る。
ウウィリアム・ブレイク
そうなってゆく そのままでよいのだ。
人は喜び悲しむために産まれて来たのだ。
だが、この絶対者は違う。絶対者は喜怒哀楽から離れて、喜怒哀楽を戯れ
そしてまったく同時に喜怒哀楽を超越して絶対の流れを流れ続ける。
そして絶対者はすべてのすべてで久遠にいませり。
存在と非存在とに何のかかわることもなく。
私が絶対者なのだ。ほんの卵だけれどもね・・・
極楽さえチンケなほどの、悦楽を味わうのだ。
地獄がママゴトに見えるほどの、苦痛を味わうがいい!
そしたら私達は 二度と答えを求めはしなくなるだろう。
■
611 2009/10/17(土) 15:51:30 ID:cCXNOV+m
私とは誰か?すべてが私だ。すべてとは何か?
「何か?」とは何か?これ何者ぞ?
一つの時が満ちた時、なにもかもが、得体の知れぬものと化す。
それはもはや、恐怖でさえない。
七つのチャクラを通過し、七つのローカを通過したとしても、
禅の十牛図をたどり尽くしたとしても、それが、すべてではない。
誰が、私とは誰かということを、知りたがっているのか?
君が君自身を手に入れることは、絶対に不可能だ。
純粋瞑想とは果てしなき修行であり、限りなき戯れである。
言葉を言葉として聞けば言葉にしかならない。
神は恐怖で失神するほどの、ジョークやトリックやアイロニーが好きだ。
だから神は悪魔でもある。この戯れ自身が、自分自身に目覚めること、
それを、解脱・大悟・ニルヴァーナなどと名づけているらしい。
■
612 2009/10/17(土) 16:02:28 ID:cCXNOV+m
如何にして煩悩世界を尽滅させるか?如何にして愛であり続けるか?
如何にして自我を死ぬか?如何にして解脱を得るか?
これが
君たちの学んでいるオカシナ・テクニックであり、
君たちの遊んでいるオカシナ・トリックである。
それが、どのような形象であろうと、形象を持っていることが地獄の始まりであり、
そして、それこそが、神のかけがえのないゲームなのだ。
君のにとっては、真実の悟りは、至高の快楽であるにすぎない。
「どうでもいい!」と君は本当に叫べるか?
諸行は無常である。そこから神様と悪魔が出てきたらしい・・・
いずれにせよ、楽しい話ではないかい?
ただ一人とも言えないただ一人の絶対者の様々な表情
私達はこの表情の千変万化にいつもいつもだまされている それにしても初夏の草いきれよ
■
613 2009/10/17(土) 16:05:02 ID:cCXNOV+m
パラノイア
パラノイアはおもしろい 私たち人間は、みんなパラノイアだ。
欲望が標テキを仮作する 人間コメディーの幕が上がった
果てしなき流れは終りがない 無限の大海のまっただ中にいるのも知らずに
そこで物語が尽きることなく演じられているというわけだ
大いなるマーヤ・・・ 甘美なる欲念相続・・・ 不可思議な神の遊び 不可知な神の戯れ・・・
さあ、さあ、物語はすでに進行してるんですぜ!
この演技の唯一の観客は、神様ただ一人
あの、ニンマリと微笑を浮かべた あいつだ!
だが、あいつもまた 一人ぼっちの役者に過ぎないかもね・・・
夢を夢と見るも夢
夢を夢なる夢のまた夢・・・・・・・・
■
614 2009/10/17(土) 16:06:50 ID:cCXNOV+m
「私の知人に悟り薬を作ってる人がいた。
一粒飲めばたちどころに悟りを開くというわけだ。
ところでその完成した悟り薬を飲んだ連中の言うことには、三日間とても素敵なんだそうだ。
ところが三日過ぎれば元の木阿弥とあいなる次第。
知の宮のある科学者は宇宙意識と合一して超人化するための、最もイージーなテクニックを組織的に研究している。
全く人間という夢は、夢ゆえに何でも夢見るらしい。
私の超人仲間であるケイルーンのよく言う言葉を思い出す。
『君にとって簡単に見えるものが困難のはじまりである。君を死滅させるほどの難しさが、簡単のはじまりなのである』
確かに超人達はイージーそのものだ。
しかし、イージーそのものはあなたに属するものにはない。
安楽な戯れは、あなたが元々ありもしないここにある。
私が出版した『救世主入門』を読んで、『自分こそ三歩先を行く精神だ』などと妄想する人々が出だしたようだ。
このアトランティス文明も長くはない。
あなたの肉体も意識も、あなたの宇宙も宇宙意識も
あなたの記憶ビジョンも神秘知覚も、もういい。
あなたの何かなど、もうどうでもいいのだ。
■
615 2009/10/17(土) 16:09:32 ID:cCXNOV+m
それより戯れよう。
三歩先を行く精神の中を、私であるあなたが、愛を戯れている。
三歩先を三歩先を行く精神もへったくれもありはしないのではないか。
言葉は、瞑想行法や、密教学や、精神変容剤や畑を耕すこと、パンを焼くことと同様に、
宇宙意識なる本来の自己を自覚するのに役立ちはしない。
だが、今更言葉の無効性をとやかく言うには及ばない。
人類の全てが求道者としてしかありえぬ時節にはいって久しい。
ここに言葉は、一輪の野の花や、最愛の者の死や極限の情況と同じだけ、宇宙意識を開示せしめる火花となる。
あなたはどうなのか?
言葉が夢の中での戯れであるのは当たり前のことだ。
それであなたはどうなのか?
夢といい、現実といい、全てはあなた自身にかかっている。
あなたがどのように生きるかによっては夢もまた現実以上の現実そのものともなりうる。
いつでもあなたはとぼけている。
やれ、幸福だ、不幸だ。
やれ、悟りだ、迷いだ。
やれ、生まれて働いて死んだ。
やれ、鳥が飛んでいる、石ころが笑っている。
やれ 人間だ。宇宙だ。瞑想だ。密教だ。神通力だ。平凡だ。
そんなふうにとぼけている。
では、あらゆるとぼけをやめたとしたら、そこに何がある?
この疑問もまたあなたのとぼけに違いはない。
それでも神はとぼけによって、愛という宇宙ゲームを戯れて尽きることがない。
悟りを開いたとか、神を見たとか、神を見たと頑張るとか、
死やこの世の果てに直面したとか、言いようもない素敵な体験を持ったとかしても、それらがあなたの・・・
■
616 2009/10/17(土) 16:11:54 ID:cCXNOV+m
欲望は欲望を滅尽させるために欲望としてある。
欲望は充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。
老子
老子について何も知らない
ただ気楽な人だったなあと、わたしは思う。
そうなってゆく、そのままの人。そうなってゆく石ころ。そうなっていく雨だれ。
ただ素直にやわらかく、豊だったなあと、私は思う。
イエスのうように純真だが、そのオトボケは、ソクラテスを楽々とノイローゼにさせるほどの俗物中の俗物。
もちろん老子とは個人の名前でもなく。老子という本の名前でもない。
宇宙の名前だといったらよいのか?無限の名前といったらいいのか?
否、否、三度否!
なにもかもないそれを、老子が老子と名付けたらしい。ありとあらゆるものそれ自身を。
誰かが仮に老子と名付けたらしい。
ありとあらゆるそれ自身を、誰かが仮りに、老子 と名付けたようだ。
それだからこそ老子はあたりまえな人間なのだ・・・
■
617 2009/10/17(土) 19:12:41 ID:yEAFI10i
ダイジいいなぁ。
■
618 2009/10/17(土) 21:04:49 ID:i/pBxhpM
この宇宙やかの宇宙の、いかなるものにも、もはや、愛着も憎悪も抱かぬ時、
絶対愛の流れとなってそれは開示される。
悟りと迷いとは同じだけ真実だ。それゆえに私達は悟りの方法だけを問題にすればいい。
真実 存在しているのは 真実 非在しているのは ニルヴァーナのみである
神聖なる書物は、すべて ニルヴァーナが、神ロゴスと顕われたものを、
仮に言語化したものにすぎない。それらは、一つの天体・地球や 一人の人間・人類に
聖なる進化をうながすための刺激を与えるためのものである。
ニルヴァーナとは、あらゆるものの終極のことだけではない。それは、
あらゆる生命達の久遠の始まりである。この時でない時に、あらゆる宇宙生命体達が、
あらゆる多様多元のリアリティー達が、終わりながら始まっている。
何もかもなしということは、なにもかもなしという絶対充実である。
ニルヴァーナはマーヤだ、否! ニルヴァーナはニルヴァーナだ、否!
ただただニルヴァーナ、否!! ニルヴァーナ、否!!!!
プロセスもテクニックなぞも ないことを体現している あらゆるあなた達に捧げる
この限りない空間-- この限りない時間--
私は私だったんだ すべてはすべてだったんだ さあ、お前、何が言いたい
ある人がこう言った 「わからん」 --何という美しい言葉
■
619 2009/10/17(土) 21:07:23 ID:i/pBxhpM
もはや、すべての苦しみと悲しみは 過ぎ去った。
今と同じように 21世紀も まったく新しい 楽園となるだろう。
疑いの余地なく・・・
福生の飲み屋街は真夜中を迎え
それゆえ
永遠の光は輝き続けている。
あなたの愛がすべてであるように
21世紀の光もまた
あなたにおいて花開き続ける。
この大いなる死のなつかしさにおいて・・・
21世紀とあらゆる時代に限りない感謝をこめて
DANTES DAIJI
――師ダンテス・ダイジの意志に基づき、
その大悲大慈がより正しく
伝わらんことを祈りつつ
■
620 2009/10/17(土) 22:09:06 ID:i/pBxhpM
愛は愛を楽しんで
私は愛したから この世に産まれてきた 愛がすべての形を創り
年老いた老人であろうと 失恋自殺の少女であろうと
帰減する直前の 一微塵の生命の中にも 一つの形があり その形には限りがない
愛がすべての多様世界を編み 諸行無常・諸法無我の説法も
決して真理などとなったためしはなく 釈迦の編み出した一つの世界にすぎず
この世を忘越した 胡蝶荘周も そのようなこの世への愛を生きた
生きているものには 生命のみが与えられ
死は生命のみが編み出すことのできる 一つのドラマ以外のものではない
あなたはあなたの生命をくまなく愛し切り
私は私の生命を すでに愛している以外にない
一切生類の宿業と無明とは 一切生類自身の愛に他ならず
不治の業病に苦しみ 自らの命を断った青年は
自己の生誕を呪ったヨブに等しく それぞれの愛を演じている
つきることなく 宇宙の終りにもつきることなく 愛は愛を楽しみ続け
愛によって仮現する一切万物の嘆きは しかし決して愛にとどくことはない
私は愛しているから 今生きている
私がどうなろうと あなたがどうなろうと
愛は愛を楽しんで つきることがないのだ
本質的な問いには、解答というものはない。 にもかかわらず、
あなたは、問うことをやめてはいけない。 少なくとも問いも答えも、
あなたも世界も、消え果るまでは・・・
ここにいつも全体がいるから 只管打坐が純粋瞑想なのだ。
ここにいつも呼吸があるから アパーナ・サティ・ヨーガが、純粋瞑想なのだ。
ここにいつも知覚があるから尾骶骨の中の生命力を、あらゆるものを知覚し切ることに
使い果たすのが純粋瞑想なのだ。
■
621 2009/10/17(土) 22:12:05 ID:i/pBxhpM
私達は、目下のところ、欲望を生きること以外、考えられない。
そして、欲望には、本当の完全・無限・絶対の至福はあり得ないことも知っている。
私は本当にいいということさえ必要ない程、いいということが、決してあり得ないことを知った。
私は、ただ只管打坐を続けたい。あなたたたちは、本当にいいということを欲しくないのか。
私は、ただただ只管打坐を続けたい!
私は、ただ全身全霊で只管打坐を続けただけだ。そして、その中には、一切の苦しみと、
一切の楽しみとが交互に起こってきた。なぜなら、現代の人々にとって、欲望以外、
原動力はないからだ。そして欲望が何の答にもならないことも知り尽くしている。
もう私は、絶対に救われないということは自明になっていた。もう救われないということと
闘う気もなくなっていた。
突然、それは起こった。本当の自然な意味で、それは起こった。本当の自然な意味で、それは起こった。
私の体も、私の意識も、それ以外のいっさいもやさしく消え去った。私は、すべてのすべてである
私自身であったのだ。宇宙との合一だとか、神秘体験だとか、霊的体験だとか、そんなマンガチック
なものでは全然なかった。
結局只管打坐とは、何もかもがいいということさえ言う必要がない。
何もかもがいいということさえも・・・・・・。
■
622 2009/10/17(土) 22:16:03 ID:i/pBxhpM
俺たちが絶対そのものになったら、絶対って言葉はもう必要なくなっちまう。
だけど実在のひとつ手前がね「菩薩」って言って一番大切な場所なの。
なぜならそれは人間と神とをつなぐものだから。神の子たちの世界だから。
そして・・・いいよ、実在そのものになったやつなんて、全部向こうに任しとけよ。
あんな奴ら、なんの役にも立たないから。オレもなりかねないけど・・・
とにかくなんの役にも立たない。とにかく充足して宇宙の一切と、同時に存在しているだけだ。
で、一番素敵なのはね、生きていて、生きるって言う意味とさ、
生きるものを越えてるっていう意味を同時に持ってるのは、その中間に位置している存在なの。
その人にとって「絶対」があるわけ。絶対の愛の喜びっていうのがある。
絶対の自由の触れ合いっていうのがある。で、それを有想三昧っていうんだ。
無想三昧と有想三昧と分けると。
ラーマクリシュナがまさに嫌ったところっていうのはさ、
実在そのものになってしまうことなの。弟子のヴィヴェーカーナンダに言ってるでしょ?
「お前、絶対ニルヴァーナは経験するな・・・」って。
ニルヴァーナ、無想三昧なんかに入ったってなんの役にも立たない。
だって、それは死ぬことなんだよ。すべてが終わってしまうことなんだ。
完全な死って言ってもいいね。肉体の死でさえない、完全な死だ。
例えばシャカがね、無想三昧っていうのを知ったとき、
説くのを止めてもう死のうと思ったっていう伝説が残ってるでしょ?
つまり全く、それくらい人と関係ないんだ。多くの人と。
おそらく、人間の99パーセントと無関係の話しだよ。いい?
だって人間の99パーセントは何を求める?
深いふれいあいでありさ・・・触れ合いじゃないか?何より。
で、それは物語なんだよ、ひとつの、美しい。触れ合いの世界っていうのは。
■
623 2009/10/17(土) 22:16:55 ID:i/pBxhpM
そしてシャカの行き着いた世界、つまりニルヴァーナの世界っていうのはね、
触れ合いが全くない世界。それは触れ合わないって意味じゃないよ。
触れ合うことも、触れ合わないこともない世界だ。
始まりも終わりもない世界だ。
でもたいていその世界を知ったとしたら、(そこへ)入る人はほとんどいないだろう。
なぜならその時突然こみ上げてくるから。愛が、慈悲心が。
だってねこの世に物語がなかったら、神はこのマーヤの世界を作る必要はないもん。
いろんなものがあったり、いろんな出会いがあったりさ、合わさったり、
離れたり無数の物語があって・・どうしてそんなことやってる?
神は戯れるのが好きなんだ。
■
624 2009/10/17(土) 22:26:25 ID:i/pBxhpM
「まあ、暇な時やるって感じだね。隙間を縫うって感じだよな。そう」
『うん、でもそれは、逆転を知ってるっていうことなのさ。
つまり瞑想が展開しているってことを知ってるっていうことなのさ。
そして瞑想が全てに展開しているっていうことを知ってる時、出来ることなのさ。
ただね、ひとつだけ言えることは、人は瞑想っていうのを人間である限りやめてはならない。
どんなに自分がハッピーだと感じていても。それは人間ていうのはそういう性質を持ってるからなんだ。
瞑想をやめるといつしか必ず何かが出て来る。とても忘れやすいし、とても頑固なんだ。
自分との闘い、自分との甘えとの闘い。
カスタネダが言う。カスタネダが言うようにね『ああー、どうやってさ、克服できるのよ』って。
『とてもそんなすぐには僕にはできそうにないよ』ってたら、
ドンファンが『馬鹿者。精神があるための道は一生の道なんだ』って。
一生かけてその内うまく行くかも知れん。行かないかも知れん。
でも、俺達はそれに向かって行くしかないんだ。もちろんいいよ。忘れてしまうのもまたいい。
そう、忘れてしまったんなら忘れてしまったんだ』
「やっぱり知的に考えるとさ、えらいきつそうに見えるんだよね。実際はきつくないんだけどさ。瞬間も逃さないっていうあれなのかなぁ」
『でも、瞬間を逃さないっていう形で追い詰めても意味はないよ。それよりは自分の死ぬことを考えた方がずっといいよ』
「自分の死ぬこと?」
『うん、結局は死ぬんだっていうこと。年老いて、あるいはいつ死ぬか分からないっていう』
「うん」
『そりゃあ、自分が本当に気に入ったっていう方向にどんどん進んで行けばさ、同じように瞑想に出会う。うん。必ず」
「それは形とか瞑想っていう言葉を超えた、いわゆる瞑想でしょ?」
『ううん。と、言うより瞑想っていうもの自体が本当は形を持ってない。だから座禅瞑想ってわざわざ、座禅瞑想ってつけたりさ』
「座禅瞑想って組んでる時以外の日常生活も、瞑想的な生活ってのはある?」
『て、言うよりも瞑想の生活になるっていう形以外にさ、人間の生活はあり得ない。いわゆる瞑想的生活って、
いろんな規律立てていろんなことをやるっていう意味ではないよ(笑)』
■
625 2009/10/17(土) 22:29:53 ID:i/pBxhpM
『一番楽な方法とったらいい』
「楽な方法より楽しい方がいい」
『うん』
「バグワンじゃあないけど降参が楽だっていうかね、降参が素晴らしいっていうのが分かるね」
『ああ、ただし、降参するんだったら本当にどうにもならないものに降参して欲しいよ。
どうにかなるものに降参しても、意味ないからね。
あるって!必ずあるって。どんな問題が、ものすごい問題が起こったって、
必ずそれを超える道があるって。生きてる限り』
『絶体絶命の時はすぐに入れ替わってくれるから大丈夫だよ』
「何が入れ替わる?」
『うーん、超えた世界っていうものに入っていくんだ。そんなことは考える必要ない』
『瞑想って、そんなに自分をさ、狭めないでほしい。いい。本当に素直になった時、その人間とって浮かぶ想いでさ実現しないものは何一つない。
そういうふうに出来てるんだ。どうしてか説明出来ないけどね』
■
626 2009/10/17(土) 22:33:12 ID:i/pBxhpM
「個性は変わらないもの?」
『もっとも深い個性は、変わらない。それはこの世を戯れるためのもの。
もし、本質的個性がなければ、この世はあり得ない』
「それは個人個人の中でそれぞれに一番深い個性があるっていう?」
『うん、みんな人それぞれかけがえのない個性を持ってる。セルフイデアだ』
「そこにはきつさっていうのは全然ない?」
『きつさがあろうとなかろうと、そんなことは知ったことではない。自分自身の道を歩くんだ』
「そのときのノリで、選び取ったものっていうのが個性でしょ?」
『ううん、選び取り、選び取り、それを繰り返していくうちに本当の個性に』
「出会って。うん」
『うん』
「常にチェック?」
『うん。ただし、やらなければ絶対に出会わない。その時、良しと思うものをやるんだ。それを繰り返していく内にわかってくる。
いいか!またとないんだよ。今ここに会ってることが。そう、たった一、二、三、四人だけだ。だけどこれが全てなんだよ。
これが!またとない。またとない。愛』
■
627 2009/10/17(土) 22:35:40 ID:i/pBxhpM
『俺がいない時は何?』
「うん」
『Sがいない時はないよ』
「うん、そうなんだ。それに気付いた」
『いい?ここに集まってるだろ。これだけのために宇宙はあるんだ。
うん。全く常識的には馬鹿げたことかも知れない。でもたったここに四人いる。
ここに集まって、そしてここに座っている。それだけのために宇宙は出来た』
「宇宙にいるのはただ一人っていうこと?」
『うん』
「それをやっぱり自覚しなければいけない?」
『うん。そして、それは幾たびもなく幾たびもなく自覚するんだ。それにはきりがない』
「終りはないんだ」
『うん。終りはない』
「悟りに終りはない」
『うん、終りは』
「究極に終りはない」
『うん。だから究極。究極って(笑)』
「うん。やっぱりイメージがあるんだよね。一番最後にさ、死に出合ってさ、ぶち抜けたらさ、うん。それからもう」
『うん、確かにぶち抜けるっていうつまり、大悟っていうかな。大いなる悟り。
あるいは無想三昧の境地っていうものを完全に体得するっていうことは確かにある。
だけど、それはほんの始まりに過ぎない』
「また次に」
『それはこの世が生まれてきた理由だ。俺は君達がグル、いや神であることを知っている。
君達は神なんだよ。いつも何かに追われている君達っていうのは、本当にはありやしない。
君達は神なんだよ。一つ一つ神なんだ。一人一人神なんだ。そこにはどんな比較もない。
聖者が神である、神だっていうんじゃあないんだ。どんな人達も、どんなものも全く同じだけ神だ』
「どんな人達も何?」
『どんな人達も、全く同じだけ神なんだ。それは理屈ではない。そこにはどんな優劣もない。どんな比較もなく、競争はない』
■
628 2009/10/17(土) 22:41:35 ID:i/pBxhpM
「でも、好き嫌いっていうのはある?」
『もちろん』
「憎悪は好悪は?」
『好き嫌いはあっても、憎悪はない』
「やっぱり自分の中にある高慢さを殺したいんだ」
『うん。それも一つの観念に過ぎない。いい?今君達はここにいる。
君達が果たすべき唯一絶対の事柄っていうのはね、もう、今果たしてるんだ!
ただ、観念(頭)だけが『そうじゃあない、そうじゃあない』って言ってる。
どうだい、見てみろ、ほら。風が入ってくる。電気がついてる。
そこに何が、どんな足りないものがあるっていうんだ?』
「居心地がいいか悪いかも関係ない?」
『それは(笑)、居心地がいい方がいいだろう(笑)さぁ、坐ろう』
『力むな』
『素直であれ』
『みな何かを分かったためしはない(笑)』
「わかろうとすることは?」
『わかろうとして生きるんだ』
「わかろうとして生きる?」
『うん。そして『分かったかなぁ』っていう感じのところへ、そのすぐ側に行き着くときがあるかも知れない。
でも、本当に分かるっていうことは、人間にとって絶対にあり得ない』
「結局反対の意味かも知れないっていうこと?」
『うん、そう。本当に分かってるものはね、人間ではなくてね、命だ。命だけは永遠に分かってる』
『どんな能力をつけてね、人を思い通りに操ろうと何しようとね、絶対本当の安らぎは来ないからだよ。
本当の安らぎっていうのはね、自分を超えた自分が、自分より遥かに超えた無限に向かって奉仕した時、
献身した時初めて来るんだ』
■
629 2009/10/17(土) 22:46:42 ID:i/pBxhpM
『大切なことはね、君が人からどう見られるかじゃなくてね、君が人にどう対するかだ』
「まだまだ、人付き合いの部分が変わっていくはずですか?」
『うん。もちろん変わっていくよ』
「まだ迷いが、非常にありますか?」
『だって人間から迷いを取ったら何やるんだい。『やー、やれ惚れた』『やれ失恋した』とか『やれうまく行った』『やれ失敗した』
それは人間が生きてる限り、つまり君の肉体、その肉体がある限り続くことだ。
ただ、どこが違うかって言ったらね、それが物語として味合えるか、
それからそれしかないとして、ものすごくしんどい目に合うか、ただそれだけの違いだ』
「やや、味合える段階に入ったていう感じがする」
『うん、うん。だけど自分の心境とかね、自分の高まりとかをそんなに気にする必要はない。
うん。いつでも初めての日のようにね、自分らしく生きればいい』
『それからこれだけは忘れないで欲しい。どんなに不思議な経験をしようとね、
どんな意識のレベルに合おうと、どんな感情的な体験、あるいは感覚的な体験をしようとね、
もし、そこに爽やかさ、あるいは優しさ、本当に自分の心が晴れたものがなければ、
それは意味がないものだってことだ。
いい? どんな形からだって人は不思議な経験をすることがある。
でも一番大切なことは自分以上のものに自分を捧げること。それに溶け込むこと。
そして、忘れないで欲しい。常に、常に瞑想っていうのはね、とても大らかなものだ。
とても優しいもんだ。とても愛深きものだ。
どうするんだよ。『俺はスーパーマンだ』ってこんなして頑張ったって(笑)』
■
630 2009/10/17(土) 23:03:10 ID:i/pBxhpM
『元々あるものになるってこと。自分が生かされるってこと。ものすごく古い言い方だけど。
そういうことが一番の中心だ。そしてね、自分が何かになろうとする生き方っていうのは、
相変わらず自分の支配欲っていうかな、にとらわれ続ける。だから魔術師になる道とか、
超能力者になる道とか、呪術師になる道っていうのがとても落とし穴の多いものだっていうことだ。
そうではなくて本当に自分の一番中心、無限なるものの一部であるってこと。いい?
海の中の、君はさ、魚なんだ。そういうこと。そういう安らぎを得るっていう方向へ進んでいかなきゃあ。
その人にそういう素質があったらひとりでに出て来る』
『一体、救世主っていうのは何だろうか。どうして何か、高尚な教えやいろんな教えを説いてくれる人が救世主だって考えるんだ。
俺達はさ、お腹空いたらきっとパン屋へ行ってパンを食べる。大衆食堂へ行って、何とか定食って。
あれをどうして救世主じゃあないなんてそんな固いこと言うんだよ(笑)。この世にある全てのものは互いに救われ合っているんだ。
何一つとして例外はない。みんなそれぞれお互いに高め合っているんだ。
それが愛する二人に言葉はいらない(笑)。ちょっと落ち込んだ(笑)?
触れ合うためにあるんだ。そして深く深く触れ合っている。ただ、余計な観念が邪魔するだけだ。
余計な観念さえなければ、それが本当にその通りであることがわかる。それが救世主さ。
救世主は人間のみと思うなかれ。酒好きのさ、男が飲む焼酎の一杯だってもちろん救世主だ。
ただ、それが救世主だとわかるためには、ものすごく水晶のように透明なクリアな素直な心でなくちゃあならない。
それは何でも救世主なんだ。猫も杓子も救世主。太郎も花子も救世主。本当だよ』
『(笑)ただ、それはものすごく恐ろしい教えだ。一見ものすごく軽く『ああ、そうか』なんて思いやすい。
だけどそれだけじゃあない。本当に自分がこの大自然と一つである流れに即したときに初めてわかる。
D・H・ロレンスなんていうのはそういう世界を憧れてたんだ。そして遂に到達することが出来た』
■
631 2009/10/17(土) 23:08:50 ID:i/pBxhpM
いつでも家の中にいるよ、今君たちは。
だから君たちが疲れたらいくらでも安らげる。
それからね、君たちが死ぬっていうことは君たちがパーフェクトな理由なの。
おかしな言い方かもしれない。
それはね、君たちの命が君たちの自分勝手な方向で出てきたんじゃないっていうこと。
既に君たちは、与えられて出てきてるんだってこと。
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ・・・・・・
「全ては神秘だ さよなら 私のあらゆる顔よ」
『月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している』
■
632 2009/10/17(土) 23:18:34 ID:i/pBxhpM
よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。
断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。
が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
■
633 2009/10/17(土) 23:20:59 ID:i/pBxhpM
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。
が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。そ
れはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。
花は開かない。
じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、「花なんか開く必要がないよ」って君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこの『もの』。名づけようもない、この『もの』。
この全体があるんじゃないんだ。この名づけようもないすべてといのが君たちを在らしめているんだ。
宇宙は花開こうとしているんだ。そして君たちは今、俺という花を見ているんだ。
そして今君たちは俺という花と一つになっているんだ。頭がなんと言おうとね。
悟りとか、なんとかってすべてが、いいという事。勘違いしないでほしい。
君の中にすべてのうちゅうがある。
■
634 2009/10/17(土) 23:28:28 ID:i/pBxhpM
戯れに冥想を 著・雨宮第慈
プロローグ
この本は、宗教的でも神秘的でも通俗的でもないし、正気でも狂気で書かれたわけではない。
「あなたは何か?」
この人間性最後の疑団であり答えであるフレーズを
神の気の向くままに書きつづったものがこの本である。
「私は何か?」
答えは極めてというのも馬鹿げたほど明々白々である。
人間が何らかのものに寄生あるいは依存しなければならないという、
現代の精神分裂的な状況が、私にあわれみをいやというほど感じさせるのだ。
このように恐怖と不安と苦悩と自虚的、憎悪に満ちた文明の中で、
絶対の解決とは何なのであろうか?
「絶対の解決なぞない」などと疲れた顔をして言わないで欲しい。
バイブル・ギーター・仏典・老子・アヴェスター・クラーン------それらに書かれていることは余りにもシンプルで、
それは本来”読書”の対象にはなり得ない。
本を読むなどということは、描象的な人間のデッチあげた営みであり、
この本は、あなたに読まれるために書いたのではなく、あなたと愛し合うために、
あるいはあなたを強迫するために書いたものにすぎない。
魂の読書というものがあるのだ。それは言語冥想である。
まるでこれ以上ないというほどのステキな彼または彼女に出会って、転生も末長く「愛」を暮すような何かだ。
人間は、到底、考えられないくらい、永遠に戯れる存在としてあらしめられ、そしてみづから、喜んで、このドブ池という宇宙に産まれて来た。
■
愛のないところはどこでも 見知らぬ世界だ
見知らぬ世界という不安を 私は歩いていた
宇宙も私自身も愛さえも ぜんぜん知らないという私自身だ
本当に見知らぬ私自身は 私のいかなる不安な感情とも無縁だ
神秘が今ここに歩いている 神秘が今ここに坐っている
おめでとう 君は 君自身の旅を終わらせた
おめでとう 君は 君自身の旅を始めた
おめでとう 君は 今・ここで 絶対の終りと絶対の始まりとを見破った
さようなら君自身 さようなら君自身の旅
神の絶対無の中に 夢見続ける宇宙
夢の宇宙はこのように戯れ 夢の宇宙はあのようにも戯れる
あらゆる宇宙や生命達が こんなにも私の身近かにある
あなたを生かすために 生命はあらゆる条件をあなたに与え
私が生きる所に 大気が生き太陽が生きあなたが生きる
太陽はあなたに 仕事を与え妻子を与えまた嘆きを与える
太陽はあなたに 命を与えまた命を奪う
この宇宙もやがては死に そしてまた宇宙が産まれ来る
一つぶの雨の生涯が あらゆる人々の生涯であり
かげろうの生命の営みが 宇宙の生命の営みとなる
そしてそれが すずめのさえずりの一小節
■
あるものが高まろうとしている あるものが帰ろうとしている
いやおうなく
あるものが高まろうとしている あるものが帰ろうとしている
密かな懐かしさを内に抱いて
あらゆる個生命達は これを求めて 旅しているのだ。
ここにいる者は 転変極まりなきこの世を見ず ここにいることをも忘れ
移ろいゆく浮世も忘れ 久遠の光明であることも忘れた者
終りの時節が来た。
終りを、精一杯、歓び楽しみなさい。この宇宙が歓びで破裂するほど・・・
終りの時節が来た。
終りを精一杯、嘆き悲しみなさい。その叫びで、あらゆる宇宙が破裂するほど・・・
わたしは行くだけです
私は行くだけです 帰るところはありません
私はするだけです 得るものはありません
大河はひとつの方向にながれているのです
とどまることも 逆流することもありません
流れは固まって一つになることも ばらばらになって ぶつかり合うこともありません
あなたと私は愛し合うことも憎み合うこともありません
河は人間の生まれる以前 いや天地の生まれる以前から 流れ続けているのです
そして あらゆるものとなって流れているこの流れが 失望し切った私には 何と親しく感じられることでしょう
私を無視し去ったある師も 私と同じように流れているのです
私は死の思惑など 見る必要はなかったのです
今 私は夕焼けを見ています
■
637 2009/10/17(土) 23:40:03 ID:i/pBxhpM
帰る家がないからといって 嘆くにはあたらない
あの娘は、睡眠薬を飲んで ガス管をくわえて死んだ
キリストは十字架の上で その激しい苦痛にうめき
ブッダ・ゴータマの最後には 弟子達や小鳥や牛達が 集まり来て涙を流した
帰る家がないからといって 家を求めてさ迷うには及ばない
不安におののく人の心も 吹雪の夜にただ一人 孤独に死んだ旅人も 人力の如何ともし難いところだ
空気がなければ どのような偉大な人間も 生きられはしない そしてまた空気を作ることはできぬ
死は私に何を語ろうとするのか どのような宮殿も 暖かいマイホームも
死の闇の中に その仮の宿であることを顕す
私達は仮の宿から仮の宿へと
点々と変転しつつ生命をつなぎ 死ぬものなる私達には
どのような安住の家も与えられはしない 安住の家がないからといって 悲しむにはあたらない
竹富島に首をつって自殺した彼 それは真夜中の便所の中だった
死んでもうどこにもいない彼は 一体私に何を語るか
何も語りはしないし 私も又何も聞くことはない
私も又どのようにしてか死に 何を語り何を聞き何を想ったとて 一瞬も生きのびるわけのものでもない
■
キリストはキリストの生命をしか 生きることはできなかった
彼女は彼女の生命をしか 生きることはできなかった
立派な社会への貢献者よ あなたはあなたのように生き
男との生活に疲れて死んでいった あの娘には あの娘の生命以外には与えられていない
彼女に帰る家がなかったことを どうしてか悲しまないではいられない
キリストに帰る家がなかったことを 私は悲しまずにはいられない
どのような聖なる使命さえ どのようにそれを聖なるものと 思いこんでいても
それは決して帰る家として 常に変わらずありはしない
アル中患者の悲惨な日々が 初夏の太陽の下にあり
流行歌手の華やかな人気生活が 初夏の太陽の下にある
初夏の太陽が 不思議に輝き デイゴの真紅の花が 開き始める
かつての原初の海にも コールタールが漂い
離島のエメラルドの海中に 若者達は潜水する
青い青い熱帯魚が サンゴの間に踊り 私達は異郷の客であることを忘れる
帰る家がないからといって 嘆くにはあたらない
あなたを生かすために 生命はあらゆる条件をあなたに与え
私が生きる所に 大気が生き太陽が生きあなたが生きる
太陽はあなたに 仕事を与え妻子を与えまた嘆きを与える
太陽はあなたに 命を与えまた奪う
私は苦痛を見る時もあり 死の闇に怖れおののくこともあり
人を呪い自己を呪うこともある
それは私に 帰る家がないと 嘆かせはするが
帰る家がないなどということを 嘆くには及ばない
帰る家がないところに 嘆く私もなく
時間も 空間も この現象世界一切が ないという必要もなく ないのだ
どうしても 私は世界を破壊し 自己を破壊せざるを得なかった
私の考える自己も世界も 決して私自身の家ではないのだから
帰る家などを問題にするのはやめよう
何もないところで 私はわが家に安坐している
■
アメンティーに近づけば近づくほど、あなたにとっての現象宇宙は、深い闇に包まれていく。
あなたが存在すると妄信している現象宇宙は、仮象にすぎないからである。
あなたの見ている現象宇宙が希薄になればなるほど、絶対そのもなるアメンティーの光明が、あなたを包む。
そのアメンティーの光明の中に、すべての答えならぬ答えが実在している。
私の言葉は、あなたの知的理解を求めてはいない。
どのような崇高な教説も、結局はあなた自身の全生命をかけた霊的な解説によるものだ。
この「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」という小冊子は、まだるっこしい逆説に満ちていると感じるかもしれない。
だが、私は、あなたの気やすめのためにいるのではない。
たぶん、この小冊子を読んで曲解や自分勝手な誤解をする人々が出てくるであろう。
だが、それは、どのように厳密に表現された教説についても言えることだ。
ここに書かれた言葉は、それがどのような印象をあなたに与えようと、
「愛」そのものの自然な表現にほかならない。
私は、二元対立の人間性を決して肯定しない。
「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」の言葉のすべてはことごとく絶対愛なるあなたを示しているのだ。
■
人間とは確固とした何者かであろうとする。
人間とは欲望を自覚した分裂的な個生命体のことだ
人間的な一体感は安心を仮作するが その安心感ゆえに不安でもあることになる
人間は確かなものを求めざるを得ない。
確かなものが人間自体にないことを知ってしまったからだ
人間的安定は絶対者の戯れと正反対の立場にある
産みの苦しみは本当に産みの苦しみだ
人間性は完全な束縛を嫌い
そして、また、あらゆる束縛からの解放を願う
観念的であるということは 現実的であるということだ
現実的行動派は実はあまりに夢想的なのだ
確実なものが何一つないここでは
あらゆる方向性が意味を持ち あらゆる価値づけが無意味だ
この世のあらゆることには、完成ということがない
それは時計が回るように回帰する。
人生それは、また時計のように成熟し得る。
時計には個生命としての生老病死がある。
あらゆる個生命達の 夢と真実と愛のストーリー
THIS IS DREAM―TRUTH
欲望は欲望を尽滅させるために欲望としてある。
欲望は充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。
私は私に直面しよう、知性を英知に変容しめる何ものかを。
あなたはあなたに直面しよう、理性を知恵に変容せしめるサムシングを。
なぜなら 欲望の遊戯に終りはないだろうから
なぜなら マーヤのゲームに果てはないだろうから
人間というジャンキーよ
おれたちは、なんといとおしいのだろう・・・
人間とはジャンキーのことだ。
それにしても なんと美しいことだろう・・・
■
641 2009/10/18(日) 00:09:46 ID:qvfQ6Yin
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。
本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。
しみわたらせるんだ!今、此処で!
此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。
うーん-----そう-----通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか-----
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
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今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。
本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。
しみわたらせるんだ!今、此処で!
此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。
うーん-----そう-----通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか-----
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
■
実際のところ・・・
実際のところ帝王とは奴隷である。だから宇宙の奴隷になるがいい。
支配者はつねに被支配者とファッキングしている。
創造主はつねにつねに被造物とファッキングしている。
―――この認識が、すでに。
誰かと誰かのファッキングなのだ。
だから本当に破れかぶれになればいい!
それは一つの素直さであり得る。
信頼とは何だろうか?
それは、信頼なぞ どうでもいいということにほかならない。
低いものはどんなに高きものも秘めている。
瞑想が瞑想を戯れている!
だが副主人公である。君には戯れはないんだ。
私はエクスタシーである。だからして、私が死ぬ時
神に返さなくていいものが一つだけある。
「神様、ああ、あなたは私だったのですね」という自覚。
それはそうと思えばそう思える。こうと思えばこう思える。
すなわち絶対の孤独ということだ!
■
どうしようもない・・・
どうしようもない今は、どうしようもない。
これも過ぎ去る。すべては過ぎ去っていく。これではない・これではない・これではない。!
どうでもいい なんでもいい シッチャカメッチャカ!
わたしはただこれになり切ろうとするのみ。
念ずれば、私もすべてもなくなってしまう。
オーム・オーム・・・オーム!!
私が対象を見ようとすることが不安であり、私が対象を聞かせてもらうのが愛である。
禅定にはいれない今は、入れない今だ・・・・・・
■
645 2009/10/18(日) 00:25:20 ID:qvfQ6Yin
すべては不可能であると知ること――― それが自殺と発狂と悟りへの出発点である。
充分以上の情熱のみが、不可能と可能との区別を忘越せしめる。
思考は常に解答を出したがる。 たとえば「不可解」だとか「全体性」だとか。
こんなものどもは、ガラクタでさえない。快楽こそ悟りなのだ!
快楽が、あなたのものでもないように悲しみも不安もあなたに属しはしない。
では、あなたとは何だ?
完全はね、君達以外の誰に代わってもらうこともできない。
完全なんて言葉は言う必要がない。
本当に納得した、本当にすてきな、本当におおらかな、本当に深いこまやかな人生。
君達は本当に自分の大好きなことに向かって進むことしかありえない。
『正法眼蔵』が深遠なんじゃない。釈迦の教えが深遠なんじゃない。
キリストの教えが深遠なんじゃない。ハイデガーの哲学が深遠なんじゃない。
そうじゃない。 君たちが、深遠なんだ。君達の中が深遠そのものなんだ。
それ以外に完全はない。いい?
忘れ果てるがいい
何を語れば、いいというのだ。
語るべきなぞ 何一つとてない。
石ころは、何を語っているのだろうか。
形あるものは必ず死ぬというのに。
すべてのすべてを見破ったら、
おろかに、 なにもかも忘れ果てるがいい。
私は髪の毛、一本 白くも黒くもできはしない・・・
■
私はとこしえに楽しく生きたい!
天馬・空を行き 行くところ可ならざるはなしという
人生の達人だからとて本当にわかるものなど何一つなかろうよ
死の悟りを開き 神と霊のカラクリを つぶさに体験したからといって
実際のところなにがわかったと言うのだろう
光明以上の光明 至悦以上の至悦 わかることのわからないことの彼方のサマディーを体験したからとて それが何だというのだ
庭先にマーガレットの花が咲き乱れ すずめの鳴き声はすずめの鳴き声らしい
そして わたしは生きているらしい・・・
時には不安にめいり 時には極楽のエクスタシー酔いながら
私はどこからどこへ行くか知らないばかりか
こう書いていることも こう書いている私とやらも ぜんぜん知りはしないらしい・・・
やれ観念的だ抽象的だ やれ実質がある実行がある やれ現実だ夢だ
私たちは何て馬鹿げたゲームにうつつをぬかしているのだろうか
草花が初夏の風にゆれることが現実であろううか?
ノイローゼ青年が見た空飛ぶ円盤は幻覚だというのか?
誰も何も知りはしないさ・・・
私はとこしえに楽しく生きたい! たとえ、それが、まっかなウソであろうと。
永遠の旅に出る
あらゆるものが そのままで 絶対なのだ。
だから あらゆるものは 夢としては相対し愛し合っている。
一つの雨だれの音声がエメラルドの海と完き解放の太陽を誘う。
バランスがパラノイアであればパラノイアはこの上ない甘美なバランス。
もっとも弱きものは神となってこの地をつぐ。
複雑で不安な頭脳はこの上ないシンプル。
とうとう私は神になった。
あなたが神であればどうして私が神でないことがありえよう。
さあすべてが終わった。 私達は今永遠の旅に出る。
……
ここで続いています。
2ch ダンテス・ダイジ 2